原型
『ある現象がどれほど複雑なものであろうと、一方にはたしかに能動的な、一次的な諸力、征服と制圧の諸力が認められ、他方には反動的な、二次的な諸力、順応と制御=調整の諸力が認められる。この区別は単に量的なものではなく、質的でもあり、また類型論的な区別でもある。』
ドゥルーズ『ニーチェ』
「力への意志」はニーチェ哲学の核心をなす概念である。だが、この概念は「他者を支配したいと欲する」ことを決して意味しない。ニーチェがいうところの「力」とは、生あるものが本来持っている「生きる意欲」を意味する。「能動的な、一次的諸力、征服と制圧の諸力」といったニーチェ哲学のキーワードはこの意味で理解されねばならない――
『日本書記』には次のような興味深い話がある。
難波の高津宮で北の郊外を掘り、南の川を引いて西の海に流すための工事が行われた。このとき、仁徳天皇は茨田の堤を築いたのだが、築けばすぐに堤は決壊し、工事は難航を極めた。その時、仁徳天皇の夢に神が現れ、「武蔵人強頸と河内人茨田連衫子の二人を河伯(河の神)に祭れば、必ず堤を塞ぐことができよう」と告げた。そこで、天皇は両名を探し出し、河伯に祭った。このうち、武蔵人の強頸は泣き悲しんで入水して死んだ結果、堤は完成した。
一方、河内人の茨田連衫子は、瓢を二つ取り出し、河に投げ入れて次のように言った。「河伯が祟って、この自分を犠牲にせよという。だから自分はここにやってきた。どうしても自分を欲しければ、瓢箪を沈めて見せよ。そうすれば、自分は真の神と知って、自分から水の中に入ろう。もし瓢箪を沈められなければ、偽神とわかるというものだ。どうして無駄死するものか!」結局、瓢箪は旋風が吹き揺らしても沈まずに流れ去った。杉子が死ななくても堤は完成したのである――この伝承は神の託宣を偽物と暴露した河内人の茨田連杉子の知恵を讃えている。