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【キャラクター・マトリクス展関連イベント】出展アーティスト6名によるトーク

アートセンターBUGにて、2024/8/30(金)~9/16(祝・月)に開催した「キャラクター・マトリクス」展の関連イベントとして、出展アーティスト6名によるトークイベントを行いました。今回はそのトークの内容をレポートでお届けします!



スタッフ:本日はお集まりいただきありがとうございます。今回は、アーティストのみなさんに出展されている作品の紹介や、展示してみての感想をお伺いするトークにしていきます。まず、それぞれの自己紹介をそれぞれお願いします。

たかくら:よろしくお願いします。まずは展示概要について説明します。この展示では、たくさんの姿形のキャラクターが立体曼荼羅のように配置される空間構成にしたくて、作家のみなさんに声をかけました。この展示に至る考えは、昨年、日本橋アナーキー文化センターで「アートは魔術」というグループ展にて、青山夢さんと出会い、そのあと彼女とキャラクターとアートについての話をしたことがきっかけで生まれました。オタクカルチャーがアートとして取り入れられて以降、キャラクターのアートというと美少女アニメの絵ばかりになってしまっていて、「売れるから美少女アニメ風の絵を描いているけれど、本当はポケモンみたいな絵を描きたいアーティストがいっぱいいるぞ」という話になって…。それをできる場所を作りたくて、この展示を企画したという経緯があります。僕の自己紹介は…ネットで検索してください!

「キャラクター・マトリクス」会場全体(撮影:奥祐司)


九鬼:九鬼知也です。自己紹介的にお話しすると、フィギュアが好きなやつ。シンプルに言うとそんなかんじです。

たかくら:今回、九鬼さんには108体の作品を出してもらっています。

九鬼:ぜんぶ新作です、がんばりました。

撮影:奥祐司


谷村:谷村メイチンロマーナです。私の作品は、木枠に発砲ウレタンでキャラクターを作ったり、それらの小作をパッケージしたり、立体作品もあったり。ソフビのビジュアルが好きなので、ソフビのような、おもちゃのような作品を作っています。

《アマ・フチ大国最強の右腕「ヤマダーノ・オロシ」》(撮影:奥祐司)


青山:青山夢です。正面にある「八岐大蛇(やまたのおろち)」をモチーフにした大きな作品と、後ろにある革で作ったコウモリの作品や、壁に展示しているのが私の作品です。主に布や革に刺繍をして、その上から油絵の具やアクリル絵の具を使って絵を描いています。昭和のちょっとどろどろとした表現と、平成のツルツルとした表現をミックスさせたような作品を作っています。

《Beginning of the story》(撮影:奥祐司)


平山:平山匠です、よろしくお願いします。本日はお越しいただき、みなさんありがとうございます。僕は普段、粘土を使って作品を作っていて、人との距離感や「人を理解するとはどういうことなのか?」というようなことをテーマにした作品を作っています。今回は、粘土で作った全長5メートルの《ハニラ》という彫刻作品と、その下にある焼き物の作品を4点ほど展示させていただいています。

《ハニラ》(撮影:奥祐司)


影山:影山紗和子です。普段はアニメーション作家として活動したり、イラストを描いたりしているんですが、展示はあまりしていません。今回お声がけいただいて、久々に展示させていただいています。作品は、モニターを使った映像作品と、メタバースの世界を体感できるようなゲーム作品を出展しています。

《にゃんテレにゅーす》(撮影:奥祐司)



たかくら:はい、というような6人の作家で展示を行っています。美少女キャラではないモンスターとか、特撮やゲームなどのキャラクターを題材にしている作家たちを集めたんですが、実際に集めてみるとフィギュア好きな人が多くて、不思議だなあと感じています。壁面の大きな作品は、ほとんどが谷村さんと青山さんの作品です。そして、この巨大な平山さんの立体作品は、インタラクティブ性を持っていて、乾くたびに平山さんが水をかけるというパフォーマンスが発生します。九鬼さんの作品はあらゆるところに散りばめられている小さい陶のフィギュア作品で、影山さんが映像作品を出展されています。僕自身は、奥に曼荼羅の作品を展示しています。それでは、それぞれ作品を作ってみてどうだったのかを聞いてみたいと思います。

九鬼:やっぱり100以上の作品を作るのは、大変ですね…。

たかくら:全部、新作ですもんね。今までで一番多いですか?

九鬼:一番多いですね。作品を作ってみての感想ですが…シンプルに楽しいですね。好きなように作れたので。

たかくら:現物を見て思ったんですけど、キャラクターだけではなくて道具や武器のようなものもたくさんありましたよね?あれは、どういう風に考えたんですか?

