こちら西成区西成警察署前ドヤ街
タバコが吸いたくなり、夜中に宿を抜け出すと、ツンとすえた浮浪者独特の匂いを街全体から感じる。
温室育ちの私にとって関わりのないこの臭いは、普段の日常にいきなり現れると忌避したくもなるが、
この一週間をここで過ごしたことで、もうこの臭いが私の生活圏の香りと認識しているため、どこか安心すら感じていた。
遠くから怒鳴り声のような、おそらく人間が発したであろう爆音が聞こえるが、日常のことなので特段気にすることもなくイヤホンの音量を上げた。
一週間ほど就活で大阪に滞在するにあたり、安いからと適当に予約をしたここは、ホテルとは聞こえの良い、ドヤのようなところであった。
西成とはいえハズレの方だろうと、たいした下調べもせずに訪れた初日、散歩をしていると目の前にでかでかと西成警察署が居を構えており
いやここあいりん地区じゃねーか
と絶望したのが記憶に新しい。
速攻ホテルに引き篭もり、ドア下の隙間を革靴と服をパンパンに詰めた衣装カバンで封鎖し、謎の奇声に怯え、無理矢理眠りについた。
だが、人間とは適応する生き物だ。
就活と飲み会でのストレスやら多幸感やらがごちゃ混ぜになった2日目、終電でホテルの最寄りへ帰着した私は謎の全能感から、わざわざ遠回りして深夜の西成を闊歩していた。
マイナスとプラスの感情がひしめき合うと、私はかかっている状態に陥る。
この状態に陥ると、
タバコを吸いながら大きすぎる鼻歌を口ずさみ、踊りながら歩きまくるのだ。
普段は農道とか、家の敷地内とか、誰にも迷惑のかからない道で行うのだが、旅先でそんなところないしもう自分でも判りやすくかかっていたので街中でやってしまった。
するとどうだろう、この街には
こんな私なんかよりやべー奴がいっぱいいる。
空に話しかけるおっちゃん
コヤも持たず歩道で堂々と寝ているおっちゃん
コンビニ前でたむろして酒を仰ぐおっちゃん
そんな彼らに比べたら私の奇行なんてかわいいもので、何か言ってきたり、注意してくる人なんて誰一人いなかった。
なかなかどうして、過ごしやすいじゃあないか。
次の日にはもうこの街を体が受け入れていた。
寝起きのタンクトップ一丁で西成警察署の周りをうろうろと彷徨き、昼飯を探して徘徊していた。
きったねえドヤ街を踊りながら散策し、200円のモダン焼きと60円のコーラを手に入れて腹を満たした。
夜には新今宮駅前のスパワールドで整って、新世界を抜けた先の松屋でウマトマハンバーグ定食を食ってドヤ街までビール片手に歩いて帰った。もちろん踊りながら。
途中で酔いが回って疲れたので西成警察署前の路上で座り込んでタバコを2本吸って休憩した。
こんなことをしても何も言われない西成と治安維持に尽力したであろう西成警察署の御方々に乾杯をしてホテルまで帰った。
この日のビールが人生で一番美味かった。
西成区あいりん地区の歴史は、昭和時代にまで遡る。
この時代に、日雇い労働市場としての色が濃くなり始めたのだ。
背景には戦後の復興期において多くの労働者が必要とされたことが挙げられ、西成区は安価な労働力を求める人々で急速に人口が増加したのである。
日雇い労働者やホームレスについて、なぜこの地に留まるのか、なぜ保護を受けないのかといった背景については、柳美里の『JR上野駅公園口』を一読するとさらに理解が深まるので是非。
と恐らく、私は、若い頃よりあいりん地区に住み、日雇い労働で生計を立てたり、家族に仕送りをしていた高度経済成長期〜以前を生きた方々が今はホームレスとなったり様々な理由から長年働いたこの土地に住み着いているのだろうと所見を得た。
地元や企業といった地域共同体から抜け出し
自らの生涯を共にしてきたこの地で新たな共同体を築き、属している方々が多いのだろう。
所定の場所で毎日集まり酒を飲むおっちゃんや、すれ違うたびに挨拶を交わすおばはん達、またそのどれにも属さず生活している方々。
その方らにとって、この地区全体が住む家であり庭なのだ。
昨今は安価で住める泊まれるこの地区にインバウンドで訪れる外国人や私のような長期滞在者が利用するといった側面が強い街となっている。
印象としてドヤ街ですれ違う4割ほどは外国人だった。
そんな過去をこの街と生きてきた、そしてこれからも生き続ける方々のお家にお邪魔しているのが私たちである。
これを忘れちゃいけないだろう。
自分の寝ているすぐそばで大声でよそ者に騒がれちゃあそりゃあムカつくだろ。
新参者がでかい口で整備したり、新しく生まれ変わろう!なんて耳障りの良いことを言い出したら余計なことすんなと反発するだろう。
当たり前である。
私も寝てるすぐ横でうるさいこと言われたらブチ切れるだろう。
私は今回の来阪で、この街がとても好きになった。それは余計なことを言われないことや安くてうまい店がたくさんあることからだ。
だが、この街に変な帰属意識や仲間意識を持ってしまわないようにしたい。
私がこの街に住み着き、生活することで
住みやすさのために歴史を蔑ろにし、余計なことを言う側や安くてうまい店を潰す側に立ってしまう恐れがあるから。
好きなものを自ら壊す不届者にはなりたくない。
勘違いして流行りのエモさに引っ張られ、理想とは違う汚くて、グロテスクな現実を是正しようとしてはいけない。
そういった現実を受け入れて、それと共に発展し、生活をしている方々もいるのだ。
それを受け入れる覚悟のないソトモノがうるせーこと言ってくる現象を一番嫌悪している私だからこそ、好きなものとは距離をとって、適切に付き合っていこうと思う。
グロテスクな現実は誰もが持っているし、属している。
そういった部分を自分勝手で独りよがりな善性だけで介在するくせ、覚悟はないから途中で放棄する
そんな人物にはなりたくはない。
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