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主人公は血統主義

貴種流離譚という言葉がある。

まぁ、やんごとなき御人が放擲されて、市井の人々の元で暮らし、旅を経て、立派な人と成り、故郷に帰還する、などの英雄譚の雛形である。
これは世界各地で存在していて、多分腐るほど研究や論文が進んでいる話で、映画だと『スター・ウォーズ』や『ロード・オブ・ザ・リング』などがあるし、小説だと多すぎてワケワカメ。

これに近い感覚でいくと、少年漫画も貴種流離譚の流れを汲むものが多い。
それも、親がすごい、という、エリート志向のものが多いようだ。

『ワンピース』のモンキー・D・ルフィは父親が革命軍の大ボスドラゴンであり、世界的な犯罪者である。然も、Dの一族としての血統もあるのだろう。

『HUNTER×HUNTER』のゴン・フリークスの父親は、世界で五本の指に入る伝説的なプロハンターのジン・フリークスである。

『NARUTO』のナルトは父親は四代目火影という超優秀な忍びだし、『幽遊白書』の浦飯幽助は大隔世遺伝として、魔界の闘神の血を引いている。

ドラゴンボールの悟空は設定としては『スーパーマン』と同一なので、少し違うが、然し彼は故郷を亡くした流離いの民である。

とにかく、親がすごい、というのはよくあることで、これがなくても、才能は間違いなく、ある。

主人公、というのは、主人公になるべく運命が定められている。
そして、そうでなければ、神話、或いは物語を牽引することなど、出来ないのである。
政治家も、世襲が多い。貴族たちである。
全て、世界は選ばれた人間が操作している。
まぁ、作品を創る上で、その世界の重役と繋がりがあれば、作劇を組みやすいという、作者側の利点もあるだろうが。

大多数の人々は、市井の人々は、脇役なのである。
だから、物語というものに惹かれる。自分には、物語がないからである。
壮大な物語の中に自分がいれば、誰も物語を求めない。

週刊少年ジャンプは、友情・努力・勝利が重要なファクターだが、本当は血統・才能・勝利が重要なのであって、ここに皆子どもたちは憧れるわけだ。
皆が万能感を持っていて、天上が見えていない。自分の立ち位置が見えていないのだから、自分を主人公に重ねるのも無理はない。酷な話である。

少女漫画も同様に、貴種流離譚ではないが、主人公の願望の亜流の塊だ。
冴えない女の子が、なぜか学校のイケメンや優秀な男の子、またはアイドルなどに恋される。
そして、主人公は、自分では冴えないと言っていながらも、本当は美少女なのである。なんだこれ。

そうして、成長していくと、青年漫画にシフトする。ここでもまだ特別感のある俺、という願望は捨てきれない作品は結構あって、少なくともヒロインは美少女である。世界の命運は動かせなくても、恋愛の主人公にはなりたいし、仲間には一目置かれたいわけだ。

社会人向けの漫画になると、我は大分減るが、それでもやはり、見てくれる人は見てくれる俺、というのは捨てきれない。
けれども、人間関係は大分さっぱりして、基本的には先陣きって戦おうとはしなくなる。

物語がないと、人はやっていけない。物語とは、憧れを指す言葉なのだ。



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