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私は私でしかないのだから

世の中には優れた傑物がたくさんいる。

文章でもそうだ。なので、人は文章の巧い人を崇めて、神棚に置き、文豪と呼ぶ。

文章の上達に必要なのは真似をすることだ。パクリではない、真似である。
パクるのはよくない。と、いうよりも、パクリや盗作というものは基本的には自分の書いたものが評価されているわけではないので、それで褒められて嬉しいという感情や感覚が私には理解できないが、パクる人は結構多い。
パクリ、盗作、というのはどんな世界でも存在する。プロの作家でも多い。少し調べれば出てくることばかりだ。一度パクると、その人自身いくら頑張って自分で仕上げても、パクリだと思われる。御自分が最終的に損をするのである。

そうまでして皆に振り向いてもらいたいのだろう、哀れなものである。
パクリ、とは他人様の書いたものを、自分が書いたものとして発表することで、この広大なネット界隈には、「まさかこんなものは識らんだろう」、という物まで読んでいるツワモノ、化け物が巣食っている。
いや、巣食っている、というよりもそういう色々なツワモノが集い、それが総体となって襲いかかるわけで、誰かのセンサーに引っかかるのだ。

まぁ、パクリに関してはどうでもいいとして、とにかく、文章というのはまずは真似が重要である。
自らが私淑できる作家を見つけ(そのためには読書が必要だ、そして、それには縁もまた、重要になる)、その人の文章を浴びるように読むのだ。
そうして、その人の文章に多大な影響を受けた文章を書いて(私も、谷崎もどきのうんこみたいな小説を書いたことがある。今では谷崎潤一郎は全然好きではないが)、それが自分の中に馴染んでくると、自ずと自分とは合わない点、自分の色という点、これが美点になるか欠点になるかは神のみぞ識るわけだが、そういったものが文章に染み出してくる。真似よう真似ようとしても出てくる、幽かなる個性である。
この個性は段々と大きくなり、たしかに、影響を受けた人の文章に親しいが、然し違う、貴方方あなたがただけの文章に生れ変っている。

影響を与えてくれる作家との出会いは貴重である。そう、あるものではない。
例えば、私は依然一作たりとも読んだことはないが、村上春樹が好きならば、とことん村上春樹を愛し、彼を真似た文章を書き続ける日々も悪くはない。
何時しか、紙上に、ディスプレイ上に、村上春樹とは違う文章が形成されていく。

然し、文章というのは、飽くまでも思想や思い、気持ちを伝えるものであることを忘れてはならない。
文学というのには、文章藝術であるが、文体とか、美しい文章とか、私も好きだけど、それはまぁ、そんなに重要じゃあないのである。
いつも通りの言葉が深い意味を持つ。そのような文章を書くのが大切である。
その言葉によって、何か洗われるような、そのような文章である。

真似をしていくうちに、何時しか自分の筆になっている。
そうして、その上で未だ自分に力が伴っていなくとも、それでいいのである。何故ならば、貴方は貴方でしかないからだ。
と、これは私の愛する『あかぼし俳句帖』のスイさんの言葉であるが(正確には、「私は、私でしかないのだから」)、彼女は物語の後半で、自分とは違う個性の天才型の女性よつゆに嫉妬してしまい、自分の俳句がつまらないものに思えてしまう。

所謂スランプである。まぁ、このよつゆもまた、天才は天才で別のスランプで苦しんでいるのだが(彼女は有季定型が気に食わない。どこまでも削ぎ落とすタイプである)。

彼女は吟行の中、自分の句を見つめ直していく。

この傑作をなぜNHKはまだドラマ化しないんだ?

先程、文章とは思想を伝えるものだと書いたが、同様に感性をも伝えるものだ。そして、スイさんはスイさんで、作中でよつゆに言われるように、「スイの句は毒や外連に逃げない、凛とした句」と言われて自分の個性を好きになるわけだが、そういうことである。
「私は私でしかないのだから」、貴方あなた貴方あなたを極めればいいのである。
その先に、他の人には出せない味があり、それを好ましく思う人も出てくるだろう。
明星さんは「よつゆがスイの鏡になってくれた」と言ってくれるわけだが、まさにその通りで、他人様は自分の鏡である。
それは、自分の個性をも映し出す鏡で、時には割りたくもなるほどに憎むこともあろうが、巧いこと利用してやればいい、貴方はもっと変われるのだ。

と、これの元ネタは私の大好きなLUXのCMで、ペネロペ・クルスが出演しているものだ。私はこれの曲が好きで、CDを買いたかったが情報がなかった。どうやらこの曲はCMの為に作られたというオリジナル曲であり、CDが存在しなかった。なんという贅沢。私がLUXにメールで問い合わせ、広報の方に丁寧な返信を頂いたので真実である。


まぁ、他人が鏡、というのは、これは例え相手が文豪であろうが同様。全ては貴方だけの文章を創るための出会いであり、真似ばかりしていても、いつかは、自分に会える日がくるものだ。


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