セシルの女王
本日、ジャケ買いで購入した漫画。
読んで驚いたのはエリザベス一世にまつわる話だったことで、偶然とはいえタイムリーだなぁと思いながら読んだ。
16世紀のイングランドを舞台にした物語だが、主人公の衣装担当宮内官の息子であるウィリアム・セシルの少年時代が描かれる。
彼が父親に連れられて向かった城に待っていたのは、暴君的なヘンリー8世と城内政治に明け暮れる貴族や妃や妾たち……。
王妃であるアン・ブーリンと親しくなり、彼女のお腹に宿る命こそ自分が仕える王なのだと忠誠を誓う。誰もが王子を望む中、産まれてきたのは女の子だった、というのが1巻のあらましである。
読んでいて、最近読んだ『レッド・ムーダン』のヨーロッパ版かい!ってなくらいの宮廷内での女の闘いが描かれる。
女性、という存在がまるでゲームの駒のように、欲望や権力のためだけに利用されている世界に、セシルは幻滅していく。
アン・ブーリン王妃はセシルを可愛がるが、それは12歳の少年だからであり、彼の精通が始まり、男として成っていくと、いずれは獣へと変貌することを彼女は理解している。
少年時代は、誰しもが勇者であり、賢者であり、そして紳士である。この紳士たることを継続していくのは並大抵のことでは出来ない。
人は生きていかなければならない。そして、その生きていかねばならない世界は感情と差別、そして金(権力)で構成されている。
権力は人を獣に変え、男性性、女性性、それぞれの卑しい部分を肥大化させていく。
誰もが自らの欲望に堕ちて、何時しか他者を傷つけることに抵抗が無くなっていく。
女性がプライドの高い男性たちを統べる時、それは並大抵の胆力では務まらないことだろう。多くの作品では、そういう女性は強い男性性をまとった姿で描かれている。
創作の世界で言えば、『風の谷のナウシカ』のクシャナ姫であるだとか、『もののけ姫』のエボシ御前であるだとか、『火の鳥/異形編』の八百比丘尼なども強い女として描かれているが、彼女たちは皆、世の中の不条理、男社会のえげつなさ、それに加担する女たちの醜い争い、何よりもそれによって苦しめられている弱い人、少年少女、愛する人達の労苦を知っている。
彼女たちは優しいのである。だから強い(って、『バガボンド』の沢庵和尚が言ってた)。
然し、やはり世の中諸行無常。
世界は人一人が吠えたところで往々にして変わらない。挫けそうになる。
だからこそ、一番に大切なのは、女性だろうが男性だろうが、友人を持つことである。
友人に勝る宝というものはない。
性別を超えたその先ですら、支えてくれる友情に勝るものはない。そして、友情というものは、時として階級差すら超えるものである。
1巻ではエリザベス一世が産まれて、赤ん坊の彼女に向けて、セシル少年はささやかな誓いの言葉を告げる。
このラスト3ページは大変に美しいので是非読んでいただきたいのだが、今後、セシル少年がこの誓いを、少年の眼差しと勇気を持ち、自己の獣との闘いにどう立ち向かっていくのか、非常に楽しみな漫画であり、大変オススメである。