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浄土真宗! 獲信! 他力信心! 光雲先生のグループで聞法してます(3)
『阿弥陀劇場(南無阿弥陀仏ってなあに?)』
突然ですが、ただいまより『阿弥陀劇場』を開演したいと思います。
題名は『南無阿弥陀仏ってなあに?』です。
なお、この演劇は、わたくし文長が書いたフィクションです。
それでは、はじまりはじまり〜
【出演者】
・阿弥陀さま
・ブンチョウ(小鳥の姿を借りたもう1人の文長)
・文長(凡夫・私)
小鳥のブンチョウは、阿弥陀さまの肩にのせてもらって、阿弥陀さまと一緒に、人間界の文長を見ています。
・ブンチョウ
阿弥陀さま、文長のやつ、また腹を立ててますよ。自分の思い通りにならないことが気に入らないみたいですね。
でもなんか、あいつ、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」って、言ってますよ。
・阿弥陀さま
そうだね。すべての仏さまが 「素晴らしいね!」と、ほめたたえる南無阿弥陀仏が、文長の口から出てるね。
仏さまの代表であるお釈迦さまが、2500年前に、この地球にあらわれて「南無阿弥陀仏はすごいよ!」と言ってくださったから、文長は南無阿弥陀仏を知ることができたのですよ。
・ブンチョウ
すべての仏さまが 「南無阿弥陀仏は素晴らしいね!」って、ほめたたえるのですか!南無阿弥陀仏ってすごいですね。
お釈迦さまが文長に南無阿弥陀仏を紹介してくださった、ということですね。文長に代わってお礼を言わせていただきます。
「お釈迦さま、南無阿弥陀仏を教えてくださってありがとうございました!」
・阿弥陀さま
私は「すべての仏さまが応援してすすめてくださる、そんな素晴らしい南無阿弥陀仏を作りたい」という願いをかなえました。
だから、南無阿弥陀仏には、それほどの凄い力が備わっているのです。
「その南無阿弥陀仏が、なぜ文長の口から出てるのか」っていうと、それはね、「どうか私の名前を呼んでください」という私の願いが、南無阿弥陀仏に詰め込まれているからです。
「必ず文長にとなえさせてみせる!」という力が、南無阿弥陀仏に入っているわけです。
・ブンチョウ
「南無阿弥陀仏に込められた阿弥陀さまの願いには、文長にお念仏させる力がある」ということですね。
文長は自分で南無阿弥陀仏をとなえているのではなく、阿弥陀さまにとなえさせられているわけだ。
でも、なぜ、阿弥陀さまは、文長にお願いまでして、名前を呼んでほしいのですか?
・阿弥陀さま
それはもちろん、私が文長の親だからです。親というものは、かわいい我が子に名前を呼んでもらうだけで嬉しいものですよ。
でも理由はまだあります。それはね、私は文長のことが『かわいそう』だから名前を呼んでほしいのです。
・ブンチョウ
え?? 「文長のことがかわいそうだから、名前を呼んでほしい」って、どういう意味ですか?
・阿弥陀さま
『文長が私の名前を呼ぶ』とは『私が文長を呼ぶ』なんです。かわいそうだから、私が文長を呼んでいるのです。
「かわいい私の文長よ、こっちやで、こっちやで。お前のことがかわいそうや!お前を必ず救ってみせる!」
その呼び声が「南無阿弥陀仏」なんです。だから私は「どうか南無阿弥陀仏を聞いてください」と、文長にお願いしているわけです。
・ブンチョウ
阿弥陀さまの「かわいい文長よ、かわいそうなお前を必ず救ってみせる!」という呼び声が「南無阿弥陀仏」であり、それは「どうか南無阿弥陀仏を聞いてください」という阿弥陀さまの願いでもあるのですね。
ところで、阿弥陀さまは、文長のどんなところを「かわいそう」と思われるのですか?
