近未来って、今の時代からだと、2050年くらいかな、『昭和不老不死伝説バンパイア』
徳弘正也の漫画で『狂死郎2030』は鬼のように面白い漫画で、まぁ、テーマはセックスであり、舞台はディストピアであるが、その2030年って、もう5年くらいで来るのだなー、と思い、まぁ、現実はディストピアそのものであり、ユートピアは程遠い。
ちなみに、第三次世界大戦終結後5年後の日本なので、まぁ、仮に、第三次世界大戦が核戦争ならすぐに片がつくので、笑えない設定だ。
今日も嫌なニュースが世界を駆け巡っている。
『狂死郎2030』の世界では、核ミサイルで人類の80%は死亡している。まるで、合わせに来ているかのような、この感覚。
で、『狂死郎2030』よりもマイナーな作品ではあるが、同じくディストピアものの、『昭和不老不死伝説バンパイア』なる漫画も、まぁ、どちゃくそ面白い。
『狂死郎2030』は全20巻だが、『昭和不老不死伝説バンパイア』は2部である『近未来不老不死伝説バンパイア』と合わせても全10巻なので読みやすい。
宗教、戦争、セックス、これらは、不可分であって、そもそも、この世に生まれ落ちるためにまずは競争があり生き残るのは一人だけ、そしてこの世でも奪い合いの競争である。子種だけではなく、金、領土、地位、権力、欲しいものは無限にある。
『昭和不老不死伝説バンパイア』は、比丘尼マリアという女性が主人公、バンパイアであり、不老不死である彼女を巡って、戦争、宗教、セックス、それらが全て交錯する、練り込まれたストーリーが楽しめる。
比丘尼とは尼僧のことで、八百比丘尼という、人魚の肉を食べたことで不老になった尼の伝説がある。不老、というか、800年生きて、その後消息不明、的な、なので、八百比丘尼なのだが、全国各地に伝承が残っている。
八百比丘尼、と、いうと、やはり、『火の鳥』の異形編、あの傑作短篇(中編?)を思い出す。タイムループものだが、傑作、やはり、手塚治虫は天才だ。
私は、『火の鳥』は太陽編、異形編、それからやっぱり鳳凰編が好き。まぁ、全部面白いのだが。
然し、人魚、それから吸血鬼、と、いうのは、まさに不老であり、汎ゆる伝承、物語に登場してくる、スーパースターなわけだが、比丘尼マリアはそこにマリア様の御名を戴いている。
マリアは長い間、ずっと不老不死を狙う人間と闘いながら生き抜いてきて、現代日本、連載開始頃の2004年頃だが、再び不老不死を狙う人間と闘うため、超能力に覚醒した少年と共に闘うのだが、マリアを守るために作られたマリア会なる新興宗教団体による軍事クーデーターにより、日本はディストピアと化してしまう…。
基本的には主人公はマリアと覚醒者の昇平なのだが、悪役である十文字篤彦の心情や行動を丁寧に丁寧に描き、実はこいつが主役、みたいなものである。
『近未来不老不死伝説バンパイア』はもはや独裁主義国家みたいになってしまった日本、冒頭から、ノコビリ引きの刑(そういえば、今月観た『十一人の賊軍』でも、山田孝之が寸でのところでノコビリ引きされるところだった。あの時の山田孝之の顔芸、良かったなぁ)で晒されている犯罪者がいたりと、ウルトラに残酷と暴力、統制が罷り通っている世界で、まぁ、恐ろしい。
で、そんなバンパイアシリーズで、良い感想が。ここに掲載させていただく。
私は、この感想を読んで、物凄く共感を覚える。
『昭和不老不死伝説バンパイア』や『狂死郎2030』を読んで覚えるのは不安だ。戦争、宗教、独裁政権、それらのような不安が、作品を通して迫ってくる。日常、というもの、特に、日本における日常、という当たり前のようで実は脆い足場が壊れた時の、そのような恐怖を、創作の世界で見せてくれる。
『ベルセルク』の生誕祭の章において登場する娼婦のニーナ、彼女は怖い怖いといつも逃げて、我が身可愛さに仲間を簡単に売る。彼女は、生きることに必死なのである。痛いことはいやだし、怖いこともいやだ。そんな彼女は、最終的に、とんでもなく危険で怖い目にあって、それでも自分は血を流していて、それは熱い、自分は生きている、「怖い」とは「生きたい」ということなんだ、と気付く。
恐怖、とは、生命の根源的な感情であり、それが闘争を招くのは皮肉なことだが……。
不安は、平穏の中にいるからこそ産まれる。
徳弘近未来漫画は不安を与えてくれる。不安の扱い方は人それぞれであるが、漫画は、幸いにも現実ではない。現実を予見、或いは現実を描いてはいても、その不安はまだ起きてはいない(多分)。これから起きるのかもしれないし、或いは、怒らないかもしれない。それはわからない。
漫画を読んで不安になるのは嫌なものだが、然し、考えることを教えてくれる一助になるのは、優れた漫画の条件であり、ここにはそれが埋まっている。