なぜソウルシリーズにハマるのか
※この記事は2015.12月に投稿したものです。
私がソウルシリーズをプレイしてから早5年ほど経ちました。デモンズソウル、ダークソウル、ダークソウル2、そしてブラッドボーン。 この4つはゲーム制作会社フロムソフトウェアのアクションRPGゲームです。
ファミコンからのゲーマー暦30年ほどになりますが、これほど手に汗握る、そして現実社会よりも素晴らしいと思える達成感はかつて経験したことがありません。
この壮絶で退廃で無秩序で悦楽な至高のゲームをソウルシリーズファンのみならず、あらゆるゲーマーにお伝えしたいが為、筆をとることにいたしました。
まずはフロムの方々に感謝を。そして私の人生を有意義なものにしていただいた警句は忘れません。
未知との遭遇
ソウルシリーズといえば、デモンズソウルが根幹と言ってもいいでしょう。全ての主流なシステムはここから始まりました。 高難易度・達成感・斬新なオンライン対戦など、最新のブラッドボーンまで続く大事な要素です。
最初、デモンズをプレイした時はあまりにも理不尽な難易度で2回ほど売りに行きました。 評価が異様に高く、世評に流されやすい私としては「何故おもしろいのか分からない」状態。 やむなく攻略サイトを見て最初のステージをクリアした瞬間は今でも覚えています。そう、ファランクスのトロフィー。
このようにソウルシリーズは他のRPGとは違い、敷居の高さというものが設定されています。 つまり、「プレイする人間を選ぶ」というエンターテイメントサービスを真っ向から否定しているのだ。いらないなら売ればいい。 付いてこれるやつだけ世界を見せてやる。そして世界を垣間見た私は逃れる術を知らず、現在も住人であります。
さて、このゲームは高難易度がウリのように謳われていますが、実際はRPGらしいRPGを提供し続ける数少ないゲームだということを知っていただきたい。 未知との遭遇だ。 本来ならば、どこぞの村へ行き誰々を探せ!とか、魔王を倒すのじゃ!とか目的というものが少なからずあるのだが、このゲームは違う。「自分で探せ」である。
場は用意してある。後はご自由に・・ これはスカイリムのようなただ「広いだけ」ではいけない。世界感は肌で感じられる程度で十分であり、後は各々プレイヤー自身が開拓していってほしいという表れだと思う。
フロム脳という名詞がある。多くは語らない、言葉の断片で創造し解釈をして自分なりの世界を構築していくことを意味する。 そこに目的はなく、いったい何のために?俺はこの世界にいるんだ?こっちのステージは敵が強すぎる・・あっちに戻ろう、え?ここに出れるんだ!やったぜ! まるで少年時代を思い起こしてくれそうなゲームである。
火防女?闇朧?・・なんて読むんだ・・。え?コレ訓読みなの?など難しい名前群。うわぁ・・ゼッテーボス部屋だぜきっと・・ どうしよ・・イっちゃえ!・・あれ?ちょっ!待っ・・、ちょっ!っと、もぉおっ!マジか!? YOU DIED・・
アメとムチの絶妙なバランス
とにかく、よく死ぬ。死ぬのだ。死んで死んで死にまくるのがソウルシリーズ。 死ぬならまだしも「振り出しに戻る」のがまた高難易度というものに拍車をかけている。
しかし、どうだろう?見えるだろうか・・チャレンジし続けてしまう自分がいることに。 対価が欲しいのだ。目の前の苦難の先に「ご褒美」があることは知っている。 そのご褒美目当てに戦うのである。
それは素晴らしく性能がある武器か、はたまた夢の世界が待っているかもしれない。 そう思うと死んでもチャレンジせずにはいられない。それが達成感に繋がっていくわけだが、簡単にクリアできれば得られないことは明白。 あと一歩!というギリギリのラインで寸止めされることが多いこのゲームは人の感情をコントロールできることをよく知ってる。妙技というほかない・・
そして、安全地帯を作るというのも理にかなっている。 プレイヤーにしては精神的苦痛の戦闘に安堵感を与え、再び舞い戻るであろう修羅場へと意欲を掻き立たせてくれる。
炎のロングソードやアストラの直剣などのように序盤で手に入る「初心者救済」があるのも嬉しい。 「イけるかも」感が出て、ビギナーに門を広げてくれている。
ただ難易度が高いだけではここまでファンを魅了しない。そこには制作者の職人魂で成せる技が所々に散りばめられているのだ。芸術品といってもいいくらいの出来である。
たがだかゲームが・・なんていう時代はもう終わっている。ヘタな映画よりか美術的で耽美だし、GTA5など大作になれば制作費は映画以上である。 もはやバーチャルや現実といった垣根など存在しない。
私はここまで「生きている」という実感を味わえるゲームなど他にプレイしたことが無い。
ハクスラの醍醐味
ハック&スラッシュ。切り刻んでるのだが、ゲーム用語では「収集的要素」である。欲しいレアアイテムを敵からドロップさせる。 希望の品が出るまで何回も倒すことはマラソンとも言う。
このハクスラはRPGやアクションゲームでは無くてはならない要素の一つ。 ガチャでも同じような側面を持つが、前者のほうが健全ではある。 出ないのだ・・なかなか。