九鬼:単純に作りたかったという理由もあるんですけど…何というか「顔を描いたらキャラクターになる」という考えがあるじゃないですか。だから今回の展示では、武器もキャラクターにしようと、ああいう感じになりました。武器にも目玉があって…。

たかくら:《ハニラ》(平山さんの粘土彫刻作品)の下にも、九鬼さんの作品があるじゃないですか?それと一緒に、展示を作るための丸鋸も置きっぱなしになっていて、そういった道具も九鬼さんの作品と合わさって、キャラクター的というか…人格を帯びたのがすごく良かったなと。
みなさん(他の登壇者の方を向いて)、どんどん話に入ってきてもらっていいんですよ。

平山:いいんですか?

たかくら:はい。一人ずつ聞いていると、なんだかカウンセリングみたいになってしまうじゃないですか(笑)。

平山:わかりました!

たかくら:それでは、谷村さんのお話を聞いていきましょうか。

谷村:私は、発砲ウレタンで作品を作るというスタイルが3年目くらいになるんですが、グルーガンで作った立体作品は1年半くらい作っています。作ってみると、絵のスタイルでいくよりも立体を作る方が楽しいなと(笑)。
今回は、新作として、「八岐大蛇」をモチーフにした絵と、その立体バージョンの作品を出展しています。偶然にも青山さんとモチーフがダダ被りしたんですが…。
私は、カートゥーンから影響を受けていて、例えば、『おくびょうなカーレッジくん』とか『パワーパフガールズ』とかクレイアニメの『ウォレスとグルミット』とかが好きです。私の作品に出てくるキャラクターの、目が大きかったり、鼻が大きかったり、というのはそこからの影響ですね。また今回は、たかくらさんが日本の特撮系や仏教の密教系の文章を書いていたことを受け、日本の神話の要素も混ぜたいと考え、そこから「八岐大蛇」が出てきました。

たかくら:なるほど。青山さんは、「八岐大蛇」かぶりについては、どうですか?

青山:同じ「八岐大蛇」でも、好きなところの原点が違うというか、真逆なんですよね。例えば私は『カートゥーン ネットワーク』よりも、ディズニーの『シリー・シンフォニー』シリーズとかが好きです。なので、表現も異なれば、色も反対色になりましたよね。

谷村:そうですね。デザインとしても、私は蛇のイメージが強く出ていて、青山さんはどちらかというと龍のようです。

青山:あとは初代ポケモンのように、要素をすり減らして作られたかたちが好きなので、そのゴテゴテを省いて龍を作りました。

平山:個人的に感じたのは、青山さんの「八岐大蛇」の顔が犬っぽいんだよね。

青山:鼻面が長めの犬がすごく好きで…。だから全部の作品が、鼻面長めの犬のかたちをしたティーポットであったり、鼻面長めの犬のかたちをした「八岐大蛇」だったり、鼻面眺めの犬のかたちをしたドラゴンであったりしますね(笑)。

平山:やっぱり、そうだったんだ!

青山:実家で犬を飼っているので、その犬の顔をいろいろな角度で写真を撮って、そこからドラゴンにしたり、ティーポットにしたりと変身させています。

たかくら:谷村さんは、好きな動物とか何か影響を受けているアニメとか、ありますか?

谷村:やっぱり、カートゥーンですよね。そこに出てくるキャラクターの大きな動きから影響を受けているし、絵を描く人は大体漫画にハマって、二次創作し始めるじゃないですか。授業中とかに黙々と落書きを描いて、ノートが落書きまみれになる、みたいな。そういう時、私はきれいな絵というよりは、キャラクターの動きを反映させたり、顔のかたちもカートゥーンの要素が強かったりしたので、それが今も活かされている気がします。

たかくら:発砲ウレタンもグルーガンも同じように盛るという動作があって、それがすごく身体的なのかな…と。
青山さんの作品は、同じように半立体的な作品でありながら、緻密ですよね。縫っている…というか。

青山:そうですね。谷村さんの作品について「盛る」という話が出ましたが、私は最初の段階である程度作り込むので、「盛る」ことができないんです。下書きの代わりに布に縫いますが、その線はどうしてもゆがみなどがし生じるので、「この縫って絞れた時のかたちをどう活かすか?」と考えますね。

谷村:青山さんは、そうやって縫いながら絵画に組み込んでいく感じで、私は「キャラクターが飛び出してきちゃった」というようなイメージなので…その違いが明確にあるかもしれないですね。

たかくら:次は平山さんに作品を作ってみての感想をお聞きします。大変でしたよね…?

平山:そうですね…。いつも体力の限界を感じる作品ばかり作っていて、疲れてきちゃう。

たかくら:お疲れ様です(笑)。本展の高台のような設計は、普段、演劇の舞台美術をされている中村友美さんに頼んだのですが、最初から平山さんの大作をどう織り込むかということを考えながら進めました。作る上で気にしていたことはありますか?

