秋田の横手の花見団子が美味いなあって話。
我々は日本人だ。日本人は桜が大好きだ。
桜が主題の詩歌は数えられない位あるし、百円玉には桜が刻まれているし、気の早い情報番組なんかは下手したら年明けから開花予想を伝えるし、それが3,4月にはピークを迎えると、来る日も来る日も桜が咲いただの散っただの言っている。
春の訪れを告げるように咲き、満開の美しさもつかの間に、儚く散っていくその様は、私達の琴線に触れるものがあるのだろう。
それほどまでに親しまれている桜である。日本で花、といえば桜のことであるのは言うまでもないことである。
花見といえば、ご存知「花より団子」という言葉もある。
先述のように我々が恋い焦がれる、あの桜花よりも団子の方が良い、というのだ。
はあ、全くもって…首肯なことわざである。
お花見のテレビ中継といえば、酔っ払ったサラリーマンへのインタビューが定番だし、落語「長屋の花見」でも"お茶け"を呑んで云々というお話が出てくるから花見というとアルコールかと思いきや、花よりも団子だというのである。甘党バンザイ!
というわけで、花見団子の話がしたい。
花見団子といえば、桃白緑の三色団子が誰しもが思い浮かべるところであろう。手持ちの端末で「だんご」と打ち込むと→🍡の絵文字が出ることからも、やはり花見団子といえば三色団子が一般的なものだろうと思われる。
花見団子はかの豊臣秀吉が1598年に京都で開いた「醍醐の花見」で団子を振る舞ったことに因むという説があるという。
所変われば品変わる。京都から遥かに北へ650km。時代も下って420余年。
秋田県横手市(横手市にも醍醐という地名があるよ!)には、三色団子とは異なる花見団子が親しまれているのである。それがこちらである。
こちらの花見団子、特徴が大きく2つあって、1つ目が団子が平べったい形状であることである。押しつぶされたようなこの形は、1個の団子が一般的な団子よりもやや大きく感じられる。
2つ目は羊羹餡がコーティングされていることである。団子の味といえば、あんこ、みたらし、ごま、きなこ、一部地方ではずんだ、といったあたりがメジャーかと思う。それらは串に刺さった団子の上に、トッピングされた状態で販売されるのが普通だろう。
しかし、横手の花見団子ご覧の通り、つやっつやの羊羹餡コーティングなのだ。
単なる小豆餡、ではない。それより手間がかけられた、羊羹餡なのだから美味しくないわけがない。
もちもちの団子と、上品な甘さの羊羹を同時に味わえる逸品であり、そしてあんこやみたらしタレのように口元を汚したり、下に落としてしまったりすることに気を遣う必要もない。
横手で生まれ育った私は幼い頃からこの味に親しんで育ってきた。今思えばなんとも贅沢な話だ。近所に菓子店があったこともあり、春が来れば、雪が溶けて、フキノトウが地面から顔を出し、花見団子を食べるもんだと刷り込まれてきた。(仏壇には親戚が花見団子をよく供えていたような気もする)
春に帰郷出来るときには買って帰ってお持たせにしたり、逆に親からお土産にもらったりしてたけど、今春は帰省の予定はなし。
そこで、だ。今年は、お取り寄せしてまで、横手の花見団子を食べてやった。
とりあえずは加減が分からんから10本頼んでみたよ。そんなに食べれるかなって心配はあったけどね。
今住んでいるのが一応隣県なので、商品はすぐに届いた。
……で、届いたその日に、半分は食べちゃったよね。さらに次の日には残ったもう半分を食べたよね。2日で8本(妻2本)。自分でも制御が効かないほど、バクバク食べちゃったよ。だって美味しいんだもん。美味え美味えってどんどん食って、串に残ったわずかな羊羹餡までこそげ取る様にむさぼり食ったね。腹は、パンパンになったけど、美味えんだもんな。他には無い美味しさなんだよ、これ。
ふう。
故郷の美味と、ECサイトの発展に感謝しつつ、今年も桜の季節が過ぎようとしている。
春の風に吹かれながら、おらは来年も絶対、絶対、横手の花見団子食うって決めた。
それほどまでに、花見団子のお取り寄せは満足度が高かったよ、って、ただそれだけのお話でした。
↓のポストからは「かぶき屋」さんの花見団子の製造の様子が垣間見られます。手作業で羊羹コーティングをしてる様子、美味しそう過ぎて何回でも見られます。