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実体験だけが真実の文化で生きるピダハン族




ある方から、右も左も、未来も過去も、数の概念も持たないというピダハン族という民族が居るというのを教えてもらって、興味が湧いたので少し自分でも調べてみた。

そうしたら、シンプルに度肝の抜かれた感じ。
自分がいかに空想の世界で生きているかを思い知った。

ヨガで今を生きることの大切さや楽しさを実感して、だいぶ過去や未来に引っ張られないような自分になったな…と思っていたけれど、まだまだ全然というか、全くもって今を生きれていないんだと思い知らされた。

ピダハン族が、右も左も、未来も過去も、数の概念も持たないのは『今』目の前で起きていることが全てだから。

そして、誰かから聞いたことと、自分が体験したことは全く別物で、誰かから聞いたことは信じない。という。



そして、外からの文化は容易に取り入れない。例えそれが(私たちから見て)ピダハン族にとって有益な文明だったとしても。


食料の貯蔵すら先を見越した行為であり、今この瞬間には必要のない行為だから、しない。


お腹が減っても3日全く食べずに踊って楽しむ。明日も食べれないかもしれないから、狩りに行こうなんて考えは全くなく、今、食べるより踊りたいね!っていう。


ナイフを振り回したら怪我をするから振り回さないで!というのも、実体験でしか学べないから子供がナイフを振り回していても、何も言わない。
子供にとっては『ナイフを振り回したら怪我するから振り回したらいけないんだって!』というのは親や誰かから聞いた話しであり、実体験ではない。

すごい。


私達は、教科書で習ったことや、大多数の人がこう言ってる…というものを真実だと思い込むような文化の中で生きてきてしまったから、実体験というものを案外積んでいないし、もしかしたら、知識(本や誰かから聞いたこと)を蓄えることで痛い目に遭う確率を減らし、効率よく生きているとも言えるのかもしれない。



高校古文の授業で習った、活用の『き』 『けり』。
もうすっか使い分け方を忘れてしまっていたけど、調べてみると『き』は直接体験したこと。『けり』は人から聞いたこと。だそう。

つまり、昔は日本人も実体験と人から聞いたことをハッキリと分けて情報を処理していたことが分かる。でも現代に生きる私たちは、この『き』と『けり』の情報の仕分けをせずに処理している。まるで『けり』も『き』かのように世界を作り上げてしまってると思うわけです。



この世に生を受けて、肉体があるのは肉体が無ければ体験することができないこと、、、痛みとか温かさとかそういうことを体験するためにあると思うし、真実は自分が体験してこそ知り得るものなんだなぁ、、、とピダハン族のおかげで気づかせてもらいました。



先生や親、SNSやネット、様々なところから必要な情報が得られる現代で、何も体験せずにどこかで聞いたことのある世界の中で生きるって、なんだかとっても奇妙だなあと。

私もそうやって奇妙な世界で生きてきてから、これからは自分で体験して、真実の世界を見に行こうとと思います。

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