平山:やはり、重量の問題ですよね。BUGの床の耐荷重よりも、《ハニラ》は重くて…。だからその荷重をどう逃がすかというところが、少し心配な部分ではありましたね。

たかくら:コンセプトとしては、最初に平山さんから「ジャミラ」の話を聞いていました。人間の力によって怪獣になってしまった話とか。あとは、平山さんが書いてくれた漫画でも、「人間が怪獣になってしまう」という話を描いていますよね。その辺りについて教えてもらえますか?

平山:厳密にいうと、《ハニラ》と漫画は別の脳でつくったものではあります。《ハニラ》は、ウルトラマンに出てくる「ジャミラ」という怪獣がモチーフになっています。「ジャミラ」はもともと人間で、宇宙飛行士でした。宇宙科学闘争という時代、アメリカやロシアがとにかくロケットを作りまくって宇宙に飛ばす時代に生きていて、宇宙に飛ばされて帰って来れなくなってしまって…。それを隠蔽されて、ただただ宇宙をさまよう状態がずっと続いたせいで、怪獣になってしまって地球に帰ってくるという話なんです。結果的に「ジャミラ」は、めちゃくちゃ火に強くなって帰ってくるんですよ。科学特捜隊という戦う人たちがいるんですけど、彼らがミサイルを撃ちまくっても何も効かないんです。めちゃめちゃ皮膚が固くなっているから。そんな「ジャミラ」は最後に水で殺されるんです。要は、水を摂取しないと生きることができない人間とはある種真逆の構造になっていて、水を摂取すると死んでしまう…みたいな。そして最後は、土に還るというエピソードなんですよね。

たかくら:うん、うん。

平山:僕は大学時代からかれこれ10年以上、粘土を使って作品を作っているので、やっぱり粘土というものについてすごく考えるようになるんです。ざっくり言うと「この素材はなんだ?」みたいな。例えば粘土を手に取ってギュッとかたちを押し込むと、そのかたちのままに記憶されるので、そのときの気分でかたちや雰囲気がすごく変わる。作る人の感覚をめちゃくちゃストレートに享受する素材なんですよね。そして、粘土の産地はいろいろあるんですが、粘土をとり過ぎてしまったらしくて、あと10年、20年くらい経つと日本で粘土をとるのが困難になってくるらしくて。そういう粘土の構造と、「ジャミラ」が搾取された構造をうまくリンクさせて作品を作ろうかなと思ったのが、今回の作品ですね。

たかくら:なるほどね。基本的に谷村さん、青山さん、平山さんが上のフロアの大きな作品を作っていて、僕の当てはめとしては、ここは巨大怪獣ゾーンなんですよね。青山さんの《bat monster》は、コロナウィルスの時に作ったもので、「八岐大蛇」は津波をモチーフにした作品だったり、自然の脅威から来ています。そして、平山さんの場合は「ジャミラ」と共通するように人間が人間の脅威になる…みたいな話につながっていく感じがしますね。

平山:そうですね。人間が地球上にあるいろいろなものを使って、どんどんと便利なものを開発していくけれど、それ自身が人間を縛っていって、ある種の災害に繋がり、脅威になっていくという感じはあります。やっぱり怪獣はそういったもののメタファーになることが多いですよね。

たかくら:それに加えて、僕はこの展示を仏教寺院的な構造にしたいと思っていたから、平山さんから「大きい構造物を作りたい」と聞いたときに、「大仏だ!」と思っていました。ただ、「名前がハニラ」だと知って、「埴輪だから仏教伝来前だ!」と思い、そこにも面白さを感じました。
では、影山さんも今回の作品制作について教えてもらえますか?

影山:今回の作品は、架空の放送局があって、その放送局が映し出されるテレビのイメージで作りました。一人でやっているので数をたくさんは作れなかった…でも、頑張りました。

たかくら:影山さんの作品をみて思ったのは、深夜番組っぽいというか、テレビのみようとしない部分が流れているなと思ったんですね。テレビショッピングのCMとか、コンテンツとして観るのではなくて、環境としてのテレビというんですかね。深夜の12時になる直前にぼーっとしながらテレビをみている感じ。それが無限にループし続けているので、会場にいると1日中深夜のような気分になるんです。

影山:ありがとうございます。この作品のモチーフをテレビと言いましたが、実はテレビが嫌いなんですよ。うるさいから。テレビ番組とかもあんまりみないんですけど、家で仕事をしていると、さすがに無音は気が滅入るのでテレビを点けることがあります。そういう時にどうでもいいテレビショッピングとかが夜中にやっていて…。私にとっては、それくらいがちょうどいいんですよね。

