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海はひろいな、大きいな、という『アバター2』

『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』を鑑賞したので、その感想を。
ネタバレも書く。


前作『アバター』より13年ぶりの新作として話題の作品である。

そもそも、2016年とかくらいに公開予定だったが、延期に次ぐ延期と、コロナ禍があったりして、気づけば13年経っていた。その間、3まである、いやいや4部作だ、5部作だとキャメロンの妄想袋はパンパンに膨らんでいき、2024年、2026年、2028年に3、4、5と2年おきに公開される予定だというが、全米では10日間で2億5000万ドル、日本でも15億円弱と、些か黄色信号点滅の様子。3の撮影は終了しているので、再撮などして、3部作で終わる可能性が高いと思われる。まぁ、世界では10億ドルを超えているが、最終15億ドルくらいだと、期待はずれだろう。

で、私は今回3方向スクリーンという、スクリーンXなるものを初体験した。初めに、アイマックスみたいに説明動画が流れるが、結果としてそこが没入感のピークであり、『アバター』自体は実際、左右のスクリーンが使用されていない時間の方が多いことに気付いた。これで500円なら、ホットコーヒーを買う方がいいかもしれない。
然し、『アバター2』は、上映時間が3時間12分もあり、上映時間が縛られているため、スクリーンXのものしか選択肢がなかったのである。

さて、肝心の内容は、惑星パンドラの地元民の娘と恋に落ちた主人公ジェイク・サリーは、前作のラストで現地人ナヴィ族のアバター体に、意識とか汎ゆるものを移植して見事現地人になって終わるのだが、よく言われているように、ネットゲームの世界に完全に意識までを移植してそこで第二の人生を始めるような、オタクの夢のような終わり方だった。

然し、ゲームはゲーム、幻想は幻想であるから楽しいのだ。ゲームは1日1時間、だから名残惜しくて、また楽しさがある。ディズニーランドの夕暮れも、旅行の最終日の電車の切なさも、終わりがあるからこその喜びであり、非日常なのだ。
今作は、ジェイクが家長になって、ぶっちゃけ人間界と同じような、思春期の子どもたちや幼子たちとの問題に悩むという、リアルな展開を描いている作品だった……。

前作のボスキャラ的な海軍大佐クオリッチは、ジェイクの奥さんネイティリに矢で射殺いころされたわけだが、今作では、彼の記憶を譲渡されたアバターがシン・クオリッチとしてジェイクへの復讐に燃えるという、矢で殺されて天に召されたと俺が起きたら俺を殺した種族に転生してチート級の身体能力を手に入れた件、的な転生作品になっていた。

今作は、ジェイクには4人の子供が出来ている。1人は養子の女の子で、上の二人は思春期真っ盛りという感じで、末っ子はまだ幼い。

この、4名の少年少女こそが今作の主役であり、彼らの目線、つまりは混血として産まれた魂の悩みや葛藤が、重要なファクターとなっている。
ジェイクは家族を守るのは父親の役目だと認識しており、ついつい血気盛んな息子たちをキツく叱ってしまう。そのたびに、息子たちはショックを受けたり、不貞腐れたりするのだが、親の心子知らずであり、子の心親知らず、が今作のテーマである。

威厳ありそうに見えるが、普通に悩みいっぱいの海の民のパパとママ。

海の民の酋長のおっさんが登場するのだが、彼もまた、なんというか妻の尻に敷かれている(妻はケイト・ウィンスレット)。ジェイクと同様である。子供たちが悪いことをしたときに叱るのだが、子供たちはそこまで反省していないように見える(そういうものだ)。
妻は夫への愛情よりも、子供が大切でたまらない(それもまた、そういうものだろう)。可憐な前作のヒロイン像は最早修羅のような母の強さに変化している。
男というのは理性的な傾向が強い。母親との違いだろうか、平和的に事を運ぼうとして、いつも失敗するのは男である。ジェイクも今作は途中まで日和っている。

人類=スカイ・ピープルはパンドラへの移住計画の為、圧倒的な火力を用いて新たなフロンティアを開拓していく。そして、クオリッチ大佐の私怨の対象のジェイク・サリー一家は、自分たちのせいで森の民たちが危険になると、流浪の旅に出る。辿り着いたの海の民たちのいる群島。これが、今作の舞台である。

『アバター』を語る時、点では語ってはいけない。つまりは、監督ジェームズ・キャメロンのキャリアをそのまま線として捉えていく必要性がある。
『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』は、キャメロンのテーマである、

①水
②映像改革(革命)
③強い女性像

に完璧なまでに肉薄した、完全なる集大成である。

『アバター』はストーリーがなぁ…ただの『ポカホンタス』とか、『ダンス・ウィズ・ウルブス』じゃん、という気持ちもわかるが、然し、キャメロンは物語などはどうでもいいのである。彼はダイバーとしても長年潜っている海に惚れ込んだ男である。今作で作り出された海の映像は、正直尋常ではない。まず、物語の80%以上が海上乃至海中というのは、『リトルマーメイド』か『ウォーター・ワールド』、『ファインディング・ニモ』、『ファインディング・ドリー』、『シャーク・テイル』など……あれ、結構あるな……。
まぁ、水というのは映画で鬼門であり、その鬼門に海賊という鬼門をダブル盛りしてウルトラにヒットした『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』はすごい映画である……。

この映画の凄まじいのは、もはやパンドラは実際、現実の場所として存在しており、CGの光景とCGのキャラクターと人間の役者が違和感なく混在している世界は、ナイトメアを通り越してヘブンとも言える。

先程、物語はどうでもいい、と書いたが、実際には私は結構好きな話だった。王道的な筋運びだが、父と子、母と子、というテーマは泣ける。それは、私もまた人の親であるからだが、ガチでラストシーンの回想は泣けるものがある。大変に素敵なシーンがあるのである。

今作で屈指の美しいシークエンス。大切な思い出。

そして、父と子、というテーマは敵であるクオリッチ大佐もまた突きつけられ、ここでもまた、子の心親知らず、的なものがある。

クライマックスは、戦艦が破壊されまくり、人が死にまくりのとんでもないスペクタクル絵巻が繰り広げられて、そこでは生と死が混在する。
そして、まさかのセルフ『タイタニック』リメイクが発動し、まさかのアバターのキャラクターで『タイタニック』をやるとは……という驚愕に『タイタニック』好きにはほっこり気分。

とにかく、尋常じゃない制作費、それこそ300億円とかかけているわけで、ハリウッドは凄いなぁ、と思うこと頻りだが、それ以上に、自分の趣味に全力でそんな金を注ぎ込んで、新しいことに挑戦し続けるキャメロンっていうのはガチでヤバいなぁ、狂ってるなぁ、と思う。
最近、キャメロンはやたらとマーヴェル映画をディスったりしているが、挑戦心、という意味ではやはりキャメロンに軍配は上がるだろう。アクアマンで、まさかの水中での全編パフォーマンスキャプチャーなんてやるはずもないだろうし……(アクアマンはDCだけどー)。

今作は、前作と照応を成しているシーンが大変に多く、この目配せの感じに、私は『ブレードランナー2049』を思い出していた。まぁ、『ブレードランナー2049』は私の至高の映画なので、それと比べるとあれだが……。特に、前作では恋に落ちた相手と、今作では、その末に産まれた魂へと、大切な言葉が囁かれる。

息子の1人、ロアクの中盤の台詞、星空を見上げながら『父さんは星から来たんだ』、という言葉は、私がたくさん観て、聞いてきて、読んできた中で、一番天上へと連れて行ってくれる、ロマンあふれる台詞だった。


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