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秩父札所観音霊場九番ものがたり
『その昔、明智の郷に御堂あり。
小さな寺の近くには、母と息子がひっそりと人目をしのんで、暮らしていた。母は貧しく目も見えず、一人息子も小さくて外で働くことができず。
三度の食事もままならぬそんな苦しい生活に、ひたすら耐えていた。
そんな貧しい母子でも武甲山に手をあわせ、春夏秋冬それぞれの自然の恵みを頂いて、静かに暮らす姿には豊かな心を和ませる。
母は息子に手をひかれ、毎朝寺にお参りし、阿弥陀如来に手を合わせ、息子のどうぞ幸あれと心静かに祈る。
息子は今日も山郷の幸を求めて家を出た。
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その行く先はあぜ道や森の小川や土手の上。
雨の日も、雪の日も、幸少なくて日がくれる。
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そんな御利益ない日でも、いつものように御仏に息子は静かに祈り続けた。
「母の見えない両眼をきっと開いてください。
どうぞ明智の仏様、わたしが母を守ります。」
息子は栗を集め、黙って母の手の中へ入れた。
母は、息子を抱きしめむせび泣く日々が続いた。
そんなある日の昼近く、いつものように寺の裏へ栗を求めていると、
一人の老僧がそっと近づいてきた。
息子は驚き、
「どうぞお許しください」と小さいな声で2度、3度ひれ伏した。
老僧はやさしく微笑み息子を見つめて
「母の眼病癒すなら、心を込めてこの二句を無心に唱え祈りなさい。」
その句の意味は、古くから伝わる仏の教えだった。
「心清く私欲捨て、あれこれ悩むこと経てば、
四方を照らす日の光、闇夜が明けるそのように、祈る人には救いあり。
(「無垢清浄光恵日破諸闇」)。
息子は一目散に家に帰り、母にこのことを伝えた。
その夜、母子は二人して御堂にこもり、一心に句を唱えた。
祈りは濁流のように流れ、母子を包み、
夜明けとともに御堂に明るい光が差し、母子を照らした。
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「あっ」と驚く母の声。
光の中にわが息子。いぶかる顔がはっきりと映った。
母は息子を抱き、「目が見えるよ」とむせび泣いた。
この事が里人に知れ渡り、息子をほめ、二人の幸を祝った。
また、この話しが領主の耳に入り、母と息子を訪ね、領主は息子の孝行を里人たちの手本とし、信心厚い母子に課税を免じ、田畑を与えた。
母子の心情は菩薩の霊感を呼び覚まし、
祈る姿勢を世の人に示すよい手本とされ、なづけて「明星山」となった。
明智の郷にあたるため、その時以来、「明星山明智寺」と呼ばれている。』
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母の眼が開いた先に、武甲山が見えていたであろう。
武甲山の伏流水は、セメント開発で消え失せた。
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子の祈りは星々のしずくと消え落ちる。
涸れた水は、天に戻り星となってまたたく。
武甲山の伏流水は、とうとう天にのぼり星となった。
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ご詠歌
めぐり来て その名を聞けば 明智寺
心の月は 雲らざるらん
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著者吊:歌川広重(二代)、
歌川国貞/画,朊部応賀/編 出版者:〔山田屋庄次郎〕
出版年:江戸末期
山号の由来
一條天皇の中宮藤原道長の女彰子難産で苦しんでいた時、
主神殿に仏像を祀り祈願したところ玉のような男の子が生まれた。
喜んでいると仏像が急に消え失せた為、
侍従に命じて探させている時ぽっかり明るい星が現れて、
侍従を案内しこのところまで来ると観音堂に入ってしまった。
明るい星から明星山と名付けたという。
庭には侍従が腰かけたという腰掛石が残っている。
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明智寺は建久2年(1191)明智禅師の開創と伝えられ観音堂は
札所5番語歌堂と同時代同形式で再建されたが、明治16年焼失した。
現在の建物は民家風の観音堂で右手紊経所、
左に庫裏、前面廊下、 中央に内陣を配した素朴そのものの建物である。
またこの寺は安産子育ての観音として有吊であり、
1月16日の縁日 には各地より女性参詣者で賑わいを見せる。
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観音堂の境内には室町時 代のものと思われる三基の青石板碑やその昔女性の願いを紊めたと云う ふみ塚がある。
※横瀬町教育委員会
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