人生初の国際交流は衝撃的
部屋を掃除していたら懐かしいものが出てきました。
中国語で書かれた手紙と、写真。
これは私が生まれて初めてもらった、外国の人からの手紙。
まだ私が小6の時、通っていた小学校と中国の河南省にある小さな村の小学校が国際交流を始めるきっかけになった時のもの。
私が小6の時、母校の小学校は開校20周年でした。そのときにどう言った経緯かわかりませんが、中国の小学校と姉妹校のような提携が結ばれました。聞かされていたのは、「ものすごく貧しいところの人たち」。その学校から男の子と女の子が1人ずつ、私たちの学校に来てくれました。
私が卒業した小学校は各学年3か4クラス、全校生徒800人くらいいるようなマンモス校だったのですが、私の母と、近所の仲の良かった子のお母さんがPTAの役員をしていたご縁で、1日だけ放課後にこの友人宅で女の子の方と遊ぶ機会に恵まれました。(男の子はこれもまた近所の男子の家で遊んだそうです。)
800人の児童の中で、この子と遊べたのは私とこの友人、ほか仲の良かった3人の計5人でした。
しかし、遊ぶと言ってもお互い言葉がわからない。小学生の知っている中国語なんてせめて「你好」と「謝謝」くらい。通訳に来てくれた近所の中国人のおばちゃんを頼りに遊びました。
そして何をしたかと言うと、ザッツ女の子な遊び、シルバニアファミリー✨
ボードゲームは言葉がわからないと難しいし、とても貧しい村からやってきたと聞いたのでテレビゲームもしたことないよね、という意見と、この友人宅は女の子なら羨んで仕方がないほどシルバニアファミリーのセットが揃っている家だったので「お人形なら遊べる」と思ったのです。
しかし、ところがどっこい。
通訳のおばちゃん曰く
「お人形遊び、どうやって遊ぶか説明したけど、よくわからないって。教えてあげて?」
何と!
人生初カルチャーショック。
お人形遊び知らないのか!そっか…(多分人形じゃなくてもそれに見立てて遊ぶということはあると思うんですが、すっとぼけた田舎の小学生だった私はそこまでの考えには至らず)
そこから一生懸命説明。あんまり記憶はないのですが、なんとなく遊べた気がします。楽しかった記憶はあるし。
そして、帰り。
「また遊びたいからお手紙書こうよ!住所聞こう」と誰かが言い出して、
「住所教えて?」と紙を差し出したら「〇〇小学」とだけ書かれて帰ってきた。
「?」と私も含めてみんなが不思議に思っていると、
ここでまたどっこいな話。おばちゃん登場。(おばちゃんありがとう!)
「本当に貧しい小さい村で、みんな近くにいるから今までお手紙書いたことないんだって。だから住所もわからないし、知らない。どうしたらいいか困ったから小学校の名前を書いたんだって」
手紙を書いたことがない!!!自分の家の住所知らない!?
今はメールなり何なりで直接手紙を書くことは少なくなりましたが、私が小学生のころは手紙はかなり有効な通信手段でした。最新でFAXくらい?大人たちはポケベルか板ケータイを持っていたけど、今のように小学生が持っているような時代でもない。そもそもみんな家まで徒歩5分の子だろうが年賀状書いていたし。
海外なんて行ったことないし(大人になったら新婚旅行で一回だけ行くもんだと思っていた)、テレビで見たことあるけど何となく想像の世界で、しかも子どもが見る番組で流れてくるのはアメリカやヨーロッパのこと。国や地域によって生活水準や文化の差がとても大きいことがわかっているようでまだわかっていませんでした。
中国って女の子はみんなお団子頭にチャイナドレス着てるイメージだったし。男子は拳法できるイメージだったし。
なので、「世界にはお手紙書いたことがない人がいるんだね、住所を知らない人がいるんだね」と、友人と共にとてもびっくりした。
これは後日母から聞きましたが、この子たち、日本に到着してから服を着替えたのを見たことがなかったので、同じ役員の別の子のお母さんが子供が着なくなった服をあげて着せてあげたら、そこからはまたずっと同じ服だったとか。「着替えるという習慣がないのと、着替えられるだけの服がなかったみたい」と聞かされて、そこでも衝撃。
このときに、「不思議だ。日本と違う。もっと教えてくれないかな。おばちゃんいなくても話せればよかったのに」とも思ったっけ。
幼い頃からNHKの英語で遊ぼうとか好きだったのでそれなりに外国に興味はある子だったと思うんですが、このときは初めてと言っていいほど強くそう思いました。
そんなびっくりしながらも楽しい1日が終わり、彼女は帰っていきました。
そして後日、学校経由で私たち宛に手紙が原文に日本語訳を添えて届きました。それが今出てきた手紙。
内容は
みなさんと遊べたことはすごくいい経験で、忘れられない。言葉はわからなかったけど、優しさは伝わった。今手紙を書いているけど、この気持ちをどう書き表したらいいかわからない。今度はみなさんが私のうちへ来て欲しい
と言ったものでした。そして記念に一緒に撮った写真が添えてありました。
初めて貰った外国の人からの手紙!
みんな嬉しくて、すぐに返事を書きました。
聞きたいこともいっぱいあって、手紙とは別に、質問表も送りました。
その時私が書いた手紙の原文はもちろん中国へ行ってしまいましたが、翻訳してもらったもののコピーを貰っていて、それもまだ手元にあるので見てみたら、友人のを含めても私のが一番で長い。笑
その後2、3回やりとりをしたあと連絡が途絶えてしまったんですが、私にとってこれは初めての国際交流だったことは間違いなくて、それはすごく興味深いものだったのも事実。
このときの経験は、母曰く「あんたの世界を広げてくれた」経験。その通り。
この後、うちの小学校からも誰か行ったんですが、それは確かものすごく賢い子が選ばれて、私は候補にも上がらず。笑 残念。
この経験は少なからず今の私に影響を与えているだろうし、彼女は今はどこでどうしているかわからないけど、彼女の中でも日本に来た経験が何処かで生きているといいな。
そうなことを思い出した日でした。