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武甲山様、武甲山様。と、唱えると・・

武甲山に関する伝説の中、最も注目すべきは蛇・龍にまつわる物語。
「広報よこぜ(昭和年代)」に記されたこの「武甲山総合調査だより」は、とても面白い。

「よこぜ広報」昭和に発行されたものをまとめた本

内容によれば、

里宮の守屋家のご先祖が残した「日本一武蔵国号蔵王碑文」によると、
ミコト登山で武山の大蛇窪に生息していた悪大蛇をこらしめ、
汝の罪は死に当るが里人のために風雨の事を司り九穀豊穣をもたらせ、
そうすれば、お前の罪を許しこの山の神として祭ってやろう、というのです。

大蛇は山神となり、後、嵯峨天皇の綸旨によって蔵王権現と名前を
改めたと碑文にあります。
(以下省略)

伝説の成立背景より

~~蛇=万物の霊という信仰は、古代東南アジア一帯に蔓延しています。
日本では縄文~弥生期に確認される信仰です。
武甲山=蛇神の観念は広く普遍的な信仰の秩父的あり方を示す例です。

そして現在「武甲山様、武甲山様」と、となえながら登ると、
蛇に出会わないですむと信じる人々がいるのです。~~

大蛇伝説の多くは「蛇」という地名からみえるように、
災害などの土砂崩れがあった地につけられることが多い。

ヤマタノオロチは、その典型であるが、
治水技術や灌漑がまだ発達していないころは、
山に住む先住民の仕業とみていたことがあった。

蛇信仰の夜刀神(やとかみ)

平野部で稲作をする人たちは、定住し開墾をするがそんな時に「邪魔をする」モノが登場すると。

それを「夜刀神」(土着神)とよび「やつ」「やと」というのは、
関東の方言で、谷間の低湿地帯の場所をさすとの事。

山に住む人は主に狩猟のため、獲物を探して点々と移住する人たち。
彼らは、主に「自然崇拝」なので神や社をもたない。

もののけの世界。

夜刀神は『常陸風土記』にある開墾を邪魔する神として登場。各地に登場する神なので有名。

関東平野にいる夜刀神は「角をもつ蛇体」の姿。
これは、「自然の神を形象」したのを語り継いでいるもの。

人の地(田)と神の地(山)を明確に区別するための境で、そこを「印」としてイナウのような物を建てる。今は「社」

そこを崇めて祈りをささげ、自分とその土地神に許可してもらうために、「自身の氏神」とするのが自然神と人間との契約だった。

それと「真逆なことをしている」のが武甲山であることは、
残念ながら否定できない。

知人から以前教えてもらったのは、
この夜刀神は、「ミシャグチ」からきているのでは?という事。

蛇を尊ぶ一族、あるいはミサグチの術をもつ一族であった可能性を指摘していた。

「ミカホシ」とは、誰しもはっきりみえるようになった本質、
源=神秘の力を持っている星、という意味であり、
カカセオはとりわけ威光をはなつオサの称と思われる。

シリウス

ヒタチの一帯におけるオサを輝く星になぞらえて
「ミカホシ」と呼んでいたのではないだろうか。

また、カカは蛇をあらわす語でもあり(案山子など)

※ミサグチ(御左口)とも書き、角をはやして山から降りてくるものの言い伝えもあり。→獅子舞や鹿舞のこと?

宮城県に伝わる鹿舞

※サ=境界=夜刀神=サク神。・・・サングージ。

この頃は、夜刀神の姿はあったが、今は開発が進み、見えなくなった。

開発が進む現在の武甲山

大蛇は、力が強い。

その力にあやかり、水を制したい人たちの思想が、
武甲山の龍神に習合させて「緩和」させてきた歴史があったのだろう。

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