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妻であり、母であり、女優である。

先日、虫明亜呂無の本を読み返していて、その中の、パルコのCMのドミニク・サンダについてのエッセイを読んでいて、そこから私はドミニク・サンダへと思いを馳せた。

ドミニク・サンダ、と、いえば、私の中では『暗殺の森』であり、『1900年』であるが、このパルコのCMに関しては、1978年のものなので、私はまだこの世の中に存在もしていない頃なので、観たことがなかった。

この頃のパルコは石岡瑛子が広告を担当していて、その以前に虫明の初めての小説の『シャガールの馬』の挿絵なども担当したことで二人は懇意になって、秋のパルコのCMの女優を誰にするのか、虫明に相談したのだという。

その候補が、ダイアン・キートン、ジル・クレイバーグ、フェイ・ダナウェイ、シャーロット・ランプリング、イザベル・アジャーニ、マリア・シュナイダー、と大物ばかりで、最後にドミニク・サンダ、だという。
キートンとクレイバーグは自分は映画女優であるから、CMには出ませんと、断ってきたそうで、そして、フェイ・ダナウェイは年間契約に1億円、+撮影日当2千万円、それを3日で6千万、計1億6千万円を要求してきたのだという。なので、アメリカ人の3名はここで候補から外れる。

フェイ・ダナウェイの高すぎるギャラに西武は難色。

然し、まぁ、後年、と、いうか、1979年のパルコの広告に出ているので、結局出るんかい!って感じだ。

やはりベストワークは『暗殺の森』。

残り4名のフランスの女優たちから誰がいいか、石岡が虫明に尋ねると、「僕ならば、ランプリングかサンダ。」と、いう、誠に真っ直ぐな回答をして、それならばと交渉、結句、ギャラ、スケジュール、その双方で好意的な返答のドミニク・サンダに決定し、パリで撮影したそうだが、虫明はその時のことを(撮影には同行していないが)、モデルと違い、女優であるサンダはわずか30秒のシーンのために、その人物の心理的背景まで構築して撮影に臨むため、執拗に質問し、3日間もの撮影でCMが撮り上がった、と書いていた。

石岡瑛子というと、私はまっさきに、ポール・シュレイダーの三島由紀夫映画の金閣寺セットを思い出すが、あの、黄金が過ぎる金閣寺に関しては、松岡正剛が著作の中でも詳しく書いているが、映画のコッポラ版『ドラキュラ』の衣装、それからターセム・シンの映画では、彼の作品においてはずっと組んできている。

私は、この中ではバトルアクションが神憑っている『インモータルズ』が好きだが(ゲーム的かつ厨二病的とも言える)、然し、どれもやはり独特の世界観を担うのはその衣装である。

ケミストリー、という言葉がある。
そう、堂珍嘉邦と川畑要である。あの二人のように、ケミストリーが炸裂する作品というのがあるのだ。一人でも芸術だが、相乗効果でそれは新しい次元に突入する。
ドミニク・サンダ、という、美しさも、それ自体で宝石だが、宝石をそれを扱う者の手で他に並ぶもののない高貴さをまとう。
それも、フランス、芸術の都、パリの。

パリ、と、いえば、昨日の女子のブレイキン、よかったなぁ。金メダル嬉しいなぁ。

ドミニク・サンダに関しては、虫明と石岡の会話が印象に残っている。

「でも、あの子、良い生活しているの。パリの高級住宅地に古い農家を改造したようなしゃれた家を持っていて、郊外には小型飛行機の発着地まで持っているのね。それ聞いたとき、ああ、こっちはあくせく働いて、なんていうことだろうって……」
「自家用飛行機の発着地をね。なるほど、それはかなわないな」
「円高、円高っていったって、私たちにはちっとも関係ないもの。私たち、飛行機持てる?」






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