僕はずっと普通に憧れを抱いていた
小さい頃からみんなに言われてきたのは「君って変わっているね」だった。
小学生の頃、僕は普通に生きていた。
基本的に学級委員長を毎年やっていたし、生徒会に入ったり、内申点は学年でただ一つ体育を除いて10段階中10を取るような絵に描いたような優等生というポジションを確立していたように思う。
ただみんな、こう言った「髪の毛、変わってるよね」
そう、僕は恐ろしいくらいに天パだ。
たぶん、大抵の人の局部の毛よりもチリチリであるくらいには天パだ。
小さい頃からこの髪の毛がコンプレックスだった。
人と争わず、自分の意見を主張することなく他人の意見に合わせながら普通であろうとしてきたのに髪の毛が人と違うだけで「普通」の輪には入れなかった。
それから中学生になり、変に目立たずに誰にでも愛想を振りまきながら仲良くし、普通の仲間入りができた僕だと思っていたがまだ変わらずに「髪の毛、変わっているよね」そんなことを言われてきた。
この頃から思春期も相まってくるくるだった髪質は剛毛に変わりモンチッチみたいなボリューム感がにいつも悩まされていた。
僕の髪の毛は昔から「スポーツ刈り一択」と決まっていた。
しかし、すぐ伸びてくる髪の毛に嫌気がさしていた。
高校になり、みんながおしゃれにも敏感になってくる。
僕が通っていた高校は公立ながらも自由な校風を売りにしている学校だったので「私服OK、髪色自由、ピアスOK」の校則がゆるい学校だった。
ただ毎日服を選ぶ手間を考えてなのか、学生の大半は中学校の時の制服をそのまま着て登校していた。僕もその一人だ。
普通に憧れを抱いて、自由な校風ならば逆に普通である必要はないだろうという僕の思惑は見事に外れたのだった。
学年が上がるにつれてみんな制服だった学生生活は徐々に終わりを告げにきた。
制服だった周りの服装は部活のジャージやスウェットに変わり、僕も周りに合わせてジャージやスウェットで登校するようになった。
「髪の毛、変わってるね」
その言葉に取り憑かれた青春時代を送ってきた僕はどこかで人と違うことをするのが怖かったのだと思う。
高校生にもなると思春期真っただ中の僕らは恋をし始める。
確かに中学生の頃から付き合っていたやつもいるが色々と知識が増えて、エロにまみれてくるのはこの頃からだろう。
あいにく僕は中学生の時のトラウマで女性が怖かったのであまりそういう機会はなかったのだが、人を好きになるという感情はあった。
「あの子可愛いな」とか「あの子と付き合いたいな」とかそんな感情は人と同じように持っていたと思う。
この頃になると僕は「天パ」であることにコンプレックスを感じつつも、みんなと同じように普通におしゃれをしたいがためにスポーツ刈りを卒業して髪の毛を伸ばすようになった。
ただ、お風呂上がりにそのままにしておくと髪の毛がくるくるになるのでドライヤーとくしを巧みに使って、毎日髪の毛を出来るだけまっすぐにしていた。
そうやってみんなと同じようにみんなと同じだけの普通の青春を謳歌していたのだけれど、文化祭の日に僕は女子がこんなことを言っているのを聞いてしまう。
「髪の毛があれじゃなければいいのにね」
これにはショックを隠せなかった。せめて僕がいないところで陰口でもいいので身内だけで話していて欲しかった。本人は対して傷つけるつもりはなかったと思うが、これでますます髪の毛に対するコンプレックスは強くなるばかりだった。
これが俗に言う「髪の毛あれじゃなければいいのに事件」である。
人からしたらこんなの大したことないとお思いの人もいるだろうが、少しは天パ弄りにも慣れてきた僕の心に深く爪痕を残すことになる。
普通に人並みにストレートな髪の毛、もしくは人並みに少しの天パに生まれたかった。そんなことを思う思春期は怒涛のように目の前を通り過ぎていったのだった。
普通ってなんだろうか。
普通って本当になんなんだろうか。
ずっと僕の頭を悩ませてきた「普通」は髪の毛のコンプレックスからきている。
「髪の毛あれじゃなければいいのに事件」があり、だいぶダメージは受けたもののあれがあったことによって僕はちょっと開き直った。
もう「普通」なれないなら目指してきた「普通だね」と言われることにとことんまで決別してやろう。
そう思ったもつかの間、大学で東京に出た僕はまたもや「人と同じ」に憧れてすぐさまストパーをかけることにした。
これが俗に言う「普通の髪になりました記念日」である。
そこから大学時代はろくに勉強もせずに遊んでいた。
ひたすらサークルに打ち込んで、毎日のようにお酒を飲んで、「お祭隊長」の称号も獲得した。
しかし、「普通」にあれほど憧れを抱いていた僕はつまらなかった。
みんな、大学生になると高校生活の反動か髪の毛を染めだしたり「普通であること」をとことん嫌うようになる。
僕は「普通」であることをとことん好きになった。
ただそれと同じくらい「普通」であることに飽きてしまった。
この「飽き」が僕の大きな転機になった。
僕はみんなと同じような髪型であることをやめて、最大級にコンプレックスだった天パを主張していくようになった。そこから本当の自由が始まったように思う。
「普通じゃなくてもええやんね。みんな違うし。」
「逆に普通ってカテゴライズなんなん?」
「いらんくないそれ」
こうして僕の「普通への憧れ」は幕を閉じることになった。
「みんな違ってみんないい」それでいいじゃないか。
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