見出し画像

車谷長吉『癲狂院日乗』を読む日常

車谷長吉『癲狂院日乗』読了。

癲狂院とは精神病院のことで、日乗は日記。
今年出た車谷長吉の本だ。合わせて奥方の高橋順子さんの本も出たが、そちらはまだ購入していない。

日記である。一部は、『直木賞受賞修羅日乗』として発表されて、まぁ、それが半分くらい、1998年頃の日記だ。私も、この部分は全集に収録されているので読んだ。

作品として出す予定だったので、まぁ、もう、上手い巧い。
やはり車谷長吉はすごい作家だ。日記文学というジャンルがあるが、まぁ、もう文学である。日常を綴るだけでここまで面白いとは。

そして、やはり性格が悪い。車谷長吉の語る文学、文学の業とは、書くことで他者を傷つけることだ。書かれた人が心から血を流すこと、今作でも、一番の友人である「よ氏」に絶縁状を送られて、そこからずっとその哀しみと「よ氏」への失望と攻撃を、延々と書く。よほどショックだったのだろうか。どんだけ「よ氏」が好きなんだ、と思いつつ、然し、文章を読んでいて、まぁ、相当に上から目線、こりゃ「よ氏」も嫌いになるわと思う。基本全て上から目線、頭脳明晰で文才豊かだし、読み手としての能力も高い、小説の天才である、自然と人を見下すのだろうが、本人は気付いていないものなのか。

セゾンで働いていた頃は手取り40万円、それが嘱託社員になり週2回出勤の手取り10万円に変わり、家賃は16万円、校正の仕事で糊口を凌ぐ日々、そこにやってきた伊藤整文学賞、然しこれは辞退する、理由は伊藤整の文学が嫌いだし、伊藤整が嫌いだから。昔、伊藤整に会った時、酷い扱いを受けた屈辱があるからと、辞退を引き止める審査員側全て、直談判の安岡章太郎の懇願も振り切って、賞金100万円を棒に振る。
賞金100万円。すごい金額だ。全ては直木賞のためである。
直木賞の候補になってからは、死刑判決を待つ気分のようだと、まぁ、確かに、候補と受賞では雲泥の差だ。直木賞も賞金は100万円だが、然し、増刷天国が待っている。『赤目四十八瀧心中未遂』も受賞が決まり、数日に1回増刷、みたいな感じで、増刷四刷1万部、五刷5000部増刷、六刷5000部増刷、八刷3000部増刷、みたいな感じで、まぁ、他の書籍も大量に増刷増刷、で、これだけで数千万、と、大金が入るので家を買う。
不動産を買う話も日記には入っていて、不動産取引は修羅だと、そう言う3000万円の家を買う話、これも面白い。

それから、賞を獲ると、毎日のようにお花、それからお祝いの品が送られてくる、それを一つ一つ書いている、それも読んでいてリズムになってくる。日記にはリズムがある。メリハリが必要なのだ。つまり、思想を丁寧に長く書く日というのは必要だ、後は天気や、決まった文言、繰り返しがリズムを生む、緩急。日記や手紙文学の最初だから、それを面白く読ませるその才能、やはり車谷長吉はすごい男だ。

直木賞を獲った時、私が捨てた女たち、私を捨てた女たち、あるいはすでに絶交した友たち、私としては、見たかっ!という思いである、と、書いていたが実に人間らしい、この思い。多くのワナビーが抱えている思いを成し遂げた声が書かれている。

然し、日記なので、だんだんと、やはり贈り物も減るし、増刷もなくなってくる。本人も書いているように、その後半年後、宮部みゆきが直木賞、平野啓一郎が芥川賞を受賞して、ああ、自分の番が終わって寂しい、というのもおかしい。

そう、人生は全て順番、なのである。川端康成も、ノーベル賞を受賞したのも順番でしかない、的なこと言っていたが、まぁ、これは少し違うけれども、栄枯盛衰、驕れるものも久しからず、とは、全てに言えることであり、花やかなりし時などは所詮は一時期のことであり、必ず衰退のときが来る。

北村透谷二十五歳、有島武郎四十五歳、芥川龍之介三十六歳、太宰治三十九歳、久坂葉子二十一歳、三島由紀夫四十五歳、川端康成七十二歳……と、自殺した文士の歳をかぞえる描写があり、この時車谷は五十二歳、四十不惑、五十にして天命を識るといいたいところだが、然し、まだまだ迷う様が見て取れる。人生など、どうせ、死ぬまで迷うのだろう。

奥方と二人、直木賞など所詮幻想でしかない、と言っていたが、まぁ、その通りだとは思うが、この日記には、なんだかんだ嬉しかった日々が溢れている、が、「よ氏」との別離は相当堪えているみたいで、それから病のこともあり、多くの悩みは尽きないようだ。そして、やたらとうんこの描写があり、うんこ好きだな〜、と思う。

そういえば、西村賢太の『雨滴は続く』の最後に、芥川賞候補になったから承諾しても構わないか、という連絡があった所で物語が中絶していたが、直木賞もそんな連絡がある、と書いてあった。なので、候補になるかそこで辞退するか選べるということだろうか。

そして、以前から気になっていた全集最終4巻は鋭意編集中とのことだった。没後10年、来年2025年5月に間に合わせるべく作業をしているとのこと、まぁ、もうすぐ、ということか。


いいなと思ったら応援しよう!