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私の好きな小説

非常に書店で探す時に恥ずかしいタイトルだが、その御名前だからしょうがない。
購入する人は何も悪くない。
『ペニス』は津原泰水氏の傑作小説である。

今作は、まずはウルトラに分厚い。そして、濃厚である。胸焼けがするほどに、様々な表現や演出法が散りばめられている。
元々、2001年に刊行されて、2020年に文庫として復刊された。
話は、井の頭恩賜公園のEDの管理人が、少年の死体を発見し、それを管理事務所に隠匿するという軸があって、そこに、この管理人の妄想に、様々な登場人物の織りなす狂態が入り混じり、一つの幻想が形作られる。
この世界の井の頭恩寵公園は、雨模様で、そこは魔界へと変貌する。死体である少年も、可愛い少年ではないのがミソである。

今作の管理人は、誰にも見せずに大著を書いていて、それを編集者の女に読ませるシーンが出てくる。編集者の女が作品の意図や、この異常な大著がまだ完成しておらず、そこから仄かに見える管理人の天才に驚きを隠せずにいる描写、然し、これは全てどこまでも妖しい空想でしかない。
作家を夢見るものは、自分の書いているものが、数多くの文豪と並ぶものだと確信している。正しく、確信犯である。或いは、エンターテイメント作家達と実力は並ぶものであり、新人賞を獲り、文学賞を獲り、雑誌のインタヴューでしたり顔で受け答えをする。そして、Wikipediaに自分の項目が書かれるようになることまでがセットである。そのような恥部が、このシーンでは溢れている。
然し、書いている津原泰水本人はまさに天才の煌めきとも言える文才で、
とにかく読ませる。何たる美しい文章。

私は、津原泰水の書いた『少年トレチア』で、1人の男が投身自殺を図る雨のシーンが好きだ。ここで、津原泰水は男が落ちた後の静寂を、文字通り書かないことで書いている。雨がさーっと降るシーンは、その描写を既に敷いていれば、書かないことが最大に、その光景を浮かび上がらせることになる。
このシーンは見事である。
また、妻の不倫現場を目撃した男が、浮気相手の一物に包丁をあてがうシーンの張り詰めた緊張感と熱気にまみれた部屋の空気感など、とにかく一文一文が組み立てる小説世界の醸成方法は、あまりにも素晴らしい。
文章の感覚、一文の置き方、大変勉強になる。

私は、現代を生きる日本の小説家では、津原泰水氏だけが好きである。心から素晴らしいと思える。
無論、私には識らない小説家も多いから、きっと出逢えば好きになる人もいるだろうけれども。

今作『ペニス』では、EDの主人公が、少年の死体と共に生活をするわけだが、その死体を隠すために購入した大型冷蔵庫が雨降りしきる公園の管理事務所の中、低音の電子音を上げる光景……。
そのような幻視とも言える光景を書ける人こそが、小説家といえると思う。
幻視させることが出来るか、否かである。

小説家と作家とは違う。作家はエッセイも含まれる。
詩人、作家、歌人、俳人、それぞれ違う。小説家もまた違う。
小説家と名乗るのならば、汎ゆる手段、文体を持ってして、世界を構築すべきなのである。
世界の構築にこそ、命を賭ける。それが小説家である。
私達は、小説を読むことで、一つの超現実を覗き込む。
それがないものは、小説未満である。

『ペニス』はその後、『ペニス』のようなものを、と頼まれた津原氏が、『バレエ・メカニック』という美しい小説を書く、その雛形である。
『ペニス』における管理人はチャイコフスキーを偏愛し(彼が同性愛者であることも重要である)、『バレエ・メカニック』の主人公である造形作家の木根原は、モーツァルトを聞いていた。
クラシックの旋律が、どちらにも響いている。


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