タルホと月18 七月の夜の京都と神戸の空
最近購入した本、まぁ、本というよりも、ZINEになるのだろうか、1996年に発売された『パルシティ』の3周年記念特集号。2冊ある。
モダン・タルホ・クラブから発売されたこの冊子は以前からずっと探していたものであり、これを手に入れたときの感動といったらない。
偶々入手できたので、こういうのはタイミングが重要である。探していても見つからないときも多いし、運と根気がものをいうのだ。
定価は1,000円。非常に手の込んだ冊子で、『pallcity 第2号 モダン・タルホ・クラブ生誕3周年記念号』とある。02-①、02-②とあって、もう2冊00号、01号があるのだが、それはまだ入手できていない。
この装丁は、おそらくはタルホファンの手掛けた最も美しい装丁ではあるまいか。
古書では6,000円だったが、まぁ全然許容範囲、むしろ安い。
モダン・タルホ・クラブは熊村貴志雄が発起人の1人であり、1993年に産声を上げた。そして、この3周年記念号を持って解散したのである。
梅木英治氏の銅版画が表紙にあしらわれているが、梅木英治氏の世界は足穂世界に異様にマッチしている。
稲垣足穂を描く作家といえば、まるのるうにぃ、大月雄次郎、建石修志、亀山巌、等など、まさに足穂世界を抽出したかのような作家に恵まれている。コラージュであれば、野中ユリ。
梅木英治氏の作品においてはー、『一千一秒物語』の世界観をここまで具体性を持って見せているのはないように思えて、一番好きな作家である。
梅木英治氏の銅版画が表紙に選ばれたのは、彼が当時発行してた同人機関誌『魔羅』の装丁を手掛けており、この『魔羅』の発行人と熊村氏が知遇を得ていた縁である。
この『パルシティ』はタルホ好きならば首を何度も縦に振らざるを得ないほどに素晴らしい充実した内容になっており、実際、限定300部の少部数のこの冊子はたちまち売り切れてしまい、見本なども出払い、現存するのがどれほどあるのかわからないが、まぁ稀覯雑誌には違いない。
で、このZINEをパラパラ捲っていると、1996年、という編まれた時代、つまりは、『トイ・ストーリー』の第1作目が公開されて、子供の私は虜だった時代、そのような空気感が冊子に封じ込められていて、妙な心地、所謂郷愁に囚われる。
私においては郷愁は京都にあって、その京都、然し、タルホの神戸にも、何故か郷愁を感じる。この不思議な感覚。つまりは懐かしい未来、所謂『ブレードランナー』における雨降りしきるロサンゼルスの夜景、乃至は『ブレードランナー2049』における、フランク・シナトラの歌う『one for my Baby』のメロディ……。それらに通じる、哀しい何かが胸に去来するとき、その感覚こそが、瞬間だけ芸術として花開くことの不思議。
先日、神戸トアロードにある、ギャラリーロイユで開催されていた『地上とは思い出ならずや稲垣足穂』を鑑賞に行った。
これは、先に記載した作家たちのタルホオマージュの作品群の展覧/販売会である。私が訪ったとき、それは六月であり、夕方であった。なので、六月の夜の神戸の空がそこにあった。
ギャラリーは、トアロードの横丁にあって、そこにはおシャンテイな店が建ち並んでいる。いいムードである。まさに、『星を売る店』の世界観であり、なんだかんだ、今は令和の時代であるけれども、タルホの時間を超えた世界の匂いがそこかしこに漂っている。
ギャラリーロイユはマンション的な、雑居ビル的な場所に入っている。まぁ、私が時々パトロールに行く京都のアスタルテ書店同様、完全に一見さんお断りの空気がビンビンしている。
アスタルテ書店は訪うと、大抵は人がいないので、物音一つ立てるのに緊張を要するのだが、然し、あそこの静けさ、選ばれた蔵書たちの美しさは筆舌に尽くしがたい。なんとも高貴な香気を放っていて、まぁ主に耽美派が主流ではあるが、三島、バタイユ、生田耕作、澁澤龍彦、あたりの品揃えは抜群だ。
で、私はこの展覧会で、大月雄次郎氏の『キネマの月』の絵をいたく気に入ったのだが、880,000円という金額に、無論、ああ、美しいなぁと眺めるばかり。けれども、私以外誰もいなかったため、このように美しい絵を間近で眺めることができて、至福のとき。
まぁ、冷静に捉えると、あの絵が880000円というのは頗る安いと思われる。そして、大月雄二郎氏の『一千一秒物語』も売られていたが、これも稀覯本で、赤い装丁のものは識っていたが、青色は初見だった。青色は非売品とあるので、何らかの特装版であろうか。赤色版はなんと30万円の値だったが、これは数カ月前にネットで15万かそこらで売られていたので、まぁ、その辺りが妥当だろう。
他にもたくさんの絵に既に赤丸のシールが貼られていて、既にたくさんの絵が交渉中か売れているようだったが、世の中にはお金持ちがいっぱいいるのだなぁと……。
然し、こういうタルホ的な世界、つまりは神戸の世界に触れるのは私にとり大切な時間であり、そして、同時に京都の町並みに其処此処で現出するそれと似た時間、そういうものにも、私はひどく取り憑かれている。
然し、この展覧会には行けてよかった。本当に時間がなく、滑り込みセーフだったが、素晴らしい眼福の時間。