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刻まれた「本能」に惹かれて

急激に冷え込み始めたここ数日。街路樹の葉もだいぶ色づき、赤や黄色と彩あふれる景色が見られるようになった。北海道は、短い秋の盛りを迎えようとしている。
前日の暴風雨とは打って変わり、スッキリとした秋晴れの日。僕たちは、故郷の川に帰ってきたサケの姿を一目見ようと、千歳川を訪れた。

跳ぶ、落ちる。

川に到着した直後、僕たちの目に飛び込んできたのは、人工的な川の段差を飛び越えようと、必死に跳ねるサケたちの姿だ。

奥に見えるのは「インディアン水車」。100年以上の歴史があるサケの捕獲施設だ。

サケは体をしならせて、川底から上段を目掛けてジャンプする。しかし、段差は高く、体を壁に打ち付けるばかりで、ボチャンと落ちていく。その後を追うように、次のサケが果敢に挑戦するも、お世辞でも惜しいと言えないほどのジャンプ。果たして、こんなにも高い段差を乗り越えることができるのだろうか。無謀としか思えない。
それでもサケは、一匹、一匹とまた跳ぶ、落ちる。跳ぶ、落ちる。
さっきまで身にしみていた冷たい風も忘れ、僕たちは川から目が離せなくなってしまった。

「あ!超えた!」

一匹のサケが段差の八分目あたりに着地し、ぶんぶんと体を左右に振らして前進。ようやく上段の川に飛び込んだ。渾身の力を込めた見事な跳躍に、僕らは歓声の声をあげた。
しかし、他のサケはそんなことお構いなしに、次々と跳ぶ、落ちる。跳ぶ、落ちる。

生傷だらけの力強い身体

千歳川に隣接する「サケのふるさと 千歳水族館」では、日本で唯一、実際の川底の様子を室内から観察することができる。
ガラス越しに千歳川を覗いてみると、僕の腕ではまだ足りない、太ももか、胴回りほどあるサケが、びっしりとひしめき合っているのが見えた。
思ったよりも優雅に佇む姿に驚いたものの、それは、眼前に迫る段差に向かって、今か今かと自分の番を待っているようだった。
しかし、優雅と形容するのは間違っていたことにすぐに気が付く。
僕たちの目の前を、落ち葉が猛烈な勢いで通り過ぎていったのだ。そう、彼らはものすごいスピードで前進し続けていた。

そして、彼らの体は目に見えて傷だらけだった。
川底の石で傷ついたのか。それとも外敵にやられたのか。もしかすると、稚魚の時にできた傷かもしれないし、海で作ってきた傷かもしれない。
とにかく彼らの体は、生傷にまみれていた。

透き通った千歳川の底は、サケでびっしりだった。

自然を繋ぐ旅

水族館の展示の説明に、「川で生まれたサケの稚魚は、その後海で他国のサケたちと合流して3年の時を過ごし、また故郷の川に帰ってくる。」とあった。
豊富な海の栄養をサケが川に持ち帰る。その栄養がやがて山や森へと繋がり、さらには動物たちへと繋がる。自然を繋ぐ壮大な循環システムだ。

しかし、どうして、彼らは故郷の川に戻れるのだろう。
展示を読むと、「サケたちは故郷の川の匂いを辿っている。」と書かれていた。
匂いを、感じ取れるものだろうか。

「本能」

『彼らは、何を感じ、何を思い、何を考え、生きて、そして死んでいくのだろうか。』

「本能」と片付けてしまえば簡単かもしれないが、それだけでは説明しきれない壮大な何かがそこにはある。
生まれたばかりの稚魚が、海を目指して旅に出ること。
この広大過ぎる海で、外国の川で生まれたサケたちと合流すること。
そのまま海で3年という時間をじっくり自分を成長させて過ごすこと。
そして、産卵のために故郷の川を目指すこと。
いや、まだだ。
大きな体に鞭打って、傷だらけになりながらひたすらに川を遡り続けること。
産卵の後に待ち受ける「死」ももろともせず、自分の命を全うして生き切ること。

彼らの体に刻まれた「本能」という名のプログラムは、彼らにどうやって命令を下し、彼らをどうやって突き動かすのだろう。彼らの思考のプロセス、頭の中は一体どうなっているのか。
意識の中に「言語」が飛び交う僕たちとは、全く違った、ただ体を動かすエネルギーみたいなものがそこにあるのだろうか。それに突き動かされるって、一体どんな感覚なのだろう。どんな気分なんだろう。

僕の中にも、そういった類のエネルギーが流れているんだろうか。

いわゆる、「本能」と名付けられた欲求がそれに値するのかもしれない。
ただ、一生を運命づけるサケのような強さは、美しさは、そこにはもうないのではないか。
太古の祖先にはあったのか。それなら、いつ、失ったのだろうか。
人間が、ごちゃごちゃと「言語」を手に入れた時からだろうか。

「サケ」  君が羨ましい。

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