たかくら:うん、うん。深夜番組に出てくるキャラクターがいるじゃないですか。「カウントダウンTV」とか「誰が作ったの?」みたいなキャラクターが出てくる。あとは、電車の液晶広告の右下とかにいるキャラクターとか。そういう感じがして、すごく良い映像だなと思っています。

影山:ありがとうございます。

たかくら:あと、僕自身も映像作品を作っていて思うんですが、どうしても「物語を作れ」という空気があるじゃないですか。でも、そんな必要はないと思っているんですよ。時間構造も始めと終わりではなくてループさせてしまえば、それはある種立体として立ち上がるというか。物語がなくてもちゃんと「アニメがアニメである」ことのシンパシーはあるというか。影山さんが作っているなかでも、「物語を作れ」みたいのはないですか?

影山:ありますね。私は大学を卒業してから、藝大の院でアニメーションを専攻していました。でも中退しているんですよね。それは、講評の時間に「目的は何だ?」ということを聞かれることが大きくて。その環境の中で、みんな無理やり物語をつくろうとしていたのですが、私はそれがすごく不自然に感じて溶け込めなくて…。結果的に中退しました。今はそうではないかもしれないですが、私が通っていた時はそういう感じでした。批判みたいになってしまいましたが。

たかくら:いやいや、批判しましょう。僕としては、キャラクターも物語と一緒に語られ過ぎているように感じています。結局アニメキャラクターというものは、アニメの物語を背負っていて、物語からしかキャラクターというものは語られてきませんでした。フィギュアやゲームの場合は、物語がなくても操作できればそこにキャラクターは存在するし、アニメも動いていればそれでアニメとして成立していくんです。そういう話ができたら良いなと思って影山さんを展示に誘いました。

影山:ありがとうございます。

たかくら:ということで、一通りみなさんの話が終わったんですが、どうですか?誰か話してもらっても良いですか?

平山:どんなフリですか、それ(笑)!

たかくら:他の作家に聞きたいこととかありますか?

平山:谷村さんに聞きたいなと思ったんですが、グルーガンで作品をつくっていると話していたじゃないですか。
彫刻作品というと、石とか木とか、僕みたいな焼き物とか、ハードな素材で成り立つものが多いですよね。一方で、ソフト・スカルプチュアで代表的なアーティストとしては、草間彌生さんとかがいると思うんだけど、どちらでもない素材感ですよね。めちゃくちゃ硬くもないじゃない?

谷村:硬いといえば硬いけど、中が針金で伸びが悪いから、その針金が曲がると速攻でひび割れしてさようなら、みたいな感じで。

平山:その素材においての定義がすごくフラジャイル、つまり、どっちでもない気がします。

たかくら:なるほど。確かにこの素材はあまり使われていないなと。

谷村:先ほどもソフビをモチーフにしていると言いましたが、ソフビは塩化ビニールでできていて、グルーガンも塩化ビニールなので素材の共通点はあるんです。そして最近は、ソフビがアート業界に来ていて、それはすごく良いことだと思っています。美術の敷居も下げられますし、純粋にかわいいし、あとはクオリティーも高くなりますし…。一方で、いろいろな作家さんがソフビをやっているなかで、私はソフビをアートとして作るのではなく、単純にグッズやおもちゃとして作りたいと思っています。だから私の立体作品は、元の素材は一緒でも全て手作業なので、同じものを二度と作れないという特徴があります。

《ダークネス公爵 「ブリストル・マグニフィセント・パーカー」》、《古代の眠れる神「カヌ・コモリ」(3D ver.)》(撮影:奥祐司)


たかくら:九鬼さんもソフビとかフィギュアとかが好きだと思うんですが、僕らは工業製品、おもちゃに影響を受けている。ただ、ソフビを作ろうと思うと「ソフビ業界、牛耳りすぎじゃない?」となるわけですよ。例えば、「300体からしか金型を作れません」とか「300体作ったら、作家さんが100体買い取ってください」みたいな話で。そうなると100体も買うお金ないし、「作れないじゃん!」となるわけですよ。
だから、おもちゃはおもちゃである前に、工業製品であるということを思い知らされるわけですよ。そして、作品としておもちゃを作りたいと思った時に、プロダクトであるという壁を越えられない作家がめちゃくちゃ多くて…。でも、九鬼さんはそれを陶芸というプロダクトを経由することで解消しようとしているように見えるんですが、そこはどういう考えでやっているんですか?

九鬼:その通りだと思います。できたからそれでやる、みたいな。

たかくら:きっかけは、なんだったんですか?

