三刀流ではない、『十一人の賊軍』
『十一人の賊軍』をTジョイ京都で鑑賞。レイトショー。
お客さんは15人くらいかな。まぁ、少なかった。
原案は笠原和夫、監督は白石和彌。
主演は山田孝之、仲野太賀である。
上映時間は153分。2時間33分!私は目眩を起こした。長い映画は苦手なのである。いつもこの話ばかりしているような気がするが、長い映画で好きなのでは詩情豊かであること、美しい映像であること、が必須だが、然し、今作は、まぁ、真っ直ぐなエンターテインメントであり、なんだかなんだ、少し長いな、とは思うものの、長さに辟易することなく、楽しく鑑賞できた。
舞台は1868年、戊辰戦争を背景に、新政府軍VS江戸幕府軍や奥羽越列藩同盟の戦いの中、新政府軍に寝返ろうとする新発田藩が、兵を出せよ!と圧をかけてきた同盟軍と、本当は仲間入りしたい新政府軍との間でどうしようか悩みに悩む。同盟軍がいよいよ城内にまで来て、しかも、新政府軍も迫っていて、このままじゃ鉢合わせ!?
家老の阿部サダヲは、剣術道場の道場主の仲野太賀に死刑確定の極悪人10名とともに、城から同盟軍が出ていくまで、関所的な砦で新政府軍を足止めしておけと命令を出す。無論、忠義の男である仲野太賀には本当の目的は告げずに(たぶんこんな感じ)。
ので、極悪人10名&武士4名くらいで、砦を守る闘いが始まる、的な話だったが、まぁ、5回くらい山場がある。
今作は、指がポロポロと落ち、血が首筋からビュー!と吹き出し、大砲で肉塊になる人間が多数登場する。スプラッタ時代劇である。
特に、大砲は反則だ。大砲の恐ろしさを、久々に思い出した。
私は、何の前知識もなかったので、山田孝之は罪人ではあるが凄腕の剣豪で、仲野太賀と二人、斬って斬って斬りまくる、そんな剣豪山田孝之を想像していたが、そんなことはなく、作中で一番逃亡するキャラクターで、実際に斬りまくるのは仲野太賀であり、その強さ鬼神の如しである。
大立ち回りで、仲野太賀は、『バガボンド』を彷彿とさせる、そう、一乗寺下り松の決斗、吉岡一門70余人斬りを彷彿とさせる、あまりにもかっこよく美しい仲野太賀を見てしまった。
然し、バガボンドの武蔵は身長が190センチくらいあるので、まぁ、大谷翔平くらいのデカさなわけだが、そうだとすると、とんでもない圧だろうなと想像できる。
罪人で強いのは2名ほどおり、1人は辻斬りの咎で捕まった巨漢だが、こいつがサイボーグ並みに強く、殺しまくる。然し、味方も敵もない。もう一人は、老人であるが達人であり、所作がかっこよい。この爺さんは動きだけで、ああ、強いわ、と思わせる。
ああ、剣道、剣術。やはり、誰しもが、剣術、それは殺人の業なれども、あの刀身の妖しい光や、強さ、というものに憧れるものだ。これはアンビバレンツな感情であり、私も、居合を習おうかと思ったものだ。
私は、弓道をしていたので、おそらく、この賊軍に入れば、2箇所くらい見せ場があるだろうが、最後には死ぬのがオチだろう。
居合、居合、といえば、座頭市だが、『新・座頭市物語』での市さんの居合で蝋燭の火を消すシーン、これはめちゃくちゃかっこいい。うーん、やはり居合を習うか。
敵の軍勢は数百名はおり、まぁ、14人とか15人とか、しかも、戦闘員が7名くらいしかいないので、勝てるわけないのだが、然し、まさかの最強破壊兵器が登場し、一番弱いものが一番のキーを握ることになる。
今作は、冒頭で、昔の東映の三角マークが出るが、まぁ、監督も白石和彌だし、基本的にはヤクザ映画であり、仲野太賀はヤクザ者を取りまとめる正義感に篤い警察官(他の武士も)、家老の阿部サダヲは上官で本当の悪(然し、多数のために少数を犠牲にするタイプ)、そして敵と罪人はヤクザの抗争みたいなものである。
阿部サダヲは目的のためには幾らでも血を流すのを拒まない男であり、途中農民の首を落としまくるシーンでは、同盟軍の駿河太郎が引いていた。
今作は、すんでのところで邪魔が入り、処刑中断、切腹中断、など、中断が多いのだが、まぁ、人生、そんなもの。仲野太賀はかっこよく、美しい死に様、けれども、やはり、山田孝之の生きる意志も大事だ。
そんな山田孝之も、篤い男の焔のような心、罪人たちの一寸の虫にも五分の魂に当てられて、最後は壮絶な闘いを見せるが、まぁ、面白い映画で、所々、ツッコミどころはあるが、殺陣も良いものが多く、理想は、もう少し、刹那の斬り合いが見たかったけれども、とても満足した1本でした。
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