小説呪術大戦
別冊『太陽』の『呪術の世界』特集。
呪術、太陽。
呪術、と、いえば、廻戦、であるが、本当の呪術は恐ろしいのだ。
呪術、と、いえば、丑の刻まいりがあるが、私は、昔、ボーイスカウトをしていた頃、あれは、16歳くらい、ベンチャースカウトになっていたと思うが、通過儀礼的に、山中で一人一泊、という、暗黒の課題を強制された。
三月くらいで、めちゃくちゃに寒く、一人でテントを立てて、飯を食い、後は寝るだけだ。夜に一人で物思いに耽り、未来を考える、そのような意図があるのだというが、そのようなことは夏にするべきで、春山は寒すぎて、思考が停止する。私は、靴下を二重にしてシュラフに入り、ガタガタ震えながら、断続的に睡眠を取った。寒すぎて、10分くらい寝ては起きる、寝ているのかいないのかわからない、外には何か野犬の物音、そのような夜。
明け方、迎えに来た隊長に、面白いものを見せてやると言われて、山中を少し登った所、立ち並ぶ木々の裏手を指さして、
「これ見てみ。」
木に深々と刺さった五寸の釘の先には顔面貫かれたる女性の顔、写真が一葉、雨露に濡れている。
これが丑の刻まいり……。16歳の若者にそのようなものを見せるなよ、と思いつつ、私は、深夜に一人、白装束を纏って周囲をちらちら見回しながら、丑の刻まいりに来る女の顔を幻視していた。何故か女性を想像したが、男性かもしれない。
然し、けれども、そもそも、こんな山奥に一人で(多分)来て写真に五寸釘を打つ、そんな行動を取る方が怖いし、恨みと怒りが恐怖を凌駕しているのだろうか、万に一つでもその現場に出くわしたらと、眼があったらと、そう思うと、怖くて堪らない。
丑の刻まいり、と、いえば、車谷長吉。芥川賞候補になった作品、『漂流物』があえなく落選。審査員は、寸評で、色々なことを言いたい放題、書いている。こうだから駄目だ、筆力はあるが、とか云々。車谷は怒った。激怒した。
そして、選考委員9名、その名前を書いて、呪い殺すために、丑の刻まいりを実行した、と作品に書いてあるが、実際には創作だったと思うが、然し、それでも、怒りの矛先、ターゲットを明確に作品に書くのはなかなか恐ろしいことだ。
私小説なので、本当だと思う人も多いだろう。最早、何が真実かはわからない。
実と虚、こそ、カーバレーロングラッキーの小説における重要要素、というよりもマストなものなので、これも虚と実入り混じり、実行はなくても妄想を不特定多数が読む作品に落とし込むのはなかなかのこと。
選考員は錚々たるメンツ、大江健三郎、日野啓三、古井由吉……エトセトラ。
まぁ、そもそも選考委員というものは、責任重大なのである。よく、M1グランプリで審査員など引き受けたくない、という芸人さんがいらっしゃるが、まぁ、そりゃあそうだろう。何せ、一晩で、コンビの運命、人生を変えてしまうわけだし、慎重にもなるだろう。
漫才などは、審査基準が明確ではないし、何せ、日本全国2000万人くらいが観る番組なので、視聴者ごとに何をもって面白いとするのか、面白さの基準は異なるわけで、審査員とは価値観が違うのであれば、納得がいかないこともあるだろう。まぁ、ある程度は共有する価値観としてのラインはあるだろうが。
まぁ、とにかく、審査員は、漫才だろうと、小説だろうと、必然恨みを買うのである。誰もなりたがらないのは当然のことだ。勇気のいることなのだ。
然し、人間の恨みのパワーとは凄いものだ。希望、夢、情熱、それらで世界は廻転しているのではない。
基本的には、恨み、怒り、憎しみ、嫉妬、自己保身、それらの欲望が世界を廻天させている。