九鬼:うーん…。最初の話でいうと、「絵は自分で描けるけど、陶芸は陶芸コースに入って、窯などの環境がないとできないな」と思って陶芸を始めたんです。もともと落書きで描くキャラクターが好きで、おもちゃも好きだったので、学生のときにはフィギュアっぽい陶芸を作り始めていました。ただ、フィギュアという理想に対して陶芸でどうクオリティーを上げていけば良いのかわからなくて挫折したこともあって…。そのあとは絵を描いて、また陶芸やって、音楽やって、また絵を描いて、それで今はまた陶芸をやっていて。最終的には、「陶芸のフィギュアってかっこいい」、「世の中にないから作ろう」、みたいな気持ちですね。

たかくら:平山さんはどういうきっかけで焼き物を始めたんですか?

平山:そもそも絵を描くよりも粘土で何かを作ることの方が得意だったので、彫刻科に行くことにしました。その後、焼ける粘土があると知り、彫刻科の窯で始めました。彫刻科と陶芸科の粘土の捉え方は、若干違うんですよね。

たかくら:今回の《ハニラ》も彫刻っぽいというか…。ちなみに影響を受けたキャラクターはありますか?

平山:初代の「ウルトラマン」を考えた彫刻家の成田亨さんのデザインが好きでしたね。あとは、90年代半ばから後半の「ニンテンドー64」とかのゲームとかキャラクターからも影響を受けていますね。

たかくら:3DCGとかから影響を受けているところが、彫刻科出身ぽいですね。それより前の『ゲームボーイアドバンス』とかは、あんまり?

平山:そうですね。ちょっと平すぎるなかな。「これじゃあ、絵じゃん!」みたいな。

たかくら:画面内でも立体に影響をうけたということですね。青山さんは、どうですか? 

青山:やっぱり初代ポケモンとか、ディズニーだとティーポットとかカップとかが人のような動きをする「シリー・シンフォニー」とかアリスとか、いろいろな道具や家具が自我を持っていてキャラクター化されているものから影響を受けています。あとは、ドロドロとしたものがすごく好きで、みんなが見た時にぞわっとしたり、怖いなと直感的に感じる部分は、寺山修司とか昔のウルトラマンとか…。よくみると、敵の怪獣には縫い目が見えて、人が入っていることがわかるんですよね。ウルトラマンは「ハヌマーン」が記憶に残っていますね。

たかくら:絵には、その要素をだいぶかわいく落とし込んでいるわけですね?

青山:そうですね。平成のツルツル感を入れて、ポケモンみたいにかわいらしく表現しています。

たかくら:影山さんはどうですか?

影山:ああ…私はウルトラマン全然わかんなくて。影響を受けたのは、キャラクターの文房具とかを売っているサンエックス系ですね。物語ではなく、そのキャラクター単発で「かわいいな」と思っています。

たかくら:サンリオとかも文具から始まってますよね。ノートとか鉛筆とかから始まっていて、文具の中にキャラがいるという感じで。

谷村:女の子は少なからず持っていましたよね、サンエックスの文房具。

たかくら:その女の子たちの中の文房具キャラクターの扱いは、どういう感じだったんですか?「私はリラックマ推し!」みたいなのがあったんですか?

影山:シール交換とかをして…。

青山:私は小さい頃、シールを買ってもらえなかったので、キャラクターをコピーして切り抜いて裏面にセロハンテープを付けて、それを友だちと交換していました。戦闘力は弱かったんですけど(笑)。

たかくら:海賊版じゃん(笑)。それは最高ですね。

たかくら:サンリオとかは、やっぱりものすごい数のキャラクターがいてすごいですよね。僕個人としては、そういうかわいいカルチャーと、男の子的なビックリマンの世界観が融合しているのが、ポケモンなんじゃないかと思うんですよね。それこそアニメキャラクターは、恋愛とか人間関係の物語が出てきちゃうと思うんですが、それ以前のキャラクターの遊び方は、シルバニア・ファミリーの中にウルトラマンがいる、みたいな状態があったわけですよ。あの状態は原始的なキャラクターの状態なんじゃないかなと、ふと思いましたね。
九鬼さんは、どういうキャラクターに影響を受けていますか?

九鬼:うーん、いろいろだと思います。例えば、ゲームの「ガチャフォース」が好きだったんですけど、キャラクターに影響を受けているというよりは、ゲームの中の質感とか、立体的になっているビジュアルの雰囲気に影響を受けていますね。

たかくら:なるほど、ゲーム上の架空の質感。この間、青山さんと『名探偵ピカチュウ』のテクスチャーが気持ち悪いという話をしましたよね。

青山:はい、すごくリアルで。ロボットが人間の顔に似過ぎてしまうと、気持ち悪く感じてしまう現象…。なんでしたっけ?フシギダネ現象…?

たかくら:不気味の谷現象ですね!

