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【企画】私を作り上げた本を読んでください〜恥の多い生涯を送ってきました

おなじみ、チェーンナーさんの企画です。


実は今回はちょっと棄権しようかなと思いました。

前回の企画は、人運だけは最強の私にぴったりでしたが、今回は思い当たる本がない。

前回の企画↓


なぜなら、私が本を読むというのは「辛い時に楽しいことを考えるため」であって、自己啓発や働き方などの本を私はほとんど読んでこなかったから。ほわっと優しい気持ちになる本やワクワクするファンタジーなどが多く、それが自分の糧になっているかと聞かれるとそうでもない気がして。

でもちょっと考えてみました。

ただ楽しいだけだったか、そこから何も感じなかったのかと。

すると、あった。

作り上げたというよりは、私の心情を代弁してくれている本が。

同じ考えの人がいる(いた)と思えて嬉しかったんでした。


作者もタイトルも有名過ぎて出すのも恥ずかしい一冊、太宰著『人間失格』

タイトルに入れた『恥の多い生涯を送ってきました』はこの小説に出てくる有名な一説。

これは太宰治最後の作品で、彼はこの作品の発表から1ヶ月後に入水自殺をしています。

作品の内容も本人の遺書とも言われる心の葛藤を独白体という形で書かれています。

その内容が幼き日の私の心情にぴったりだった。

人前では本音を隠し、いつも明るい自分を演じていたのは私も同じ。

悩んで、それを口にすることもあったんですが「またそんな馬鹿なことで悩んで」と言われるので、「ああ、こんなことで悩むのって普通じゃないんだ」と思って恥ずかしい


地元の名手の末っ子(主人公)と

一般庶民の娘(私)では立場が違うけど、

私は常に「長男(父)の長女(第一子)かつ、孫の中でも最も年上なんだからどこにいても恥ずかしくない振る舞いをなさい」と言われてきました。

妹や従弟妹にとっていいお姉さんであり、

両親にとっていい娘であり、

祖父母にとって誰に紹介しても恥ずかしくない一番上の孫

である必要がありました。


父方でも上の孫。

母は弟(叔父)を亡くしていて、他に兄弟がいないので、そこでも上の孫。

私にとって一番歳が近い年上の身内はなんと母です(父の弟夫婦は母より年上)。


上がいれば、せめて兄や姉と言うくらい歳の近い叔父叔母でもいれば真似をするなりなんなりして立ち振る舞いができたでしょうが、

私は常に初めての場所でも自分が先導きって何かをしなければならない立場でした。

こう言う時どうしたらいいのかなど分からなくても、親戚が集まるとなれば孫を代表して挨拶をさせられたり、

身内だけで集まっても2、3歳の頃からずっと「お姉ちゃんでしょ」と言われてきました。

また、同級生といても体格が良かったので何もしなくてもお姉さんのように扱われ、まとめ役になっていた。


両親共に長男長女なので口では「knkの気持ちわかるよ。上はみんなそうだよ」と言ってくれるのですが、「2人は相談できる年上の親戚くらいいるでしょう?私はそれさえもいなくて、いつもずっと頼られることしかないんだよ。」と思っていました。子どもの考えです。


でも、その役割から抜け出せることはなく。


何もしなくてもみんなが可愛がる下の子たちとは違って、こちらは何か頑張らないと見向きもしてもらえない。だから頑張る。

同じことをしても下は「小さいのにすごいねー!」と褒められて、こちらは当たり前。またはそれが悪いことならあちらはお咎めなしでもこちらは「お姉ちゃんなのに何してるの!」と叱られる。

じゃあ自分は常に周りの見本であり、いい子でいなきゃ。自分を演じている感覚がありました。


逆に一番上ということで、誰よりも手塩にかけてもらいました。

お金も一番使ってもらったと思います。

だからこそ「いい子でいなきゃ」が強く出る。

迷惑かけちゃダメ。家族に恥ずかしい思いをさせちゃダメ。


でも、うまくやれてしまう主人公とは逆で、私は何かにつけて不器用でした。

「挨拶はしっかり、ハキハキと」わかってはいるけど声が出ない。無理やり出すと声がひっくり返る。それがこわくて挨拶さえできない子→恥ずかしい

「黙っていたらあそこの子は愛想が悪いと言われるでしょう、喋りなさい」。初めての大人に何を話せば?一生懸命自分のことを話す。話しすぎるとあとで「そんなことまで言う必要なかったでしょ!?」と怒られる。大人の言う「そんなこと」に気づけない自分→恥ずかしい

それでも周りはknk、knkと言ってくる。何一つ素晴らしいことは出来ていないし、出来ているふりをしているだけ→恥ずかしい


父の仕事で何度か引っ越しをしたため、友達を作るためにもある程度自分を演じる必要がありました。

明るく元気で面白いことを言う子、そう思われないと引越し先で孤独なのです。上から見下ろして見える私の体格では特にその必要がありました。


主人公と私は状況も器用さも真逆だけど、

その「演じ続けること」への罪悪感と恥ずかしさの描写がこの人間失格は見事にハマっていて、自分のことを丸裸にされているような気になりました。


葉蔵(主人公)はそのまま破滅の道へ行ってしまうのですが、私はそんな自分と折り合いをつけながらなんとかやってきた。違うのはそこだけ。

しかし、大学生のころから良い子道は外れ、親に反抗もしたし、日本がイヤになって飛び出した。

まともな就職なんてしたことない。選んだのは身内で最もアウトローな道(うちは悲しいほどに大企業勤めのエリートばかり)。この時も周りは何も言わなかったけど「きっと私をだと思っているんだろうな」という気持ちに支配されていました。

破滅したくなること、しそうになることが私にも何度もあった。

周りもほっといてくれたらいいのに、何度も世話をしてくれることが辛い時もありました。いやなのに、でもそれに頼ってしまう自分がさらに恥ずかしかった


この本を読んで希望や支えを見出したというより、私は同士に会った気がしました。


大きく人生観が変わったとか、これがなかったら乗り越えられなかったではないし、内容がドロドロ過ぎて学生にもまず勧めないけど(笑)

読んだきっかけは、「何か有名な本を読みたいな」と思って本屋へ行ったら、ちょうど新潮文庫の100冊の中でこれがプレミアムカバーとして売られていたから。値段も手ごろだったから。それだけ。


でも読む前と読んだ後で私の中で何かが変わった。

もう読む前の私には戻れない、そんな感覚。初めて読んでから数年たちますが、今もそうです。


私が読んだ後にこれを読んだ母はまったく共感できなかったそうで、

「この主人公イライラする💢情けない!」

というので、私が

「私は過去に読んだどの主人公より私は共感するよ。この人私のこと言ってる気がする」

と返したら

「あんたこんなのに共感するの⁉️なんで❗️全然わからん」

と言われました。

あぁ、やはりこれはこの弱い主人公に共感してしまうのは良くないことなのか。この感情を持ち合わせる自分がまた恥ずかしかったです


しかし、この本が今も読み継がれているのは多くのファンがいるから。

強く正しいことは素晴らしいけど、多くの人がこれに共感しているからではないでしょうか。

そう思うと、私の心は軽くなりました。



美しい文章の中にみえる心の闇は深い。

よく考えたら、今は笑っている学生たちだって本当は深い深い悩みを抱えているかもしれない。苦しいかもしれない。心は見えないから怖い。

この本を手に取ったのも、単なる偶然ではなかったのかもしれない。

そう思って、

今でも時折、この本を開いて葉蔵(太宰)と対話します。



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