川端康成の 浅草紅団
川端康成の小説で、一番シュルレアリスムに近接していた時代、浅草時代。
その経験を元にした、浅草ものに『浅草紅団』がある。
あさくさくれないだん、と読む。
この作品は、弓子という、浅草紅団のボスがヒロインとして登場する。
美少女である。
男の子のように美しい娘である。
彼女と、その界隈にいる猥雑な人々、街そのものの喧騒が描かれている。
無論、主人公は康成である。
浅草ものには、『浅草の姉妹』や『浅草の九官鳥』などもある。
この小説には、筋はない。いや、あるにはあるのだが、大筋があって、そこに様々なエピソードが連なり、かつシュルレアリスム要素がふんだんに文体にまで侵食していて、非常に読みにくい。
投げ出す人もいるだろう。美しい、という人もいるだろう。私は、後者である。津原泰水氏も述べていた素晴らしい文章を引用しよう。
「をかしいな。観音さまに鶏をかつてるかね。」といひながら、私は冷つと足をすくめる。ー着飾つた娘が四人、真白な顔で立つているのだ。「浅草つ子になれない人ね。花屋敷のお人形よ。」と彼女に笑はれる私だ。
とにかく、普通の小説ではない。然し、それは、川端が愛した戦前の浅草の姿そのものを現しているのかもしれない。
丸尾末広の『トミノの地獄』でも、戦前の浅草が舞台になっていて、猥雑な空気が描かれている(電気館とか、昆虫館とか)。
私は、この小説が好きで、特にヒロインの弓子が亜ヒ酸を口に含むというシーンがたまらなく美しいと思えて、自分の小説でパクッ、いや、オマージュさせて頂いた。
この作品は、なんというか、取り留めもない夢のようでもあるし、
然し、生命力に満ちていて、なかなか難物である。
川端は、浅草に若い頃から通っていて、カジノ・フォーリーの踊り子の梅園龍子に恋をしていて、彼女を引き取って、踊りの稽古まで習わせていたのだ。
梅園龍子は美しい女性で、映画にも出ている。
まぁ、川端はカジノ・フォーリーの娘たちに萌えていたわけだ。大好きだった伊藤初代もカフェーの定員だったので、今で言うガールズバーみたいなものなので、そういう所に通う男なわけである。
この作品を描いた頃、昭和6年に、川端は古賀春江というシュルレアリスムの画家と出会っていて、彼との間には非常にたくさんのやりとりがあった。
古賀春江の描いた、窓外の化粧などは、まさに『浅草紅団』の匂いが濃厚で、これは別冊太陽の同作品の説明の箇所に、この絵が使われていたから、私も意識が引っ張られているのかもしれない。
ビルディングの上の少女が、踊り子である。
古賀春江は38歳の若さでなくなった。
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