樺太国境観光2024
日本から樺太へ直接行く場合、おそらく成田空港、新千歳空港、そして稚内港からのルートがあげられるだろう。しかしそれはもう数年前の話、某国への侵略事件により、これらの直行便は全て消えた。
2024年9月現在、樺太への国際航路はオーロラ航空の北京(週1便)、ハルビン(週2便)のみである。ロシア国内からだとあらゆる都市から国内線でアクセス可能だが、せっかくなので樺太最大都市、ユジノサハリンスク(旧豊原)の入国スタンプをゲットしようと思い、ハルビンから直行便で行くことにした。
ハルビンから約2時間半のフライトでユジノサハリンスクに到着。
流石は樺太、8月真っ只中というのに半袖だと寒さで震えてしまう。
空港のお土産屋にあったトートバッグ。今に始まったことではないが、日本人としては違和感を感じる部分がある。
ユジノサハリンスクを観光後、ポペジノという街へバスで向かった。
ポペジノは、かつて日本最北の駅があった場所である。日本時代の名は古屯、先住民族ニブフの言語が元になっている。しかし北緯50度、日ソ国境付近の街ということで、ソ連の南樺太侵略後、ロシア語で「勝利」を意味するポペジノという名前に変わったようだ。
日ソ国境まではここから10km以上ある、歩いてもよかったが、めんどくさいのでヒッチハイクをすることにした。とはいえ何十キロも続いている一本道なので、一度乗せてもらえれば方向を示す必要もなく、途中で降りるだけである。
ヒッチハイクは無事成功し、日ソ国境の碑に到着。
1945年8月9日の日ソ中立条約を破棄した2日後、8月11日にソ連の南樺太侵攻がここから始まった。ソ連が進行した方向がご丁寧でわかりやすい。
道は見えないけど、茂みをかき分けて矢印の道を奥に進んでみる。すると日ソ国境石碑の台座跡が現れた!
国境マニアとしてはたまらない。日本にかつてあった、陸の国境である。
さらにおもしろいことに、日本とソ連の境界線で、白樺の木が綺麗に切り開かれているのだ。
左にあるのが国境石碑の台座跡でこっち側が日本領、木が切り開かれている右側が旧ソ連領である
北緯50度の国境石碑は天測点として全部で4つあるようで、東から順に、天1号〜天4号となっている。ここの台座跡は天3号らしい。
天1号の石碑はユジノサハリンスクのサハリン州郷土博物館(旧樺太庁)で見ることができる。樺太旅行に来たら必ず行く場所であろう。
天2号は根室市博物館にあるらしい。
見に行かねば、、
彼りもまたヒッチハイクで戻ることにした。
ロシア人ドライバーと共に国境のモニュメントを横目に、旧ソ連側から北緯50度をいとも簡単に車で通過したあの瞬間はとても不思議な気分だった。
国境石碑の場所は自力でのアクセスが大変だったが、ポペジノの集落から歩ける距離のところにはこのような場所もあった
↓どうやらこの色あせた看板の地図が、これらの戦争関連の跡地を示してくれているらしい。
次回行く時はヒッチハイクなんかせこいことをせずに、レンタカーで色々な場所を巡ってみたい。
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