『映画大好きポンポさん』を観て、推敲に思いを馳せるも…
2021年のアニメーション作品『映画大好きポンポさん』をNetflixにて鑑賞。
まぁ、これも今更ではあるが、気になっていた作品なので。
原作は未読。
内容としては、映画作りの話である。私は全く情報を持たずに鑑賞したため、外国の、しかも架空の世界(とはいえハリウッドがモデルのニャリウッドが舞台)を舞台に物語が展開するとは思ってもいなかったので、それは面食らったし、絵柄も相まって、なかなか物語に入り込むのに大変だった。
あらすじを書くのは面倒くさいので、もう、公式HPを読んで頂きたいのだが、まぁ、初監督作を撮ることになった青年が映画と向き合ううちに、自分と向き合うことになるような話である。
今作は、その絵柄で映画ファンから少し敬遠されているかもしれないが、映画好きならば結構好きになる人も理解できる作品だった。
ポンポさんは、主人公のジーンを雇った映画プロデューサーであり、その祖父はレジェンド級のプロデューサーである。つまり、ナチュラル・ボーン・プロデューサーであり、B級映画でバカスカ当てるわ、文芸作品の脚本は書けるわ、所謂チートキャラクターであり、審美眼も凄まじい。
まぁ、『ベルセルク』における転生後のグリフィスのようなものである。
主人公のジーンは学生時代は友達もおらず、映画に向き合い映画ノートを描き続けてきた『ベイビーステップ』におけるエーちゃん的キャラクターであり、そして、目の下にいつも隈が出来ていて、眼に光がない。この眼に光がないのをポンポさんは気に入り、彼を雇うのだが、それは、幸福な人間はクリエイティブなものは生み出せないという、まぁ巷でもよくある謎理論が理由で、そのような眼をしているジーンを雇ったわけである。
この、幸福な人間に藝術は作れない問題は、一理あるが全てではない。そもそも、基本的には藝術にはお金がかかるため、幸福な人間というか、金銭的余裕のある人物にチャンスは大量に与えられるし、金銭的な余裕は最低限の幸福に繋がる。映画しかなかったから、死ぬほど映画を観たから、というだけで映画作りの才覚があるわけでもないだろう。それならそういう人間はごまんといるはずだ。
今作での最大の問題点は、ジーンが恵まれに恵まれており、幸福そのものだということだ。そして、幸福は創造の敵、という命題は、捨てたものと比べ物にならないほどの幸福が舞い込むため(どころか、基本物語冒頭から幸福のまま終わる)ため、機能しているとは言い難い。
何故ならば、ジーンには通常の友情や生活での充足は幸福ではなく、映画作りそのものの環境にいられることが幸福だから。
つまりは、『ベルセルク』における転生後のグリフィスである。(こうやって転生後、転生後と書くと、グリフィスもやっぱりなろう系なのかもしれない)。
ジーンは初監督作を作ることになり、その作品では、ポンポさんの祖父のコネで伝説的な俳優を初監督作の主演に持ってきたり、制作環境も非常に整っていたり、汎ゆる面で優遇されているし、その上基本的にはジーンは天才であり、才能の限界にぶつかる挫折はない。
この映画は基本的には天才プロデューサーと天才映画監督である俺が無双する映画であり、それは全てがコネから始まっていて、ある種の転生系主人公もの同様のまさに夢工場ハリウッド物語のように甘い砂糖菓子のような作品である。
また、劇中歌が作中のクライマックスなどでかかる演出も結構きついものがり、これはタイアップかなにかで仕方なく入れているのかな……と思わざる得ない。
ジーンの初監督作のヒロインはオーディションで苦労人の新人が選ばれるのだが、彼女は後半から空気になり、物語の構成に一役も買っておらず、なぜ彼女が選ばれたのかもよくわからないのと、あまつさえ、ジーンはニャカデミー賞で監督賞を獲るし、このヒロインも新人で主演女優賞を獲るのだが、一切の説得力はなく、映画は興行的にも大ヒットし成功を収めている。
この映画は全てが完全にジーンの妄想であり、ジーンがオナニーをしながら見た夢胡蝶の夢であるのならばまだいいのだが、あくまでも現実なのだ。いや、夢かもしれない。だからニャリウッドなのかもしれない。
今作は、最後の30分の見せ場の一つに、映画を刈り込んでいく、編集という作業にスポットライトが当たる。映画は2時間あれば、その何倍〜何十倍もの使わないフィルムが存在するが、その刈り込み作業を見せていく。
取捨選択の嵐である。これは、小説を書く人には推敲ということで当てはまるだろう。
私は推敲は嫌いだが、小説は推敲されてこそ、磨かれていき屈強なものになっていく。わずかな言葉の継ぎ足しや削ぎ落とし、移動、語彙の変換、主語の削除など、様々な編集作業の末に、読者をどう誘導するのか、どう脳内にその絵を見せていくのか、理解させるのかを結実させていく。
そういった点で、このあたりは面白く観られた。
絵は大変綺麗だし、あの、汎ゆる年代が混在している美術関連は素直に良かった。
だが、やはり物語には常に挫折が必要だと思う。それが無いから、結局は物語が生きてこないのだ。