有名なところではデモンズの「純粋な刃(ヤイバ)石」 PS4のようにトロフィーゲットでスクショが自動で撮れるわけはない時代。 マジでシャメ撮っておけばよかったのにと後悔しているスーパーレアアイテムだ。 それが何か?と言われれば「何か?」と言い返すしかないだろう。
半日以上、黒ガイコツ狩りをしまくり「鋭利な打刀+5」を作成した者としては。 しかもそれほど強いわけじゃない。「お、おう・・」である。
トロコン条件もあるが、出さないわけにはいかないといこと。ソウルシリーズファンならば「全てを見たい」のだ。 全てを読みたいと言ってもいいだろう。武器やアイテムには説明書きがしてあり、それがフロム脳の肥やしとなるから。
ただ強い武器、便利なアイテムが欲しいだけじゃない。 ゲームの世界感を広げるアイテム達は更なるおもしろさを飛躍させる。
冷や汗のオンライン
ゲームでのオンライン要素はいまやあたりまえだが、ほとんどのゲームはロビーがあり、人を募りマッチングして「さあ、どーぞ」であるが・・。コイツらは違う・・。
「黒いファントム●●●●に侵入されました」
慣れているプレイヤーだと帰還のアイテムが無効になったことでその「存在」を知る。そう、普通の敵とは違い「生身のプレイヤー」が自分を殺しに来るのである。PKだ。
条件を満たしていれば、いついかなる場合でも問答無用である。高強靭で押し切り、魔法ブッパ、最悪チーター仕様で「あきれポーズ」でサヨナラ。
当然、協力プレイもできるのだが、ネット動画で上げている人はほとんどいない。 つまりは「侵入側」のほうにメリットが少なく、複数戦やタイマンで勝つことが英雄視される風潮があるからだ。 この侵入プレイ無しではソウルシリーズは語れない。
対戦はFPSや格ゲーなどのカスタマイズ性が低いほど「個」は出しにくい。 しかしプレイスタイルそのままで対戦できるソウルシリーズは「個」というものが重要になってくるわけだ。
「顔」「コスプレ」「武器」「ジェスチャー」「行動」そこに煩わしいチャットなどは必要なく、立ち会って戦う「潔さ」だけが残る。 初対面で挨拶する者、いきなり切りかかる者、隠れる者、釣る者、NPCになりきる者。三者三様でプレイヤーの数だけおもしろさも倍増する。
ソウルシリーズのキャンペーンはチュートリアルでメインはオンラインという人もいるんじゃなかろうか。
最終的にはロマンだということ
ソウルシリーズに共通して、ある武器がある「月光の大剣」。 この武器の歴史は古く、フロムのゲーム(キングスフィールドやアーマードコアシリーズ)から名称は違えども脈々と受け継がれている「ロマン武器」である。
男の子として生まれたからには「剣や刀」といった武器に憧れがあるのではなかろうか。 この「武器」はいかににして、誰が使い、何故ここに落ちているのか?何故コイツがドロップするのか? この武器を持ってるコイツはもしかして・・? 妄想に思いをはせ、もうフロム脳汁で頭が暴走しまくりである。
こういったロマン派生がソウルシリーズではかなり重要。むしろロマンだけでいい。 しかし、こういった未知なるロマンは「ナゾ」を残すだけではプレイヤーは見向きもしないだろう。根幹のシナリオが整っていて始めて妄想も膨らむというものだ。
個人的にはDarksoulsの「四騎士」が好きでたまらない。 アルトリウス、オーンスタイン、キアラン、ゴー。それぞれに従者がいたり、仲の良いのは誰と誰?友情?実はライバル?嫉妬心? もうここまでくるとゲームなんてどうでもよくなる。
これらは主にDarksoulsの追加DLCでの話しなのだが、コンテンツ料金1200円の価値以上の内容で、素晴らしい出来というほかはない。 どこぞのDLCばかり投入して金を取るゲームとは根本から違うのである。
ダークソウル3に望むこと
来春にはいよいよ「ダークソウル3」が発売されます。
※この記事は2015.12月に投稿
PVを確認してみると「ソウルシリーズの良いとこ取り」な感じがしますね。前作で不評だったパリイやバクスタが改善されていることを切に願います。
そしてプレイヤーにデバッグ作業をさせないようにしていただきたい。 自信があるものとして「世に出したなら」いちいち小狭いコミュニティのグチに動じず、やみくもにレギュレーションをかけないで欲しい。
そういう「制作者のブレ」が作品を鈍らせる恐れがあると思うんです。 熱烈なファンだからこそ、ファンの声には耳を傾けないで欲しい・・。
漫画やアニメのキャラ、ゲームというのは一度制作の手を離れたら「生き物」に変化する。 それはファンのものであると同時に制作者のものではなくなるということを意味する。それを「出した後」に「調整」をするから「ブレが生じる」。
一昔前はハード自体がオンライン仕様ではない為にパッチを当てることは難しい世の中でした。現在はご他聞に漏れず、シェアシェアです。 未完成のままゲームを作成しても、後で修正パッチ当てればなんとかなる。
とりあえず発売日までに形にしろ!。こんなところだろう。制作陣も親会社には逆えない。 ダークソウル3には全く期待はしていません。
当然おもしろいのでしょう、培ってきた土台があるから。オリジナルでは無いといことは想像力に欠け、どうしても過去の遺産に寄りかかるクセが出てくる。
ただ、望むのならばファンを無視して欲しいというだけである。ファンのためはファンにならず・・。