書くことのススメ
やっとの思い 選び抜く 年賀状傑作選 (7)
筆豆な文文先生。
学長になって学長日記なるものを始めました。
しかもネット上で。いわゆるブログです。
その名も「学長日記 日々是好日」。
学長退任からは「文文日記 日々是好日」と名称を変え、2002年から急逝された2010年3月までほぼ毎日更新(たまに「休み」もありましたが…)。
一年経つと書籍化して、学長日記も含め計11冊が出版されました。これらは販売もされましたが、多くは、友人、知人や教え子に送り、「文文会留学生奨学金」への寄付を呼びかけられていました。出版費用もおそらく先生持ちのはずなのですが、神戸芸術工科大学の留学生のためにと、年間数人の支援に当てておられたのです。
先生は小さな手帳をもっていて、神戸からの帰りや時間がある時に、その日感じたことをメモし、そこから日記を起こしていました。しかも、日記は、自分で字数を決めていて、20字✕16行の計320字。
(最初はブログフォーマットをつくって下さった方からの指定だったような…)
伝えたい内容をこの文字数に納めることを、楽しんでおられました。
また、20字で折り返する際、単語が途中で途切れないよう表現や言葉を変えたり、平仮名や漢字表記で調整したり、読者がスムーズに読めることをこだわりにして、これがゲームみたいで楽しい、とのこと。
先生って、そういうことも楽しみにしちゃうのかぁ、と妙に感心したものです。
さらに、ブログは横書き、かつ、写真を掲載するのですが、書籍化される場合は、縦書き、かつ、先生の手書きスケッチに変わります。
実は、最後の一冊「文文日記 日々是好日 Ⅷ」だけは、先生が急逝されてしまったため、私たちで編集を行ったのですが、この作業だけでもなかなか大変。そして、今、こうやって数日に一度noteを書いていても、これを10年も続けていたとは!と、驚かされている今日この頃です。
さらに、先生が亡くなられる2年前、心臓のバイパス手術のため入院されたことがあり、当然のことながら、日記はお休みされるだろうと思っていた私。ところが、ある日、先生から連絡。入院中は、日記のメモを私のところに郵送するので、打ち込んでデータ化して送り返してほしいとのこと。それは恩師のお役に立てるなら、と、お引き受けしたのですが、なんと術後すぐから、日記が送られてくるのです。
文字は、いつもの先生の文字ではなく、やっと書いているような、読めない文字。内容もなかなか大変そうな様子。でも、必ず送られてくる。とにかく生命がある、ということを、一日一日届けて下さっているような状況に、どこか安心しつつも、そこまでしても書かれるなんて…と切なくなったことを覚えています。
先生は、いつも学生に「文章を書きなさい。」とよくおっしゃっておられました。
どんなときでも、どんなことでも、書いて残すことは、とても大切。これはきっとフランス文学者であったご父君、鈴木信太郎先生の影響だったのだろうなと、今にして思いますが、まさにご自身がそれを実践しておられました。
入院体験は「体験的病院論」として、阪神淡路大震災の直後には、私たち学生に、ありのままの自分の体験記録を書くよう進め、記録として出版。
どんなときも書く。どんなときも思いを記す。
「書くこと」ということを、とにかく大切にされていました。
そして、この11冊の日記には、先生の暮らしの様子、その日々が描かれています。
正直、文章を書くのがあまり好きではなかった私。得意でもありません。
でも、自分の感じたことを人に伝えること、考えていることを言葉で表現することの楽しさを知るうち、いつの間にか書くことが好きになりました。
先生の生き様には、いつも、目の前に「人」がいます。
「人」と、関わり合って生きること、つながって生きること、そうした生き方が、この暮らしや住まいにあふれていると感じます。
そして今、先生が急逝されて15年。
こうやってnoteを書いてみよう!とチャレンジ中。
そうチャレンジする私のとなりで、甥っ子が絵日記と格闘中。
さて、このnote、どこまで続けられますやら。ガンバリマセウ。