伽と遊撃
有間しのぶ先生の『伽と遊撃』を読んだ。
有馬しのぶ先生は、私の好きな『あかぼし俳句帖』の原作者で、
今作は『その女ジルバ』と同様、ご自身で作画も手掛けている。
内容はSFである。
そして、かなりハードなSFである。
舞台となる世界では『物語』や『創作』は滅んでおり(或いは、それは弾圧されている)、LIなる人工生物(人の獣の混成であり、無機物の人工知能であり、ペット。有機的な機械のようなもの)が、人々に仕えている。
非常に難解な作品である。様々なパーツが入り乱れていて、そこに毒親の要素も絡む。
彼らの住む世界からは、我々の住む2000年代の文明は遥か過去であり、そこでは誰しもが道徳的に生きているが、それは徹底的な監視社会でもあるからだ。
様々な造語や設定が入り乱れていて、それらがどう収斂するのかが全く読めない。
そして、私の好きな『魂の問題』の要素も入っているので、とても興味を惹かれる。
物語の始め、旧型のILが空を飛び、天の壁に何度もぶつかっている。『それ』は外に出たいのだと、『それ』を処理しに来た職員は思うが、そのボロボロの『浮寝』と称される天使のようなガラクタは、言葉も表情も無くなっても、哀愁を誘う。『ブレードランナー2049』のKを思い出す。
同胞殺しのレプリカント。
主人公の家で『飼っている』ILのクローバーは、主人公姉妹のミミオとキアの父親代わりでもあったが、誤解が元で、母に首を切断されて破壊されてしまう。泣き叫ぶミミオだったが、すぐにILの会社からクローバー2号がやってきて、それは通常ならば、全ての記憶を移し替えることで、肉体を新たにしたクローバーになるのである。
このような話はSFによくある展開で、『チャッピー』も同様の展開で、死んだ人間のデータを機械に移し替えるラストを迎えるわけだが、これは最終的には実現可能な問題だろう。
イスラエルの歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』にもそのような『不死』の形が描かれていた。
ユヴァル・ノア・ハラリは『ホモ・デウス』にて、疫病・戦争・飢餓を人間が克服したと書き(現実はコロナ禍で人間は疫病にまたしても苦しめられている)、次は神の座、つまりは不老不死を目論むとしていて、それは機械が代替すると推察されていたが、若し、私の全ての情報を、人造の機械に落とし込んだのならば、それは私なのだろうか。
有間しのぶ先生は、一体何手先まで考えてこの物語を構築しているのだろか。先述した情報は、物語の根幹の一つではあるが、時空までも描く1巻終盤の展開を見るに、このSFは新たな地平を拓きそうにも思える。
なんといっても、タイトルがいい。
『伽』とは、辞書を紐解くと、御伽噺であり、夜伽であり、そして、退屈を慰めるために、人と話すことだという。誰かに、寄り添うことだろうか。
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