青山:そう、不気味の谷現象!それと似たようなことが起こっていました。だから私も表現する時は、あの段階のもう少し手前のリアル度で描こうと決めて作品を作っています。

たかくら:『名探偵ピカチュウ』に出てくるキャラクターがツルツルだったとしたら、それはそれで気持ち悪いんですよ。僕が思うに、現代アートのキャラクターは全部ツルツルでFRPっぽい。それは多分ポップアートの影響が大きく、プロダクトっぽく形容しないと作品だと認知されない感じがしています。今回はみなさん質感のあるものを作ってくれているんですが、キャラクターの肌触りやテクスチャーなどは、シュルレアリスムから特撮に繋がって行く時に重要だったはずなんですよ。その文脈を改めて接続することが、大事だと考えています。

スタッフ:ありがとうございます。たかくらさんの作品についてもお伺いしたいです。たかくらさんは曼荼羅をモチーフにした作品を展示されていますが、これは仏像をキャラクターとして捉えているということでしょうか?

たかくら:そうですね。僧侶の方には怒られるかもしれないけど(笑)、僕は大乗仏教が二次創作だと考えているんですよ。釈迦が死んだあと、その世界以外のキャラクターを増やすところが大乗仏教の始まりで、それが「仮面ライダーディケイド」みたいにマルチバースになったり、「大乱闘スマッシュブラザーズ」みたいに他のゲームキャラクターも入ってきたような状態が曼荼羅だと思っています。だから、今回の曼荼羅はスマブラ(大乱闘スマッシュブラザーズ)などのキャラクター選択画面をモチーフにしていたりもします。
僕が「カオス*ラウンジ」という集団で展示をさせてもらっていたときがあって、その人たちとアニメの話は全く合わなかったけど、スマブラだけは一緒にやってたんですよ(笑)。

谷村:コミュニケーションの一つですよね。

たかくら:そうそう。キャラクターを選ぶとき、「この人はこんなキャラクターを選ぶんだ」ということ自体がアイデンティティに結びつくというか。ポケモンも一緒で、リザードンを選ぶ人は「リザードンぽい」となるんです。

スタッフ:面白いですね。ちょっと話が変わりますが、今回たかくらさんがこの5名を選んだ理由も聞きたいです。あと、みなさんは声をかけられてどう思いましたか?

たかくら:やはりこの展覧会は青山さんと話していたことがきっかけなので、青山さんから誘いました。あとは、谷村さんの作品は、特撮とフィギュアを繋げようとしている点から必要だと思ったし、この二人がいれば壁が埋まるんじゃないかなと思ったんですよね(笑)。

谷村:二人とも東北芸術工科大学を卒業しているんですけど、「とにかく大きいものを作れば最強!」みたいな感じでやってました(笑)。

たかくら:特撮怪獣とゲームの文脈を辿っていく際、僕は中沢新一さんの『ポケットの中の野生』という著書をバイブルとしています。また、ポケモンを作った田尻智さんもウルトラセブンのカプセル怪獣やポケモンのモンスターボールの話をしているので、その文脈を繋げたいと考えました。平山さんは元々知っていたんですけど、特にBUG Art Awardに応募してくれた作品が怪獣だったこともあり、誘うことにしました。

影山さんは文房具キャラに影響を受けている点と、もともと「1_WALL」で知っていたとこともあり、お誘いしました。九鬼さんは、以前から作品が好きで買ったこともあり、そのフィギュア性やゲームキャラクターがベースにあることから、重要な役割だと思って声をかけました。

スタッフ:たかくらさんのお話を聞いて、みなさんはいかがですか?

青山:誘われた時は、すごく嬉しくて!でもすぐに返信するとがめついかなと思って、30分とか1時間経ってから返信して…。私の読み的に、「これは絶対に面白くなる」と感じたので、嬉しくて犬と一緒に踊っていました。

谷村:そのあと青山さんから「たかくらさんから連絡が来ると思うから、準備しておいて」という感じで言われて。私は、「アート業界にまた新しいビッグウェーブをかますぜ!」という意気込みでした。

九鬼:僕は「最高!」という感じでしたね。

たかくら:これ、あれだな…(笑)。こっちから聞いて「最高!」と言われると、仕込みみたいになっちゃうよ。影山さんは実は嫌だったとか、ないですか?

