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眠れる美女は代作なのか②

以前、『眠れる美女』が代作と言われていることについて書いたが、無論本当かどうかは不明である。(以前は代筆と書いたが、代作の方が適当でありました)。

それ以前に、三島由紀夫は『眠れる美女』に関して、デカダンスの極地であり、傑作だと何度も何度も論考を書いている。
『眠れる美女』は主人公江口老人が、海辺の屋敷にある秘密クラブで、眠らされた美女を一晩好きに扱うという変態小説だが、描写の美しさは素晴らしい。寂寞とした海辺の風が作品の根底に吹いている乾いた感覚、それとは反対に艶めいた美しい女性の肉体の湿った感覚が同居している。

海外でも何度か映画化されており、このモチーフは変態の心に刺さるのである。

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仮に、この作品が代作であるとした場合、三島は自分で自分の作品を異様な程褒めていることになる。或いは、代作だからこそ、川端康成の作品であることを強く謳っているのかもしれないし、或いは、代作でもなんでもないのから、心底感動しているのかもしれない。

私は、川端康成の作品では、『雪国』と『たんぽぽ』、また『東京の人』が大好きなのだが、『東京の人』も代作ではないか説が囁かれている。
代作と言っても、どこまで本人が関わっているのか、名義貸しだけなのか、それとも語りおろしなのか、など、その差異に大小はあろうけれども、然し、代作の疑いのある作品、作家を調べてみると、山のように出てくる。
最早、誰が何を書いているのか、書いていないのか、信じられない程である。

反対に考えると、誰が何を書こうが、傑作は傑作である、という事実である。私が作者なんだ!と、スタンプを捺して出荷する。そのスタンプになんの意味もないのであるが、功名心がそれを邪魔する。
詠み人知らずこそが、藝術の本当だと、私はそう教わったので、文学賞などは、その功利の極地であると思う。

代作ならまだいいが(然し、そう言ってある意味騙して売り捌くわけだから、普通に詐欺である。どのような楽屋裏があろうとも)、盗作の話もよく目にする。今活躍している作家でも、盗作疑惑がついてまわる人は何人かいるし、そう云う人が審査員になったり、文学賞を受賞することもある訳で、まぁ恐ろしい世界である。

2004年頃、アルベルト・スギ氏の絵画を盗作した画家和田義彦氏が話題になって、まぁ、どう観ても構図はパクリなわけであるが、然し、自分の作品として売らずに、スギ氏の作品リスペクトとして売り出していれば、受け手の感情は異なるだろう(無論、売ることは難しくなるが)。
個人的には、スギ氏の作品よりも、和田氏のパクリの方がより絵が生きている感じで好きなのだが、やはり盗作は頂けない。
盗作をしなくても、センスがあるのに、功名心や、金銭に目が眩む、そのような弱さが、最終的には破壊を招く。

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三島由紀夫は、川端康成の作品は、顕教的傑作が『雪国』であり、密教的傑作(一般にはあまり識られていない)が『眠れる美女』だと、熱を込めて書いていた。
これが自分の作品だったりしたら、笑い話だが、川端的には笑えないだろう。
三島由紀夫は、『眠れる美女』を美のどん底的な作品、と評していた。三島の評論の際の言語センスは、筆舌に尽くし難い輝きを持つ。
私は、『眠れる美女』は川端康成の作品であろうが、三島由紀夫の作品であろうが、どちらでも良い。いずれにせよ、良い変態小説である。

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