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読書メモ「これからの正義の話をしよう」(マイケル・サンデル)

マイケル・サンデルの「これからの正義の話をしよう」のアファーマティブ・アクションに関する議論部分を読み終えた。ここでは、人種を理由に白人の大学受験生が、マイノリティーを優先するという理由で不合格になった理由を取り上げている。以下、自分なりの理解を整理。

アファーマティブ・アクション(以下、AA)とは「積極的差別是正措置」の事であり、マイノリティーを優遇するものである。大学入試の場では、マイノリティーの入学を非マイノリティーよりも優先するのがその一つである。AAをめぐる論争の中心をなしているのは「補償と多様性」の議論。

補償論は、AAを過去の過失の賠償とみなすことで、マイノリティーを優遇することで彼らを不利な立場に追いやってきた差別の歴史を埋め合わせようというもの。しかし、補償論への反論として、「この恩恵に預かるのは必ずしもかつて虐げられた人々ではないし、補償する側が過去の過ちに責任を負っている人ではない」というものがある。この反論に補償論が答えるかどうかは、共同責任という概念にかかっている。前の世代が犯した過ちを償う道徳責任が現代の我々にあるのか?この問に答えるためには道徳的義務が発生する仕組みを理解する必要がある。

それを考える前に、多様性を根拠とするAA擁護論を見ていく。多様性の支持者が旗印としているのは、「共通善」である。社会は多様性がある方が視野が広がるし、不利な立場にあるマイノリティーを教育することで、大学が公民的目的を果たし、共通善に貢献するというもの。

多様性論への反対としては、「実践」に関するものと「原理」に関するものがある。実践面に対する反対は、AAの実効性に疑問を呈する。マイノリティー優遇措置をとっても社会の多元性が高まるわけではないし、偏見や不平等が減るわけでもない。むしろ、マイノリティーの自尊心が傷つき、また、マジョリティーとマイノリティー間での緊張が高まるというもの。一方、原理面への反論は、「AAによって多様性を高め、より平等な社会を実現する目標が価値あるもので、AAがいかに役立とうと、元来生まれ持ったものを基準にするのは、本人の落ち度ではないので不公平」というもの。

「原理面への反論」に対する反論として、法哲学者のロナルド・ドゥウォーキンは、「AAにおける考慮は誰の権利も侵害しない」と述べる。AA反対者は、「自分の落ち度でない生まれ持った要素で判断されない権利がある」と考えるが、ドゥウォーキンはそんな権利は無いと考える。大学入試におけるAAを例に取ると、大学の使命は様々であり、大学の使命を定義し、選考方針を定めるのは大学自身であって、出願者ではない。すなわち、「入学許可は学生の能力や徳に報いるための名誉ではなく、入試で好成績を上げた学生も、不利な立場のマイノリティーの学生も入学を認められるべき道徳的資格はない。入学許可が正当化されるのは大学の目指す社会的目的に資する限りである」というものだ。すなわち、「大学が使命を定義することによって合否を判断するための公平な方法が決まる。使命が評価すべき能力を定義する」。重要なのは道徳的功績ではない。

この考えに基づくと、次の疑問が生じる。「では、勝手に使命を決めることができるのか?」これに対するドゥウォーキンの考えは、「多様性を追求する目的が、チャンスを逃した人々の権利を侵害しない限り、正当である」である。

ロールズの正義論の核心を成すものとして「分配の正義」がある。これは、各人が生まれ持ったものの差を是正するために社会資源を適切に分配するという考え方。AAでは、「分配の正義」のよりどころを道徳的功績に求めず、使命に求めている。正義と道徳的功績の分離。

まとめると、AAは個人の生まれ持った性質(道徳的責任)ではなく、AAを施行する側が多様性の確保という使命によって決めるものであり、その使命が適切なものであるならばAAは正当化される。

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