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ブルーピリオドを観たらまたモヤっとする。

ブルーピリオドを観てきた。
簡単にいうと、授業の課題で書いた絵を褒められ認められ、他人に合わせることではない「自己の表現」に出会った高校生が、本気で絵と向き合い、国立芸術大学を本気で目指す、という話。

この作品のテーマの一つには、「本気で向き合う」ということがあるのだろう。

本気で何かと向き合うのは楽しいことも辛いことも含めて、全てそれを受け入れる、という自己肯定感が高い行為と言ってもいいだろう。

どんな自分でも認め、許す、受け入れる。
これが「本気で向き合う」ということに大事なことなのかもしれない。

僕の人生はどれほど本気でなかったのだろう。
思い返してみると、親ときちんと話したことがない。
友達とも本音で話したことがない。
本気で頑張ったことがないし、それに気づいてくれている友達はいない。
苦しい時、辛い時、どうした?と声をかけてくれる友達がいない。

八虎に、そうやって鼻で笑ってっこっち入ってくんな、ってすんなよ。って言ってた友達みたいな友情はない。
凹んでる時、何かあった?と飛んで会いにきてくれる友達はいない。
そんな友達を作ろうともしていない。

また、これで凹む
なぜ凹むのかというと、キラキラ眩しすぎるのだ。
やりたいことがあって、それを外に表明していて、そして応援してくれる友達や親がいて。
本気度が伝わり、人の心を動かす。主人公のような生き方とは無縁だった


モブ。


いつまでもどこまで行っても自分の人生の中ですら、僕はモブだった。

都度都度、僕は本気だと思っていたけど、別にそれがなくても生きていけるだろうし、それがなくても生きていけるような生き方しかしていないし。それが正解だとも思っていない。
自分の人生なのに、自分の思い通りにはいかないと思い込み、本気でぶつかろうとしない。
それが僕の生き方だし、処世術だと思っている。
僕の生き方はずるく、もったいなく、つまらない。
でも、それが僕なのだ。
深く考えても、これがやりたいと願ったもできないものはできない。そう思うなら最初から、本気を出さない方がいい。本気だと思わない方がいい。
本気なのに、できないということほど辛いものはないのだから。

幼い頃より体の小さかった僕は、同級生と何かをして勝てることがなかった。運動ももちろんだが、勉強もしてないから、学業でも勝てない。
かといって、めちゃくちゃアホというわけでもなかったから、努力をあまりしなくても、真ん中くらいを維持している。だから本気で勉強しようともしない。
スポーツでは同級生に勝てることはなかったからこれまた本気にすらならない。
習っていた音楽は、同性に馬鹿にされるから習うのも嫌嫌だった。


ブルーピリオドの中では、芸術家はいかに自分と会話するかが大事で、それが作品の質を変える、というようなことも言っていたが、僕はその「自分と会話する」ということですら、なんとなく。そして、適当にしているのではないだろうか。

僕は今まで本気になったことがあるだろうか。

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