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文章が巧くなる方法②


と、いう題だけれども、巧くなるかは人によると思います。
文章への考え方の話。

文章が巧くなるためには、まず、人の文章力を推し量れる技量があるかが問われる。なので、基本的には大衆小説しか読んでいない人は、まぁ文章も巧くない。手本となる作品が稚拙なわけだから、巧くなりようがない。

けれど、日本というのは国語の教科書において名作・傑作を教材に教育を施しているから、大抵の方々は名作に触れていて、それについて考えさせられているから、潜在能力は高いのである。後は、それを自覚できるかである。

然し、上記の話は、文章を巧く糊塗し溶接して、それらしく見せる技術のことであって、『火の鳥/鳳凰編』における茜丸のようなものであり、名声と金に目がくらんだようなものである(所謂、今の小説家ぶった商業作家)。芸術家を目指す人は、我王をこそ目指さなければならない。

川端康成は、素人の文章が好きで、綴方(作文のこと)教室のようなものを雑誌の連載企画で書いていた。これは大量の寸評が川端康成全集新潮社版に収録されているので、興味のある方は読んでほしい。
川端は『乙女の港』など、弟子筋の女性の代作の名義貸しなど、女性の書く文章が好きだった。
特に、素人の女性が書く文章を好んでいて、結核で亡くなった山川彌千枝の『薔薇は生きている』という、彼女が書き残した日記や書簡、短歌などをまとめた本を愛読していて、自作の『禽獣』でもそのことに触れるばかりか、ラストの一文はその日記の最後に書かれた母の言葉、『生まれて初めて化粧したる顔、花嫁の如し』であり(山川の母は同人の作家だった)、如何に影響を受けたのか伺いしれる。

前述の綴方の連載は、応募された作品群の中から良かったものを取り上げて、講評するのであるが、要点は結局の所、
『物事の本当を捉えて書くこと』が肝要である、ということである。
本当のこととは、背伸びをしない、糊塗しない、そして、よく事象を観察して書く、ということである。書き飛ばさず、丁寧に書くことを推奨している。観察の目をこそ、大事にするという教えである。
尤もこれは、あくまでもアマチュアの方々が文章を書く上のことであって、作家にはまた作家の書き方が必要だと言ってはいるけれども、巷の文章読本の数々よりは、よほど勉強になる。

それに、川端は素人の言葉が好きで、マラソン選手の円谷幸吉の遺書を非常に高く評価していた。それは、そこに本当の言葉、飾らない言葉があって、胸を打つからだろう。

以下に引用させて頂くと、

円谷幸吉の遺書全文
父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、
良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、
光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、
幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。

三島由紀夫もまた、この文章に心を深く打たれた一人である。

私は今年、Yahoo!で見かけた毎日新聞のニュースタイトル、「お星になったママ、波になって会いたい」から10年 兄弟が眺めてきた夜空【#あれから私は】という記事と文章に心を打たれた
とても辛く、悲しい記事で、読んでいて涙腺が緩んだが、然し、美しい言葉だとも思えた。それは、人の気持ちが入っているからだ。

人は、飾らない時や、伝えたい人にだけ話す言葉にこそ、本当が宿る。
嘘や偽善塗れの文章よりも、大切な人に書く手紙の方が、よほど文学的である。認められよう、褒められようとするのは、取り敢えずは横に置いておいて、丁寧に本当の文章を書くことが、上達への近道である。

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