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春休み6日目な木曜。
さて、アウトプットの練習のためにはじめると書いたのでまずは書くことになれていこうと思う。何書くか、決まってない。
それでも今日という日を生きていたのでなにかしらは動いてる。
そのことを綴ることでそのうち見つかるかなあ?
ある主婦の1日
今日は昨日と違ってとくにどこにも出てないのでなんてことのない日。
今日したことはこども連れて買い出し、バイトにいく上の子、遊びにいく真ん中の子の見送りをして、掃除機の音が得意でない人らがいなくなったところで掃除機をかけてまわる。
お昼にカルボナーラを久しぶりに自分用に作ったこと(リモートの夫もいたので正しくは夫婦分。末っ子はおにぎり)
カルボナーラは高校時代に吉祥寺のセイチェントてところの2人でわけるパスタで初めて食べてからとっても気に入ってまあまあ作ってたけれど家族が増えるうちにいつのまにか大勢分作るのに楽チンなミートソースかナポリタンになりがち。
美味しいカルボナーラのため、と卵黄をパカパカつかうわけにいかないので上の子がリクエストしたときに1人前とかでしか作らなくなっていたなー、と改めて気づく。
その後、午後は末っ子が午前中の買い物で買ったおやつがものすごく美味しくてこれは買いだ!!となったのが珍しかったこと。
彼はなかなか食感に敏感で、おやつ作りが趣味な私だがあまり手作りに出る食感でツボるものがない。
そんな彼が味よし、匂いよし、となるのは珍しく、追加にストックしたい!と言われたので末っ子連れて自転車でサイクリングがてら再び買い物に出て、昨日のせた桜アーチの下を通過。
昨夜の雨でだいぶおちたようで日ごとに変わってた。末っ子とあっという間に花の季節が終わっちゃうね、そんなことを言いながら帰宅。
箱買い(10本入り)+1本したのは
ぷっちょのメロンソーダ味。
レンガ状?細長四角の形状なのでひとつはふつうに美味しく食べて、その後は楽しく遊んでた。
正直この人が生まれるまでそこまでこんな買い方をしたことはないので、こんなにあると圧巻。
本人もホクホクしながら箱に何度も出したり入れたり。1本10粒だから100粒ある、てことでしょ!?すごーい!
みて!金のインゴットごっこ!
トランプ・タワーならぬぷっちょタワー!
ぷっちょドミノ!
ぷっちょ滑り台!
すごいね、ずっと遊べるんだね。
しまいには生産番号?製造地の違いなのか、アルファベットの、違いを見つけてアルファベット順に並べてたよ。こども、おそるべし注意力。そして今夜は枕元にまでもってって寝ていい?と 笑
いいよ、おいて気持ちよく寝れるならそうすればいいよ 笑
上の子2人は幼馴染みと集合
私と末っ子がまあまあどこにでもありそうな日を過ごしてる頃、上の子2人は夕方から幼馴染みの集まりに出てた。
我が子らが2、3歳の頃、わらべ歌や工作、からだ遊びをする週一の教室で出会った12年以上の付き合いになる友人達。の、こども同士が、集まったのだ。
小さい頃は夕方まで遊ばせたり、ごはんを一緒に食べたり、夫達も巻き込んでの家族ぐるみの付き合いをしていた。
たまたま第一子同士が多かったのもあって自然といろんなことをし、育児相談もしあったり、大人になってからの友人関係というか戦友に気づけばなっていた。
市内とはいえ自転車で15分とか20分とか離れてるもともと学区の違う住まい同士。
小さい頃~途中までは親が連れてって遊ばせながら話したりしたものの、性別や関心の違い、放課後行き来するには頻繁にはできなかったりでさすがに大勢でいっぺんに集まる、の機会はぐっとへったけれども。
それでもきょうだいの性別や家の近さ、そういうのでそれぞれ行き来が繋がってた部分部分と母親同士は彼らが中学の間も話をするのに顔を合わせてた。
男子どう!?声変わった?背のびた?女子は?化粧は?みたいな思春期って···反抗期、て、高校って、を話せる同志がいるのは当時不登校だった我が子を抱えるわたしはかなり気分転換になっていた。
そこで話すお互いのこどもたちはなにひとつみんなで遊んでたあの幼き頃の特徴のままでやっぱりあって、その子それぞれの出方が変わってなかった親の目からみた欠点と感じてることは行き来してるおうちからなにいってんの!こんなよさがあるじゃない!?と聞かされることでかなり安心を得てた。
わたしがみえないとこ、見落としがちなところは他の親がみてくれてる、そのひとが大丈夫ていってんだから大丈夫!みたいな。
そんな親同士の付き合いと、コロナの休校のときぽっかりできた時間で再会の機会があったり、中学の卒業とかいろんなことがきっかけでついにこども達の自主的な集まりに。
それこそ出会った頃は0歳台で抱っこひもに入ってた下の子(いまは中学生)も混ざってカラオケしておしゃべりして、とは感慨深いもの。今日集合できなかった子も含めみんなで集まれるといいね。
振り返ってみて
なんてことないけれど、こどもによってもたらされてるものが1日1日溢れてる中を生きてるのが自分のいまの生活なんだなー、と客観的に感じた。
上の2人を育ててて、下の子が幼稚園のときに第3子がきたので、ずっと育児に特化してて。
わちゃわちゃした時間は楽しかったり大変だったりほんと時間ない、もはや出ていきたいと思った日がなかったわけじゃないけれどそれでも季節は巡り大きくなって。いまがある。
振り返る暇がないくらい忙しかったけれども、1番目の自転車を色々口うるさく声かけながら通った桜道を、そして1番目とも2番目とも走ったあの日の道を、今日は3番目と自転車で通れるくらいまできて、ぷっちょ一箱でこんなに喜んでもらえるなら上の子の時とかもやってあげたらよかったなあ、なんて、思ったのでした。
1番目の頃は余裕なんてなくいつまでも気がかりだったし、2番目は2人いたからほんと丁寧に観察なんてできてなくて、3番目を上の2人と一緒に見ながらきて、やっといますこしずつ時間ができてきたのかな、に気づけたのでこのだらだら文も悪くない。
うん、。たしかに友人のいう通り出してみる、は大事だね。どうもありがとうございます。