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思春の森でさざめく  漫画『SANDA』

『SANDA』を読む。

週刊少年チャンピオンで連載中の漫画であり、作者は前作『BEASTARS』で一斉を風靡した板垣巴留。

近未来SFである。現在は8巻まで発売中。

超少子化社会が舞台であり、学園モノである。この世界には既にサンタクロースは伝説と化している。
そのサンタクロースの血を受け継いでいるのが主人公の14歳の少年、三田である。
この三田は同級生の冬村四織という超危険な女子に頼まれて、疾走した彼女の友人の小野を探すことになる。冬村は三田をサンタクロースの末裔だと識っていて、サンタクロースに願いごとを叶えてもらうように彼を覚醒させようとする……という導入部である。

この漫画は、思春期の大人と少年少女のあわいを描いた作品である。

この世界には、子供は最も尊ばれるものという思想があって、生徒たちは大人たちから寵愛されている。
14歳〜15歳が一番美しい時代として描かれていて、若さは至上の価値を持つ。
その中で、三田だけがサンタクロースへと変貌し、少年から大人への時間を何度も往復する。彼をサンタクロースだと識って助けてくれる仲間や殺そうとする敵対勢力が登場する。
その筆頭が三田の通う学園の学園長である大渋であり、彼は手以外の汎ゆるものを整形手術を始めとした人体改造により取っ替えた狂人であると同時に、最強のナルシストである。実年齢は92歳だが、30代〜40代くらいにしか見えない。

手以外は完全に作り物の人工人間である。彼が一番美味しい役であり、全ての場面をさらう。

そして、この世界では大人になると学園にいられなくなる。未成人式という式典では、人生の一番輝かしい15歳の時間を、1日の昼と夜とのあわいであるマジックアワーに例えて夕暮れに行われる。彼等は、大人という別の生き物へと変貌しようとしている。

同性愛、百合、少年少女の未成年愛、少年犯罪、サイコパス、虐待、肛門括約筋の拡張のお願いをする妙齢の女性、大人殺し、エトセトラ。闇鍋のように汎ゆる事象が打ち込まれたこの世界において、サンタクロースは子供時代の象徴である。彼は、子供の信じる力でエネルギーを爆発的に獲得するのだ。

エキセントリックなキャラクターが魅力的だが、基本的には14歳。子供である。

どこに進むのか全くわからない物語である。然し、それは思春期の夢だとも言える。思春の頃には、思春の森に彷徨って、肉体的には男も女も隔てがなくなり、母にも父にもなれる子供たちだ。
その微妙な時間を、読み終わったあとにセピア色に変色させる魔法がこの作品にはあるだろう。これは不思議な感慨だ。けれども、確実に失われた時こそが眠っている。読んでいるときは、なんだこの変な漫画、馬鹿だなぁと思うのだが、読み終わると途端にそれは思春の頃の痛みへと変貌する。

然し、今作には難点もあるなぁと思う。

まずは話の構成が勢いを重視しているため無理があることと、14歳はそもそもサンタクロースなど信じていない。それは、樹の語るところの「コウノトリを信じる女の子にポルノを見せるような快感」に通じる。コウノトリは14歳では信じられない。ベッドで隣で寝ているだけの父と母から産まれるわけではない。それを信じられる最後の時代では14歳は遅すぎるし、サンタクロースなら尚更だ。

ただただ絶望するのを見るのが好きとかとんでもない変態だな。こいつが№1鬼畜だろ。

然し、今作はあくまでも思春の頃を描こうという作品なので、これが11歳や12歳まで落ちると途端により危険でより難しい問題になるし、更に下に行くと大人と子供のあわいを描くことができなくなる。
サンタクロースは媒介でしかないように思える。そして、サンタクロースという存在が逆にノイズになってしまっている。
まぁ、だからこそ途絶えた存在で、逆に信じやすくなるのかもしれないが。
また、超少子化といえども、子供、を重要視はせよ、若さ、にはそこまで神聖を抱かないのではないかとも思える。
この学園のみの異常な状況ならある種のカルトとして納得ではあるが、社会全体では少し無理があるような気もする。

6巻以降には美少年の隣甲斐くん(トナカイ)が出てきたり、まぁ、どこに転がるかわからない漫画である。然し、私はそこをこそ、この漫画の素晴らしいところだと思う。
何故ならば、どこに転ぶのかわからないのが思春期であるからだ。

こっちは1977年のフランス映画『思春の森』。今では児童ポルノ認定されているようだ。


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