秩父夜祭考察①ミシャグジ(大宮郷の秩父妙見)
武甲山に妙見さんが降りてくるという祭。
決まって12月3日。
妙見とは、亀ですが実態が不明。
龍神、甕、あるいは落ちてくる光・・・
秩父神社の初見は、862年(貞観4年)その7年後、869年に貞観地震がおきる。
災害が多かった800年代で、東北では、鳥海山の噴火、秋田大地震など2度起こっており、その時に布教活動にきたのが天台宗の円仁(慈覚大師)。(出羽国へ)
※別説:東北の天台宗発祥は、福島県の霊山寺
秩父神社では、災害が起きるたびに神位をあげ、治安維持や祈願をする目的の神社となっていた。
同じく神位があがっているのは、児玉の金鑚神社(かなさなじんじゃ)。
秩父神社が妙見社と言われたのはいつ頃か、よくわかっていない。
このような2つの縁起がある。
①1574年、秩父神社棟札の裏面に、開基については、欽明天皇の頃と。
秩父大宮妙見宮の縁起に、
「国司もふしあげにより大星大神ならびに香香背男命(カカセオ)を」
「真名井の原に勧請し」
「祝祀給ふ」
②天武の白鳳4年 疫病の流行から国守の申請により
「大己貴命(オオナムチ)を中野原に祝ひ、
大神と祀て妙見宮と称す」
要約すると、
①欽明天皇の時代(509年頃~)、大星大神と香香背男命を、
②天武天皇の時代に(686年頃~)これらをオオナムチと合わせて秩父神社とは別に中野原に祀った。
※白鳳は美称としてよく使われる年号。
※大星大神とは、天之御中主神(妙見)説。
オオナムチは、三輪流神道からきており、大神神社の大物主と同一だが、
中野原に祀ったのは、現在の宮地地区の妙見塚のあるところ。
妙見信仰の前に、オオナムチ(三輪信仰)があったのだろうか。→大蛇信仰
この由来は、大神神社の話にあるように、古代の王権、国家との関わりがある祭祀場=イワクラが原点にある。
武甲山は妙見山ともいい、岩場には名前をつけていた(修験の名残)
大和朝廷が東国征伐に必要な物語を武甲山にも模している。→ヤマトタケル
武甲山が神奈備山とし疫病退散などの祈祷が起源としてある。
そのため、武甲山麓の宇根地区では祇園祭を行う。
その疫病などの退散として渡来人がもたらした神が妙見信仰。
その姿は亀の甕、もしくは「落ちてくる光」(隕石?)
時々、怪光を発し諸神を惑わすと、フツヌシとタケミカズチが命じられて倒した。
その怪しい光は、名栗山にもあるが、やはりオオナムチである。
「妙見宮大貴己命、抑当社鎮座の由来を尋ね奉るに後鳥羽院の御宇元歴年中頃、民家稀にして此所古木立茂りたる栗林也。然るに八月十三日夜より、丸き光物天下り人々あやしみぬ。
十一月三日夜、右に同じ。猶以て不思議に思しが翌年八月十一日共に右のごとくなりえに依り誠に清浄の霊地なる事を感じ、少しの社を立て星宮と名付け当村惣鎮守とあがめ奉候」
(新編武蔵風:土記秩父地方史研究から抜粋)
諏訪信仰の秩父
古くは、別にあった妙見宮を、秩父平氏(武光庄・武綱)が秩父神社に合祀し、代々、保護を受けていたという事らしい。
落雷があり妙見宮を秩父神社に合祀したとも言われ、
妙見宮の信仰が篤かったため、秩父神社の自然神から妙見に移ったのではないか、という話もある。
この宮地にあった妙見宮は、「御留窪(おとくぼ)」と言われており、
地主神が祀られていた。それが、諏訪神だった。
妙見塚、妙見寺など妙見にあった宮地地区には、「神門」「出口」「テンテーバ」「東口」という地名があり出口では毎年、数百人の参拝者があったといわれ、テンテーバは、上宮地。昔の祭事。
東口は、東宮地で「サングージ」と呼んだ。
サングージを三宮口とあるが、これを「ミシャグチ」と呼んだのでは、と知人が言っていたこと。
※「御社宮司」は、「当て字で」本来のミシヤグチ神である説。
ミシャグチとは、中部、関東、近畿地方に広がる民間信仰。
長野県諏訪地域がその震源とされ、実際には諏訪大社の信仰に関わっているとされる。全国各地にある霊石を御神体としている石信仰、塞の神、道祖神はミシャグチ信仰と関連がある。
東京の石神井も、ミシャグチ。
「しゃもじ」信仰もそこが起源。
ミシャグチが「御左口」とも言われるが、御左口のことを「オサングズ」と
呼んでいたのが、宮城県仙台市泉区にあった。
ここは諏訪信仰のメッカ。
ウサギグチ→(「山から兎が出てくる道」の意味)が、オサングズに転化して、兎口(トグチ)になったとの言い伝え。
兎のような角の意味をさしていると思われ、その当て字を「御左口」としたのは、諏訪の国分氏らがいた所なのでミシャグチか、と。
兎としているのは、出雲の大国主に関係していると思うが、鹿舞からきている山民の舞が鹿の角→「角をはやした者」と彷彿させる。
伊達藩も、兎を門番におくが、伊達政宗が鹿舞が大好きだったことは有名。
逆さ兎といって、これも出雲神に関係する。
なぜ門に置くかというと、邪気を払うような意味があり、兎口神社は、疫病などを祓うと伝わっている。」このあたりがオオナムチ。
また、職人の意味。
御=ミ、左=サ、口=クチ(訓読み)となり、工具をもつ手は「左」なので、左手に工具をもち右手で働きを「助ける」
「佐」・・・イ(人)+左(たすける)会意文字(かいいもじ)から
の説もあり、とても興味深い。
古代の製鉄民を彷彿させる、山民=ミシャグチ。
つまり、これも石工の技術があり、
「補佐する人」の意味があって「左」とよばれたと考えられる。
沖縄では、ヒジャイガミは「左の神」を意味し、
沖縄の御願では土地神様のひとつ。
左から生まれた神は、アマテラス。
武甲山は、元来の嶽山から蔵王権現。
後、平家(平良文)の妙見信仰から秩父夜祭には妙見が降りてくることにした。
ヤマトタケルがもがりをしたという飯盛山という由来が、はるか昔のイワクラ信仰であったことを考えると、オオナムチの由縁がつくられた背景に、武蔵の出雲信仰が武甲山にあったのではないだろうか・・・