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武甲山の語り部(3)
移り変わる自然と発展する都会
(2)のつづき
武甲山の語り部(2)|武甲山ものがたり (note.com)
18歳の時に都会に憧れた東京に住んでいたことがありました。
その頃は、見えない圧迫感と閉塞感のような気持ちがあり、
逃れたくて故郷を飛び出しましたが、気を失って2度倒れてしまうことがあり、秩父へ強制的に帰らされてました。
秩父に戻った23歳の時に、埼玉県の文化財保護審議員の小林茂先生と
出会うことになります。
この頃、横瀬町の資料館へ何度も足を運んでいたんですが、
何度も通っていたからか、声をかけられたのです。
秩父の埋蔵文化財の調査や民俗学、考古学の勉強をさせられて、
失っていく秩父の山村用具を図面に書くという仕事、
考古学の手法となる実測図が最初でした。
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縄文遺跡の調査、遺物の整理、土器の復元などを手がけていまして、
武甲山山頂の遺跡調査隊としてメンバーの端っこに、入れてもらうことになりました。
横瀬の教育委員会にもお世話になり、日々の作業現場が山頂のイワクラだったんです。
でも、
(ここでの調査が終われば、山頂は爆破される)
うすうすとわかってはいたのですが、
そのための仕事、そのための調査、それは頭でわかっていたんですけど、
行先のないまま、秩父を飛び出しました。
熊本県水俣市に住んでいること
南へ向かった旅でしたが、旅の最後にたどりついたのが水俣でした。
水俣は、公害の原点と言われています。
母なる海は、黙って人間の生み出した毒を引き受けてくれている。
その無念さがありました。
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水銀ヘドロの処理方法は、広大な海を埋めて閉じ込めるという苦しいやり方です。
この埋めたセメントはどこからきた?と思って。
すぐ武甲山の山頂が思い浮かぶのです。
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ああ、こういうことだったのか、と。
水俣にたどりついた直後、武甲山は爆破されました。
※この語りは「INEHAPO」冊子3号よりまとめたものです。
歴史メモ-----------------------
秩父に「日窒鉱山」があり、水俣と同じ日本窒素(ちっそ)が手掛けた鉱山。当時は、賑わいのある鉱山の町だったが廃坑となり、
今はゴーストタウン化した負の遺産になっている。
武甲山の古くの石灰工業は、「石灰焼き」といい、
すでに江戸時代末期には個人宅で軽石を築くための炉を築き、
武甲山の雑木を燃料として肥料用石灰を製造していた。
武甲山の所有は、複数のセメント業者が関わっている。
秩父に熊野信仰を広めたのは、葛西氏であり、
武甲山山頂に熊野神社があった。
葛西 清重(かさい きよしげ)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。桓武平氏の流れを汲む秩父氏・豊島氏の庶流にあたる葛西氏。
源頼朝に従って歴戦し、鎌倉幕府初期の重臣になった。
初代の奥州総奉行、葛西氏の初代当主。
一族は陸奥国(現:宮城県北部~岩手県南部)に領土を得る。
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家紋は、細い方の三つ柏で土佐柏と同じ。
※三菱財閥のマークも、土佐柏(山内氏からとっている)
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切っても斬れない、因縁ともいうべきか、
葛西氏の家臣たちの多くは東北で散っている。
蝦夷と熊襲をつなぐ武甲山だった。
「森よ杜
はぐくみつなぐ ほのくらき
よすがのつきあい 鳴りひびく
そは みちてあかるき ねのまねくひは」(LEIKO)