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7時間19分、映画『サタンタンゴ』をようやく観る。 時間とは何なのか。

『サタン・タンゴ』をAmazonプライムで観る。7時間19分である。439分である。長すぎる。

原作はクラスナホルカイ・ラースロー。
ハンガリーの小説家だ。無論、これをお読みになる方は当然識っていると思うので、詳しくは割愛する(私は識らん)。


そもそも私は、長い映画が嫌いである。映画は1時間でいいとすら思っているのだ。
然し、私は一番好きなのは2時間43分の『ブレードランナー2049』であり、このnoteでも、100回くらい書いてきたが、あの長さは好きな長さなのである。

長い映画には、そもそも物語が長大なために長い、演出方法により長い、の2パターンに大別されると思われるが、『ブレードランナー2049』はソ連のスローシネマの系譜であり、タルコフスキーオマージュが過ぎる映画なので、問題ない。

ドゥニ・ヴィルヌーヴは『DUNE』2部作において、その演出方法をさらに突き詰めたのかと思ったが、パート1はのんびりとしておりヴィルヌーヴ印が刻印されていたが、パート2は急ぎすぎて普通の映画になっていた。パート2の方がコロナ禍、という影響を抜きにしてもヒットしている。

そういえば、丁度今日から、デビッド・リンチ版の『デューン/砂の惑星』の4Kデジタル・リマスター版が公開されている。
で、『サタンタンゴ』はハンガリーの映画であり、これはもう、『ブレードランナー2049』はハンガリーはブダペストで撮影されているわけで、兄弟みたいなものである(『DUNE』もヨルダンの他にブダペストでも撮影されている)。『サタンタンゴ』のルックも、やはり建築物のブルータル野蛮感、ブルータリズム建築も度々登場していて、中々に良いのだ。

然し、問題は長すぎる所である。と、言っても、この長さこそが『サタンタンゴ』の最大の武器なのであるから、しょうがないが。
『ブレードランナー2049』にも、Kが廃工場でキーアイテムである木馬を発見しそれを凝視する1分くらいの長いシーンがあるが、そんなものは『サタン・タンゴ』に比べればCM程度のものである。『サタン・タンゴ』には誇張抜きで5分くらい凝視したり、10分くらい延々と踊っていたり、5分くらい歩き続けるのを10回くらい流したりする。

こういう感じで佇んで、会話もなく1分くらい経過するのだ。これは新手の幻術なのかもしれないな……。
時々詩的な言葉が繰り出される。『薪と雨』……。まぁ、全編が映像詩でもある。

あらすじは、まぁここで語るのは面倒くさいので公式HPを読んで欲しいのだが、普通に2時間で語れる内容である。
究極まで、究極まで時間を延ばしている。その緩慢さは恐るべきほどで、今作でほぼ降り続けている雨と、聞こえ続ける雨音は、明らかにこの映画特有の時空を作り出すことに成功している。

『ブレードランナー2049』にあって、『ブレードランナー』になかったもの。両者に共通するのは郷愁であるわけだが、然し、時間をより鮮明に浮かび上がらせたのは前者で、それはドゥニ・ヴィルヌーヴの手腕であり、特性であり、それがマジカルな映画が生まれた理由だ。

『ブレードランナー』にも、ヴァンゲリスの美しいスコアである『愛のテーマ』が流れる中、デッカードとレイチェルのラヴシーンが10分弱、彼のアパートで描かれるが、あそこには時間が流れている。
時間、というのは、究極的には時間を持ってしてしか描くことができないのだ。
クリストファー・ノーランは、常に時間をテーマに映画作りに励んでいるが、それはテーマが時間であり、編集や物語で時間と遊ぶが、それは時間の体感とは異なる手遊てすさびでしかない。

時間を作るためには、相応の時間を差し出さなければならない。
そして、それは物語を動かすパートにはどうしても産まれないものなのだ。時間は、時間を意識してこそ産まれる。そして、それはカタルシスを得るシーンではなく、例えば、ふいに意識した靴紐の結び直しであったり、洗い物をしている時間、カフェで他の人の会話に耳を傾ける無為の時、そのような時にしか産まれないのである。究極的には歩くこと。この映画では歩くシーンが多用されるが、歩くことは、時間を突き進むことをそのものを表している。それが続けば続くほど、長ければ長いほどに、時間を生み出される。

川端康成は、『美の存在と発見』という随筆の中で、ハワイで講演に行ったとき、グラスの水を照らす光について延々と語っていたが、あれも時間が文章の中に生まれていた。時間は、自分とは異なるものに気を留めて、それを観察することから動き出すのだ。

ああ、またYASUNARIの話をしてしまった。
YASUNARI、と言えば、この前、明治七夕市に出ていた『眠れる美女』の草稿が古書店で売りに出されていたなぁ。2章分あって、それぞれが150万円。まぁ、それくらいはするだろう。
然し、150万円あれば、まぁ、私なら、ファンタジースプリングスホテルに泊まるけどな。

まぁ、『サタンタンゴ』はよほどの映画好きかマニア、若しくは時間が余りに余った人以外には薦められない、まさしく悪魔のタンゴであった。
然し、間違いなく、ここには時間が存在している(それが良いのか悪いのか別にして)。



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