影山:嫌とかはないですよ(笑)。でも、プレッシャーはありましたね。

スタッフ:みなさん、ありがとうございます。最後に会場の構造についてもお聞きしておきたいです。舞台美術の中村さんに依頼されたことは先ほどもお話しいただきましたが、どうしてこういう構造になったのか?ということも詳しく聞いておきたいです。

たかくら:先ほどこの構造が「立体曼荼羅」だと言いましたが、それは高野山の壇上伽藍の空間が曼荼羅的であることを重ねています。あとは「ホワイトキューブみたいな空間にしたくないと同時に、ホワイトキューブ批判にもしたくないな」と思っていました。例えばお寺では、僧侶が生活しているキッチンの横に古い掛け軸が飾ってあったり、お庭で掃除している人がいたり、生活空間と美術が密接になっている風景があります。
これは西洋に対する東洋の構造ということではなく…。バチカンでは教会の中にステンドグラスがあり、そこから光が差して絵画に光が当たり、その手前には立体彫刻が一点透視できるように置かれている。つまり、建築構造と美術作品の関係、そこに加えて人の気持ちのアップダウンも含んで設計されています。あとは、急な神社の階段を上がって、明るい外から堂内に入って参拝するとスピリチュアルな気持ちになるのは、階段を上がってきたことで、心拍数が上がっているからなんじゃないか?とかも考えられる。そういうふうに、鑑賞者の身体構造と建築の構造をうまくシンクロさせるインタラクティビティがすごく重要な気がしていて。この会場に関しても、上の曼荼羅をみた後に下の曼荼羅をみて、一番奥に進むと、設計図面(リアル)と漫画(フィクション)が祀ってあるんです。演劇だとこの舞台の下のことを奈落と言うんですが、そんな地獄の底のようなところに入ると、そこに全てのプログラムの中心があるという世界観です。そんな感じで、裏と表やリアルとフィクションがグラデーション化するような構造を作りたいと思ってはいました。

スタッフ:いろいろな意味合いが含まれているんですね。ちなみに、実際にこの舞台ができあがった時にたかくらさんが「本当にできちゃうんだ」と呟かれていたのが印象的でした(笑)

たかくら:言ってましたね。構想が膨らむ一方で、こんなことは実現できないんじゃないかな、と思う気持ちもあったので…(笑)。


質疑応答

スタッフ:それでは、本日会場にたくさんの方がいらっしゃっているので、質疑応答の時間に入ります。

質問者①:「ポケモンを描きたい」というところからこの企画展がスタートした」というお話が気になっています。実際の展示ではポケモンや特撮怪獣を直接引用をされている方はいないようですが、それはタブーとしたのか、はたまた勝手にそうなったのか教えてください。

たかくら:僕はそこに関して、コントロールしていません。ただ展示に誘った時点で、そういう感じの人たちではないと思っていました。ここにいる作家たちは「オリジナルキャラクターを作りたい」という人たちで、それをどう美術の中で文脈化するのかということの方が重要だと考えていました。みなさんは、どうですか? 

谷村:全然したくなかったですね。やっぱりポケモンをそのまま持ってきたアート作品は、ポケモンに甘んじているだけだから。自分で作ったキャラクターがどれだけくだらなくても、「どうやればアート作品になるか?」というところでバトルしたい。

青山:そうですね。私も子どもの頃から、元々あるキャラクターをそのまま描くのはそんなに好きじゃなかった。小さい頃よくやっていたことは、例えば、ヒトカゲの進化系を自分で考えるとか。描く時は自分のオリジナルで行きたいなと思っているので、「これはヒトカゲだよね」とかはあまり言われたくない。「これは青山さんのキャラクターだよね」みたいに、自分の絵が主人公というわけではないけれど、自分のアイコンになってほしいという思いが強くありますね。

平山:二次創作というものの捉え方の問題もあると思っていて、ただ引用するという認識の人が多いと思うんですけど、その引用の仕方が面白かったら、僕はオーケーだと思っています。あとはリスペクトも必要だと思っていて、アメリカの「フェアユース」など、単純にパクるのとは違う引用方法がありますよね。僕の場合は直接的ではないけれど、やっぱり「ジャミラ」の話が持つ意味を自分の視点と絡み合わせて、「今の時代において、どんな自分の言葉や表現でアウトプットできるのか?」というところを意識しました。

影山:もちろん影響を受けることはありますが、私も引用という考え方がないですね。「既にオリジナルのものがあるから、私も自分のオリジナルのものを作るか」という考えで、ずっと制作しています。

九鬼:僕は自然とそうなった…という感じなんですけど。作っているなかには、「これ、めっちゃカービィやん」みたいなこともありはしますね。

たかくら:たまにフィットしちゃうことは、あるよね(笑)。僕自身は今回、仏像を250体二次創作しています。

質問者②:今回の作品を観て、資本主義の欲望、対象の欲望、サブカルチャーなどをイメージしました。昔の古代人は夢から目覚めることが現実で、夢は非現実の出来事だった。昔はそういった境界線がありましたが、今はインターネットやメタバースなどの新しいテクノロジーが出てきて、現実と非現実というものの境界線が曖昧になってしまった…。そういうことを作品から感じました。

