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浅草十二階とミッドガル

先日購入した五木寛之の『隠された日本 中国・関東 サンカの民と被差別の世界』を読む。

私が興味があったのはサンカの民で、サンカの存在に関しては、今作でも言及されているように、三角寛のサンカ小説が大ベストセラーになって世間に識られたそうだが、五木寛之は、作中で、横光利一は小説の神様だと言われていたが、今は読む人もほとんどなく、然し、三角寛のサンカ小説は読み続けられている、これは、書かれていることの真偽はともかく、三角寛の小説の力が異様にあるからだろうか、と書いていて、それに、どうやら、三角寛もかなり本質的なサンカに関して正しいことも書いているようで、玉石混交であるらしいので、それもあるのだろう、とも書いている。
で、私としては、それに加えて、やはり、サンカという存在に対するロマン的な何かも潜んでいるのかもしれないなぁ、と思いつつ、読んでいて、一番興味深かったのは、意外にも浅草弾左衛門のことだった。

弾左衛門は賤民の王、と作中では書かれていて、私も、全然詳しくはないので、かなり興味深く読んだが、この弾左衛門の物語から浅草六区、先日読んだ『されど魔窟の映画館』に繋がるようで、非常に不思議な心地。

浅草名画座までの流れがこの弾左衛門の章から続く、浅草の凌雲閣りょううんかく、即ち浅草十二階、そして浅草十二階下界隈の私娼たち、に香具師や見世物小屋、芝居小屋、寺院などが集う魅惑満載の悪所の形成から現代まで、まるで数珠繋がりになっているようで、電気館に出来た常設映画館、昆虫館、水族館、カジノ・フォーリー、それらの大正昭和の浅草要素もまた、私も好きなYASUNARI的世界へと接続していく。

つーか、川端康成のことは今作でも書かれていて、最終的にはこの浅草の流れは、フーテン瘋癲の寅さんに帰結して、本書は終わる。

然し、この浅草十二階、なんと当時で日本一高い52メートル、まるで、十二階下とかも含めて、なんかミッドガル的だなぁと思う。
ミッドガルもスラム、であるけれども、あそこも、様々な人間が集い、浅草十二階下にアナーキストたちが集うように、テロリストであるアバランチなどが潜んでいたし、巨大な魔晄炉の聳え立つ下、劇場や蜜蜂の館、怪しい行商人とか、おんなじじゃん、無論、『ブレードランナー』的ビジュアルでもあるけれども、浅草的な世界なのかもしれない。

ここはネオ浅草なのかも。

で、私は、『男はつらいよ』シリーズはほとんど観ていない。なので、一切、寅さんを語る資格はない。だが、本著を読み、うーん、2025年は、寅さんコンプリートを一つの目標に掲げようと思ったり。実は、今年は、勝新太郎版(つーか本家)の『座頭市』もコンプリートしようと密かに企てていたのだが、5本目で挫折、面白いのだが、時間がなくて……。

で、寅さんは、シリーズで48本もあるらしい。私は腰を抜かした。初作は1969年公開、え、わりと最近じゃん、まぁ、山田洋次監督もご存命だし、そりゃあそうか。山田洋次監督は御年93歳、で、渥美清&山田洋次、と、いえば、緑魔子目当てで観た『吹けば飛ぶよな男だが』が印象深い。

然し、浅草弾左衛門に関しては、やはり基本的には歴史の裏側に置かれることが多く、学校で教えられることはない、それと同様に、芝居、吉原、歌舞伎、見世物、芸人、などなど、華やかなイメージを持つ場所は、これもまた下層に置かれて、現代の文化を形成してきたのに、当時から悪所、と見做されてきた。やはり、文化藝術が生まれる場所は、闇鍋的な、ごった煮的な、様々な人が集うことは必定なのかもしれない。

で、サンカ、は、押井守が、『かぐや姫の物語』において、捨丸たちのことを、あれはサンカでしょう、的に言っていたが、色々調べると、詳しい人からは、そうではない、その要素はあるけれども、的な意見があった。

サンカ、というのは、山家、の当て字の方が良い、山窩という当て字では、窩が穴蔵という意味で、差別的な感じ与えてしまう、と本著で五木寛之が書いていたが、サンカ、というのは、あまりにも情報が少ないので、簡単に私見を述べることがあまりにも無責任なことになるのだなぁ、と、馬鹿みたいな感想を抱く。

捨丸にーちゃん。妻子を捨てて女と逃げようとする。

同様に、『もののけ姫』のエボシの里、たたら場において、様々な賤民が出てくるが、それも、室町時代をきちんと勉強して、どのような政治状況で、どのような人たちがいたのか、ちゃんと勉強して、物語上の嘘などを見抜く力、その上で物語を物語として楽しむ力、を養うことが肝要なのだなぁ、と、そんなことを思ったり。

アシタカは、冒頭でタタリ神の呪いを受けて、集落を追放されている。あの場所が大体青森県くらいで、たたら場は島根県である。
で、宮崎駿がインタビューで言うには、アシタカの呪いは、現代、1997年当時の少年、青年たち、彼が、何ら自分に非がないのに受けたエイズや疾患などの病のメタファーであって、それを抱えても生きていくのだ、という、そういうメッセージが込められている。
共に生きる、というのはそういうことで、なので、あの世界では、様々な人間たち、特に賤民とされる、迫害された、追い出された人々、それはアシタカも、サンも、エボシもそうで、そういう人々たちが共に生きていくことを描いた映画で、なので、ジブリ映画は、いつも深いテーマ性があると思うのだが、なので、やはり、他の映画監督とは、一線を画しているなぁ、と思う。
そういうメッセージは今も届いて、成し得る努力はされているのだろうか。

然し、こう、大正時代とか昭和初期の浅草をアニメーション化した映画はあんまりない気がするなぁ。映像的にはすごい快楽がありそうだ。
出来れば、丸尾末広の『トミノの地獄』あたりを、アニメ映画化して欲しいなぁ。


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