夜が明けるまで書き続けろ。けろけろ。
井筒和幸監督の映画が好きである。好きな人は多いと思う。
その中でも、私の好きな井筒映画について。ごく個人的、井筒映画四天王を語りたい。
やはり、これはもう、『ガキ帝国』、『岸和田少年愚連隊』、『パッチギ!』、『ヒーローショー』の4本である。
青春映画、それも、吉本芸人(『パッチギ!』は違うが)が主演している作品がやはり最高である。
まぁ、私はあまりにも観たくて観たくてたまらない、『ガキ帝国/悪たれ戦争』を観ていないので、もう、なんとも言えないが、この4本、何度観てもいい。まぁ、『ヒーローショー』は重い。すごく重いので、観る人を選ぶ。
MOVIX京都で観た時、あまりの傑作ぶりに腰を抜かした。2010年のことだ。今からもう14年も昔のこと。私は、ジャルジャルをこの時に強烈に意識したものだ。
だから、その次の作品の、『黄金を抱いて翔べ』には期待袋をパンパンに膨らませて劇場へ走った。
劇場へ走れ!そういうコピーがある。惹句がある。文字通り、私は劇場へ走った。客席は混んでいた。そう、ブッキーが出ていたし、キャストは豪華だった。
私はノワールが好きだ。暗黒映画、フィルム・ノワール。
私は、馳星周が好きだ。『不夜城』、『漂流街』、『夜光虫』、『不夜城Ⅱ 鎮魂歌』、傑作しかない。
『ダークムーン』、『雪月夜』、『煉獄の死徒』、『マンゴーレイン』、『弥勒世』、『楽園の眠り』、『奴らを高く吊るせ』、
『不夜城Ⅲ 長恨歌』、ぜーんぶ大好きだ。然し、『黄金を抱いて翔べ』は個人的にはそこまでは好みではなかった。
ヒリヒリしたかった。大谷のように。翔平のように。然し、結句、それは私にもたらされることはなかった。
それから数年間、新作はなく、その後、急に、『無頼』なる、長い長いヤクザ映画を撮った。
何か、こう、『グッドフェローズ』とか、『レイジング・ブル』とか、そういうのがやりたいのかナ?と思ったが(井筒監督は『レイジング・ブル』を愛しているので)、まぁ、長い長い映画で、主演の松本利夫が、子分に「この家やるよ、年玉だ。」という台詞を言っていて、それが今尚、耳に谺している。
年玉だー!名言だ。お年玉、大人になってもお年玉をもらう業界はある。私は、落語漫画の『どうらく息子』で、お正月に前座が二ツ目の先輩方、真打ちのお師匠たちからお年玉をもらうシーンが好きだった。毎日毎日辛い辛い前座働き、でも、お正月は暖かいお年玉。たくさんのポチ袋をもらう、あのシーン。お年玉には夢があるのだ。そう、諭吉、今ならば栄一だが、万札をくれる大人は尊敬に値する。5千円札もなかなかだ。だが、3,000円でお茶を濁そうとする、そんな不埒な輩は赦さない。子供心にそんな風に思っていたけれども、愚かなことだ。その3,000円ですら、この暗黒大陸も真っ青の地獄という現代日本社会で四面楚歌になりながらも毎日必死こいて自尊心を擦り減らしては物陰で涙し毎週日曜日にちびまる子ちゃんが始まる前にはもう家に帰ってしまいたいここは既に家なのに……。そんな思いで働いて、やっと手にしたお給金、年に一度の晴レノ日だ、子供の笑顔もみたいもの、ってなもんで、ポチ袋を購って、ほら、これが大人の威厳ってもんよと威勢よく「年玉だー。」と渡した3,000円、そんな風に思われてちゃ泣くに泣けねぇよ。
で、この映画のあとは新作はない。まぁ、然し、こう、常にホームランは打てないのである。
『ゲロッパ!!』や『パッチギ Love&Peace』、『のど自慢』シリーズなどは私はあまり好きではないが、然し、『岸和田少年愚連隊』なんかは、もう、何度も何度も観ちゃう。あんな中学生おらんやろと思いつつも、何度も何度も観ちゃう。なんだろう、あのパワー、というか、あの、出鱈目なエネルギー、とにかく、エネルギーが全然剪定されてないから、もう映画の中で伸び放題、どころかブラウン管(いつの時代よ)の外にまではみ出しちゃのだけれども、それがいいのだ。
『ガキ帝国』は映画も好きだが、それよりも本人の自伝本に書かれていた、
京都東映撮影所まで初稿の『ガキの愉しみ』の題の分厚いシナリオを持っていって、読んでもらったはいいけれども、プロデューサーに「君が映画青年なのはわかるんだけどねぇ……」とけんもほろろで相手にされず、上気した頬で太秦から京都駅まで黙々と歩いたというエピソード、うーんいいなぁ。
今にみとれよ、と、この前の車谷長吉の直木賞受賞の時の心境じゃないけれども、この、大成する前の若者の滾る血潮、認められない悔しさ、こういうエピソードはすごい好物だなぁ。
映画の脚本にせよ、小説にせよ、多くの志望者がいる。世の中には、その世界で食っていきたい!成功したい!という人が山といる。
無論、その中で芽が出るのはわずかだろうけれども、夢を追いかける日々、それ自体、かけがえのないものだろう。
タランティーノだって、29歳までヴィデオアーカイブスでバイトしながら脚本シコシコ書いていたし、いずれにせよ、書き続けることでしか、道は開けないのだろう。
車谷長吉は、どんな時でも一日一行書くことだ、と言っている。そうだ、常に、一行は書く。常に。うんこ、でも、ザリガニ、でもいいから、言葉を紡ぎ続ける。一日一行書けば、一生に1冊は書き上げられるだろう。
火種は魂だ。ガソリンは己の中にしかないのである。