少女ふたばよりかんばしくかなかなの唖し刺し殺す夏至物語 〜塚本邦雄の短歌からの聯想による〜
1-8
五月一日(金) 晴れ
あの女の誕生日。おとうさんは、あの女に何をあげたんだろう。あの女に、何を与えたんだろう。
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膨大な命を処理してきた。
罪悪感はある?
ない。いや、夜になると、彼らの声が耳を貫くようだ。
それが罪悪感。
フクロオオカミを識っているか?
絶滅した?
そう。人間に一匹残らず狩られた。でかい口を開ける。それが不気味だと罵られた。怖ろしいことだと思わないか?忌み嫌う姿形だと、それだけで絶滅に類する罪に値するんだ。
それだけが理由じゃないでしょう?
そうだ。だが、そういうつまらぬ、小さな、所謂、不快、その感情が、死まで追いやる一番の源なんだ。
差別も?
いじめも。
気に入らない、その気持ちが絶滅まで招くっていうこと?
絶滅の理由はそれだけじゃない。いくつもいくつも考えられる。最大公約数的に考えるのならばやはり利害関係になるだろうが、おぞましい、それが理由になりえることもあるものだよ。
人間をいじめで自殺させるのも、動物の全滅も、根源の感情は同じ?
同じだろうな。自然サイクルによる淘汰以外で、他種を絶滅まで追いやる生物はほぼいない。
その一員であることが怖いの?
度し難いと言える。俺は快楽を享受しすぎている。
自分から快楽を覗き込んでいる。
とも言える。なのに、卑近な人間の感情を蔑ろにしている。
それは私も同罪?
いや、俺だけの罪だろう。君の罪は別種だと思う。
死刑に値する?
国が違えば。或いは時代が違えば。制度が違えば。
今の世間では罰せられることはない?
どうだろうな。時流次第だろう。だが、俺が言いたいのは詩杏のことだ。
詩杏ちゃんの感情?
あいつも高校に上がった。
もう女ね。
まだ子供だろう。
すぐに結婚も出来る。
結婚出来れば大人?
セックスをしていても子供。
あいつの性の遍歴には興味はない。妊娠さえしてくれなければ。
なぜ?もう子供も作れるのに。
教育者に相応しくない言葉だね。
詩杏ちゃんは、私を憎んでる?
恐らく。いや、間違いなく。でも、もう君の話はしないよ。
されても困る。
もう会ってないと思ってるかも。
美月さんは?
それこそ、もう何年も、会ってない。それは、本当に。
罪悪感はある?
さぁな。
あるでしょう。なんだかんだ、格好つけたところで、あなたの罪悪感の根源は、多分、そのことでしょうね。
どういうことだ。
動物たちのせいにしているけれど、それは体の良いスケープゴート。本当の罪は、会うこともしないこと。しようともしないこと。
お前は俺の全てを識った気になっている。俺に抱かれただけで、俺の心も掌握した気になって、勘違いしている。
人間って漢字。
人間って感じ?
人間って漢字は、人の間。あなたと美月さん、あなたと詩杏ちゃん、美月さんと詩杏ちゃん。そういう間が、一番、あなたという人間を浮き彫りにする。
そういうことを、授業で教えるのか。
たまに。その輪に実際に入ると、トライアングルを形作る一つになると、実はわからなくなる。
心の何処かで線を引くか。
そう。そうして、そこから覗くの。安全圏。
人間関係に安全圏なんかあるのか。
いいえ、全てが危険地帯よ。でも、危険の度合いも場所に寄って変わるからね。
すぐさま地獄に急降下することも。
往々にしてね。
授業中、そういう話しをあいつはどんな顔で受けているんだ。
私も大概厭な女なのよ。他の子は大抵は生娘だから、芋なんだけど、あの子はあなたのことがあるでしょう?だからかな、鋭い、錐のような目をして、私を見てくるの。
それに興奮する?
イカれてる?
往々にして。
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Twitter中毒。或いはSNS中毒の女。ネット上では架空のアバター。
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詩杏のくれたアドレス。震える手でタイプしていく。怖い、というよりも、遥かに好奇心が勝っている。自分の心がどうかしてしまったみたいだ。確認し、enterキーを押した。真っ青な画面。詩杏の顔。詩杏の指に摘まれたウィスキー・ボンボンの作り方。少女のように美しい少年の青い目。
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六月十九日(金) 雨、雨、雨、雨、雨。また雨。
かなかなかなかなかなかなかなかなかなかかなかなかなかなかなかなかな。
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六月十日(水) 雨
阿婆擦れが。
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五月七日(木) 曇り
きれいな花。この診療所、若木の木の下に咲いた、青い花。
オオイヌノフグリ。
調べてみると、犬の陰嚢。種が似ているって。探した。見つけた。拾って掌に転がすと、ああ、ほんとうに、男の人の印そのもの。
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先生の好きな映画は?