たかくら:正にそれです。古代人にとっては夢というものが重要だったわけですよ。先ほど話したように、寺みたいな構造からフィクションを立ち上げるということは、シュルレアリスム的でもあるし、宗教や儀式のやり方でもあります。構造があるということは身体性があるということですが、これまでのサブカルチャー論やオタクカルチャーではそこが欠けていたんじゃないかと。ゲームや演劇を引用したいと思った理由は「フィクションを立ち上げるために身体性がいる」ことを伝えたかったからです。

質問者③:ステートメントの中に「物語と切り離されたキャラクター」と書かれていましたが、私はキャラクターを考える際、物語を作らないと想像できないと思ってしまいます。みなさんがキャラクターを考える際は、バックグラウンドの物語を作るのか?そんなことをしなくても作れるのか?という点が気になりました。

谷村:私は、キャラクターのイメージがバンバン出てきちゃうんですよ。ブリューゲルの《大きな魚は小さな魚を食う》という作品が好きなんですが、そこには魚に足が生えているキャラクターがいて、そのフィギュアも買ったんですよ。ずっとそういった造形から影響を受けているので、いろいろな造形を合体させてクリーチャーみたいなキャラを作っちゃいます。

たかくら:谷村さんは、物語も一緒に作っていますよね?

谷村:はい。でも、最初は物語はなくて、ビジュアルだけどんどん出しちゃうんですよ。先にキャラクターを何体か作って、そこから「このキャラクターとこのキャラクターは、戦いそうだな」という感じで、ストーリーが生まれてくるんです。《メストンマン》はウルトラマンがモチーフでヒーローなんだけど、性格はすごくキレやすい。(笑)

たかくら:「メストン」って何ですか?

谷村:わかんない…。名前をつける時も、フィーリングなんですよ。《メストンマン》はキレやすいし、胸板がすごく厚いのが自慢なんですね。近くに展示している《ゴウン怪人》とはすごく相性が悪くて、おちょくられると《メストンマン》はまたブチギレてしまって、破壊光線をバンバン飛ばしちゃう。それに対して「ちょっと落ち着けよ」と言っているのが、敵の《モスリン怪人》で…。

たかくら:世界観としては、「ちびまる子ちゃん」みたいな感じですかね?他のみなさんは、キャラクターを作る時はどんな感じですか?

青山:実際にある茶器や楽器と犬を掛け合わせたり…。あと動物たちの目は、ピカソの絵画を参考にしたり、色はマリオのゲームに出てくるクッパの影の入れ方を参考にすることもあります。私の絵は、色のコントラストが強いと凹凸が激しくなるので、違和感が出てしまうんです。だからといって、真っ平な白を置くだけだと薄っぺらいので、マリオやポケモンの色を参考にすることがあります。

九鬼:僕はコレクションしているものの中に、ゴジラのぬいぐるみがあるんですね。それはフェルトでできているんですけど、歯の薄さとか質感とかかたちがすごく良いなと思っていたり、あとはボンバーマンのフォルムが完璧だなと思っていたりして。いろいろなキャラクターの良いなと思うポイントを組み合わせて、アドリブで作っています。

平山:自分の場合は、「こういうことをやりたい」、「こういうことを伝えたい」という考えがまずベースにあります。例えば今回は、BUGという場所性やたかくらさんのステイトメントを踏まえながら、自分のやりたいことのバランスを取っていきます。次に、「アウトプットがキャラクターっぽい表現の方が、鑑賞者がとっつきやすいかな?」とかを考えて、そのあとに「一番伝えたいことを伝える上で、物語的なものがあったほうが伝わるのか、伝わらないのか」と精査した上で作品作りをするので、毎回展示によってテイストは違うかもしれないです。

たかくら:影山さんは、どうやってキャラクターを作っているんですか?

影山:まず、A4の紙にばーっとたくさん描いてから、「この中でどれが良いかな?」と考えます。私は文章で書くよりも、絵をたくさん描く方が早いんですよね。

たかくら:僕の場合、キャラクターってそもそも文字だと思っているんです。いま読んでいる梅原猛さんの『空海の思想について』では、空海が書いた『声時実相義』という書物が紹介されています。そこでは、記号と象徴の違いについて書かれていて、「記号は、一つのかたちから一つの意味を受け取るものだけど、象徴は、一つのかたちから複数の意味を受け取ることができる」と言われているんです。つまり、キャラクターも象徴なんじゃないかと思うんですよね。だからいつもキャラクターを作る際は、そのかたちから複数の意味を受け取ることができるようにしたいと考えているので、まずは言葉をいっぱい書き出します。そして、書き出したたくさんの言葉の意味を込めたキャラクターにするには、どうしたら良いのかな?と考えることが創作の起点になっています。

スタッフ:ありがとうございます。多種多様なキャラクターの生み出し方をお伺いできましたね。そろそろ時間となりますので、トークは終了といたします。ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。