少女ふたばよりかんばしくかなかなの唖し刺し殺す夏至物語〜塚本邦雄の短歌からの聯想による〜①
【この小説には暴力シーンやグロテスクな表現が含まれています。】
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かなかなかなかなかなかなかなかなかなかなかなかなかなかなかなかな。
青い目が開く。ニヒル頽廃したシアンの目。
サングラスを外す。扉を開ける。白衣を着た、先生。美しい、先生。
「座って。」
座りました。
「どう?昨日はよく眠れた?」
眠れました。でも、寝苦しくて、何度も、何度も、起きちゃった。
「もう梅雨だもの。」
梅雨。雨の季節。蒸し蒸しして、厭な感じ。窓外に降る、雨。雨。雨。一粒一粒は雨ではない?
先生、腕時計を見てる。きれいな腕。白い腕。人形みたい。マネキン。真白なマネキン。
「ねぇ、オレンジジュース、飲む?」
オレンジジュース?
「いらない?」
いる。いただき、ます。先生、立ち上がって、戸棚からグラスを取り出す。小さな冷蔵庫の冷凍庫から氷を取り出して、カラカラカラカラ、音がする。オレンジジュースを注ぐ。太陽の光よりも熱い。
「はい。どうぞ。」
ありがとう、ございます。ごくごく。冷たい。美味しい。甘い。嬉しい。
「それじゃあっと…、始めましょうか。」
はい。先生、ねぇ、先生。
「あら、どうしたの?」
先生に、質問。質問があります。
「なぁに?」
蜩が鳴いています。
「あなたの好きな、蜩ね。」
かなかなかなかなかな。蜩は、雄しか鳴かないって、ほんとう?
「あら、そうなの?先生識らないの。それじゃあ、今鳴いているのは、雄?」
雄です。雄の蜩。かなかなかなって鳴いているのは雄だけ。雌はみんな、押し黙っています。唖なんです。
「おし?」
聾唖の、唖。唖です。唖の蝉。
「だめよ、そんな言葉、使ってはいけません。」
先生、怒った。きれいな先生。怒ると、眦が吊り上がるのね。鬢がきれい。きれいな声。雌のくせに、きれいな音。雨がぱらぱら降るのと、同じ音。ごくごく。喉を鳴らす。
「じゃあ、質問はおわり?」
私がここで頷くと、いつものカウンセリングの始まり、始まり。私、そんなに変?
「もう変な夢は見ない?」
変な夢?私、変な夢なんて、見たことない。先生は、いつも、そんな話しばかりね。おとうさんに聞かされた、寝物語を、真に受けてるのね。私が殺した、たくさんの、蜩。
「どう?どうしたの?黙っちゃって。話したくない?」
首を振る。私の眼に、きれいなきれいな先生の顔が見える。幽かにほほ笑んで、そうして、私が黙ると、いつも静かに、見詰めてくるの。やわらかな、乳房。その乳房で、おとうさんを誑かそうとしている?あの女と、同じ?
「どうしたの?黙り?」
唖だもの。
黙っちゃった。怒っちゃった。カウンセラーなのに、短気。
「あら、それはなあに?」
先生が、指を差したその先に、私の魔が差した、小さな紙袋。
「私に?嬉しい。何かな?」
先生が、紙袋から取り出したのは、シアンの色した小さな箱。碧い箱。緑の箱。青酸の箱。
「きれいな青色。中身はチョコレート?」
百貨店のウィスキー・ボンボン。贈り物。食べてくださいな、先生。
「開けてもいい?」
頷くと、きれいな目が細くなった。先生、かわいい。ほほ笑んで、舌が、二叉の蛇の舌が、ちろちろ。包み紙を細い指で裸に剥くと、口元に放り込んだ。止めさせた。
「あら。どうして?」
そのウィスキー・ボンボンは特別なものだから。
「特別なもの?」
本でね、読んだの。短い小説。そのウィスキー・ボンボンには、毒が入っているの。食べると、中毒になっちゃうの。ああ、先生、止まっちゃった。返してくださいな。それは、本当は先生への贈り物じゃないんだ。
「どんな小説?」
少女ふたばよりかんばしくかなかなかの唖刺し殺す夏至物語。
「初めて聞いた。」
短歌。先生、短歌って識ってる?五七五七七、短歌。短い、詩、歌、唄。ソング。
「識ってる。大学で、たくさん習ったもの。ほとんど忘れちゃった。それに、前もそんな話、二人でしたじゃない?とにかく、その物語に、毒で殺そうとする人が出てくるのね?」
そう。青い箱のウィスキー・ボンボン。読んで、そっかぁ、なるほどって思った。だって、チョコレートは、毒殺に一番向いたお菓子だもの。
「詩杏ちゃん。じゃあ、質問。あなたは私を殺しに来たの?」
ううん、カウンセリングを受けに来たの。だって、私は心が変なんでしょう?
「いいえ。変じゃない。少し、疲れてるだけ。高校は楽しい?」
どうかなぁ。まだ慣れない。友達も、いないもの。
「授業は?楽しい?」
本はよく読むよ。けど、先生の話、ああ、先生のことじゃないよ。学校の先生の話。化粧の、女の臭いをさせた、私の先生。その先生の話はつまんない。ずっと、本を読んでるの。
「少女ふたばより」
かんばしくかなかなの唖刺し殺す夏至物語。ねぇ、先生、この本、読んでみてくださらない。とても面白かったの。
「きれいな本ね。」
緑色。黒い帯に、金の文字。きれいでしょう、装丁。
「ここにその話が書かれているのね。」
私は頷く。先生は、ぱらぱらと本を捲る。視線は、文字を嬲る。ねぇ、先生。先生は黙っててね。その本を読んで、先生はきっと真面目だから、私のことを識ろうとするよね。でも、黙っててね。喋りたいのなら、喋ってもかまわないけれど。きれいな、青い箱に詰まった、ウィスキー・ボンボン。
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高瀬詩杏の父の愛人が死んだ。私がそれを識ったのは、詩杏のカウンセリングの二日後だった。愛人は青酸中毒で死んだいう。贈り物のウィスキー・ボンボンを食べたことが、その原因だという。私は、ニュースの書かれたモニターの前で唖然となっていた。
あの短歌を詠った詩杏を思い出した。彼女に借りた本に書かれた物語。賢しい少女が雌の蜩を百匹錐で刺し殺し、猫に食べさせようとする。しかし、それが父親の怒りに触れて、尻を百叩き。そうしてその一週間後、父の愛人が青酸中毒で死ぬ。百貨店の配達員の少年が届けた贈り物のウィスキー・ボンボンを食べて。そのサングラスをかけた少年は少女のように美しかったそうな。インターフォンに、夢想から引き戻された。それなのに、夢の続きか、玄関口に、サングラスをかけた少年が立っていた。美しい少年に見とれていると、脣が揺るんで、少女めいた。サングラスを外すと、詩杏だった。顎下まであった黒髪はばっさりと、きれいに切られている。手元には、美しい青い箱があった。
「先生へ。毒殺に最適だよ。シュレディンガーの、ウィスキー・ボンボン。」
詩杏は笑ってそう言うと、私にその青い箱を手渡した。またサングラスをかけた。
少女のように美しい少年が顕れた。制服の半ズボンから、白枝が眩しかった。
昼と夜があって、影がなかった。
キャラクターイラスト/©しんいし 智歩