そうだなぁ。『暗殺の森』、とか?
あんさつのもり。
そう。イタリアの映画。ずっと昔のね。映像がきれいなの。
あんさつって、あの暗殺?
そう。暗殺。とても美しい暗殺シーンがあるの。森の中でね。
美しい殺人?
そう。美しい殺人。殺人が美しいなんて、言っていいのかどうか、わからないけど。
美しい殺人。
うん。美しい殺人。
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クライアントが怖い。同時に美しい怖さでもある。錐で刺すように、青い目が私を刺す。
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ー人間至上主義がお嫌いだと。
ー好きな人間がいますかね。まぁ、大抵の人間は好きか。それとも当たり前の価値観か。
ー現に、人間はこの世界を支配しています。
ー破壊の力があるだけでしょう。他の生物よりも遥かに。
ー人間に太刀打ちできる頭脳を持つ生き物はいませんよ。
ー人間に太刀打ちしようとなぞ、そもそも思ってもいない。
ーじゃあ博士は将来、人類はどうなるとお思いですか?
ーどうなろうが知ったことではないが、一つ言えるとしたら、いつかは滅びるでしょうな。
ー何によって?疫病?戦争?隕石の衝突?
ー全てに可能性が。併し、我々も井の中の蛙なのかもしれません。
ー井の中の蛙ですか。
ーええ。他の動物ー、例えば昆虫。蟻塚を見たことは?彼らは数百万という夥しい数でその栄華を享受しています。彼らは識らないだけで、すぐそばには超高層ビルが郡立しているわけだ。その高層ビルを作った連中は、必要に迫られるか、たまたまの残虐性に背中を押されるかしないと、そんな蟻塚など放っておきます。だから放っておかれている間は、蟻は自分の栄華を疑わない。まぁ、天敵の存在は身体に本能として埋め込まれてはいますが。その蟻塚を、美しい王国を、ある日突然、我々のさじ加減一つで破壊されることがある。数百万の夥しい死です。私たちも同じかもしれない。栄華を誇っていると高を括っているのは人間だけで、本当は虎の腕で眠る赤子と同じかもしれない。少し彼らが我らに目を向けたら、その死が決まるようにね。
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五月八日(金) 雨
おとうさん、パパ、どちらも同じ。呼び方が違うだけ?パパは親近感がある。おとうさんは……、何だか照れくさい。どうしてだろう。みんな、なんて呼んでるのかな。合唱団のみんなは、パパ、パパ、ほとんどが、パパ。私は、おとうさんの方がいい。なんでだろう。そっちの方が、すごく近い感じがする。
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つまり、この部分、奥様の脳幹の部分は生きているということです。脳幹は、自律神経に深く関わっています。味覚や聴覚や嗅覚はもちろん、幻覚もこの脳幹が司っている。大脳や小脳と脊髄を繋ぐ神経が詰まった場所だと、大雑把には考えてもらっていいでしょうか。脳幹がその人間が人間であることを確立し、機能させている中枢のようなものです。奥様は正面からの巨大な衝撃を受けて、そのまま側頭部を強打しましたが、その際、奇蹟的に、と申しましょうか、脳幹は無傷に近い状態だった。しかも、その全てが完全なほどに。全脳死の状態は、言ってしまえば心臓は生きてはいますが、意識は回復しません。呼吸も自力では出来ない。詰まるところ、ただ心臓が生きているだけ。日本における一般的な死の概念、所謂心臓停止の三兆候は、一つ、心拍動の停止、二つ、自発呼吸の停止、三つ、対光反射の喪失・瞳孔散大と言われています。全脳死はこれらに当てはまる。そして、ああ、ここからはその人の死生観が大きく左右する話だと思います。あなたがどのように死を、生きている状態とは何か、ということを捉え考えているのか、それは人により大きく溝を設けてしまう話です。ですが、今の奥様の状態から考えますと、私の意見を申し上げても差し支えはないでしょう。私は全脳死はもはや人間としての死だと考えていますが、脳幹死は違うと考えています。それは、意識が回復する可能性が0ではないということと、自分で呼吸をしているということ、何よりも、人間として生きる上で欠かせない感覚を持つ機能をまだ有していること、これらが揃っているからです。このような例えを使うと不謹慎だと言われることも多々あるのですが、ある種眠り姫のようなものかと考えています。蛹、とも、繭、とも言い換えてもいいかもしれません。今はまだ眠っているだけで、すぐにでも目覚めるのです。そうして、目
覚めて、また愛する旦那様を、乙女心に、幼心に戻って、見詰めるかもしれません。そのような奇蹟が、万分の一で起こるのです。ですから、気を強くお持ちください。今はまだ眠っているだけです。蛹が殻を破るように、奥様は、あなたに向かって、また美しいほほ笑みを向けることでございましょう。
キャラクターイラストレーション ©しんいし 智歩