・阿弥陀さま
それは、文長が『十悪』から離れられずにいるところです。
まず、九つあげます。
「あの人のクルマ、いいなぁ」と心で盗む偸盗、「ステキな女性だな」と淫らな邪婬、「俺じゃないよ」と噓をつく妄語、「あの人にああ言い、この人にこう言い」と人を仲たがいさせる両舌、「アホ、バカ、嫌いや」の悪口、「すごくかわいいね」とお世辞の綺語、「あれも!これも!」と欲しい欲しいの貪欲、「邪魔だ!」と怒る瞋恚、「別に悪い事してないし」と仏さまの教えを認めない邪見。
このように、いま文長が罪悪から離れられず身心を乱して煩わせていることが、かわいそうなのです。
そして、そんなことをしていたら、死んだ後、因果の道理によって、また迷いの世界へ生まれていくのです。だから私は、文長のことがかわいそうなのです。
・ブンチョウ
阿弥陀さまは、文長が罪悪から離れられず、身心を乱して煩わせていることを「かわいそう」と思われているのですね。
文長の親である阿弥陀さまを前にしてこんなこと言うのもなんですが、僕なんて、自分勝手でいじわるなあいつが、次の世で苦しむことは自業自得なんだから「ざまあみろ」って感じですが、阿弥陀さまは「かわいそうだなぁ…」というお気持ちなんですね。
・阿弥陀さま
そうです。私は文長の親だからね、「かわいそう」と思うのは当然ですよ。それに「出来の悪い子ほどかわいい」って人間界でも言いますね。私はね「罪悪から離れることが出来ない子だからこそ、かわいいし、心配だし、なんとかしてやりたい!」って思うんだよ。
・阿弥陀さま
あの子がかわいそうなところは、まだあります。
十個目、殺生の罪を犯しているところです。『毎日、他の命を奪って生きている』ということです。
もちろん、人間は他の命を食べなくては生きていけない存在です。だけど、他の命を食べたら、今度は自分が食べられるのです。殺される苦しみを今度は自分が受けるのです。これが因果の道理です。
こうやって『命を奪う・奪われる』を永遠と繰り返す。これを「輪廻」と言うのです。
「あぁ、かわいい文長が食べられてしまう… なんてかわいそうなんだろう!」
我が子が食い殺されるなんて、親として見ていられません。壮絶な苦しみです。
・ブンチョウ
阿弥陀さまは「我が子が食い殺されるなんて、親として見てられない!」というお気持ちなんですね。
そうですよね… 阿弥陀さまは、そんな惨事になることを心配されているのですね… そんなことになれば、親として壮絶な苦しみを味わうのは当然のように思います…
阿弥陀さまが文長のどんなところを「かわいそう」と思っておられるのか、よく分かりました。文長の日常生活のすべてが「かわいそう」ということですね。
・阿弥陀さま
そうです。そして、本来、迷いの世界を抜け出すには、自分で修行して、罪を償って、仏に成らないといけない。だけど、あの子は修行ができない。
・ブンチョウ
自分で修行して仏に成れない文長だから苦しみ続けることになる。そこを「かわいそうやなぁ…」と阿弥陀さまは見ておられるのですね。
・阿弥陀さま
そうです。こんなにもかわいそうなわが子だからこそ、親である私が、あの子のために立ち上がったのです。文長の代わりに修行したのです。あの子の罪を肩代わりして償ったのです。
そして、永遠のように長い時間をかけて南無阿弥陀仏を完成させたのです。つまり、文長を仏に成らせる功徳を詰め込んだ南無阿弥陀仏を、完成させました。
私は、「この南無阿弥陀仏をどうか受け取ってください!」と、文長に頭を下げてお願いしているのです。
・ブンチョウ
阿弥陀さまは、我が子 文長に、「この南無阿弥陀仏をどうか受け取って欲しい!」という切実なお気持ちなんですね。
・阿弥陀さま
そうです。
私は、文長に、南無阿弥陀仏を信じて欲しいのです。私は、文長に、必ず南無阿弥陀仏を信じさせてみせる!
南無阿弥陀仏には「必ず信じさせてみせる!」という力が詰め込まれているのです。
私は文長に信じさせてみせます。私には絶対の自信があります!私のハートは燃えてます!!
・ブンチョウ
阿弥陀さまは「文長に、必ず南無阿弥陀仏を信じさせてみせる!」という絶対の自信を持っておられる。
なるほど、文長が自分で信じるのではなく『阿弥陀さまが信じさせてくれる』ということですね。『信じる心』を阿弥陀さまからプレゼントしてもらえるわけだ。
・阿弥陀さま
そういうことです。
私が、文長の罪を肩代わりして償ったから、南無阿弥陀仏は完成した。
だから私は、『南無阿弥陀仏が作られた理由』を、文長に、知ってほしい。
「お願いします。南無阿弥陀仏が作られた理由を聞いてください」と、文長に頭を下げてお願いしているのです。
「今日、いま、自分は何をやっているのか。体・口・心、この三つで何をやってきたのか」と、日常生活の中で、私が肩代わりした罪をみてください、確認してください。
罪は「実際に行動に移したら罪になる」というわけではなく、『心で思っただけ』でも罪になります。「あいつなんか死ねばいい」と心で思っただけで『殺した』ことになるのです。その心の動きをよくみてください。
子供の頃からの事も振り返ると、今までたくさんいろんな事をしてきた『重たい重たい自分』である事を、知ることができるはずです。
そうやって、文長がやっていることを、やってきたことを、よーく知ってほしいのです。
『自分の重さ』を知ってほしい。
どうか、どうか、お願いします。
・ブンチョウ
「南無阿弥陀仏を聞いてください」とは、「南無阿弥陀仏のいわれ・仏願の生起本末を聞いてください」ということなんですね。
「自分の重さを知る。つまり『阿弥陀さまのご苦労を聞く』 これがとても大事」ということですね。
阿弥陀さま、たくさんお話を聞かせてくださって、ありがとうございました!
(おしまい)