「パンスタードリーム」乗船記 (1)
航路があるなら船に乗る。
2023年3月、初めての韓国訪問は往復とも船で。
帰路に選んだのは週3往復運航の「パンスタードリーム」。往路は「クイーンビートル」を利用したため、国際航路でフェリーに乗るのはこれが初めて。
1.出国
釜山港国際旅客ターミナルにやってきた。
実際にはこの日まで数日間韓国を旅行していたのだが、その話はまたどこかで。
食事込みの運賃は事前に支払いを済ませていたので、窓口で燃油サーチャージと港湾施設使用料(ポートチャージ)のみ支払って発券してもらう。
ここでの支払いは予約時の電話では現金のみと伝えられていたが、実際にはクレジットカードが使えた。
窓口には日本語が堪能な係員もいたので安心。
その後は出国手続きが始まる時間まで展望デッキで港を眺めながら、旅の余韻を噛みしめていた。
時間になったので出国審査へ。
「パンスタードリーム」は同時刻に出発する「クイーンビートル」に比べて諸々の手続きの時間が短めに設定されているので要注意。かと言って早く着きすぎても、ターミナル内で開いている店がセブンイレブンぐらいしか無いので手持ち無沙汰になるが。
瘧禍が終息し空港などでは混雑が顕在化していた時期だったが、出国審査は行列も無くスムーズに通過。
乗船開始までは免税店前のスペースで過ごす。
当然ながら日本人も多いわけだが、数日間ずっと韓国人以外の観光客がほとんどいない場所を巡っていたこともあり、日本語がそこかしこから聞こえてくる空間に落ち着かなさすら感じてしまう。
乗船前のこのスペースも自分が来た時はかなり混雑していたが、ほとんどは「クイーンビートル」に吸い込まれていった。
2.乗船
いよいよ「パンスタードリーム」の乗船開始。
せっかちな韓国人の行列が落ち着いたところでゲートを通過、ボーディングブリッジに向かう。
ゲート通過後は撮影禁止だったので写真は無いが、無機質な通路を延々と歩かされた。これも期待値を上げるための演出だろうか。
船内に入ると、まずエスカレーターを上る。
エントランスに出ると、生演奏で盛大に出迎えられる。
この時点でもう「クルーズ感」出まくり。
インフォメーションで部屋の鍵を受け取り、さっそく今宵の寝床へ。
「パンスタードリーム」の客室はラウンジサービスが付帯する「クルーズゾーン」と通常の「フェリーゾーン」に大別されるが、今回は運航再開キャンペーンの期間内で学生は通常運賃の半額で利用できるということで、せっかくなのでクルーズゾーンの「デラックススイート」を利用した。
シャワー、トイレ、洗面台、冷蔵庫を備えるアウトサイドの個室で、大阪までの20時間近くを過ごす空間としては文句なし。枕はかなりフカフカ。
部屋だけを見る分には陸にあるホテルと何ら変わりはないが、波に揺られながらここで過ごしている間に釜山から大阪まで連れて行ってくれるのがロマンというもの。
しかもクルーズゾーンの旅客は船首にあるラウンジ「パラダイスラウンジ」を航海中いつでも利用できる。
ほぼ同じ付帯設備の「ジュニアルーム」(こちらはフェリーゾーンの客室)も考えたが、1,000円ほどの差額でラウンジサービスが付いてくることを考えればやはり「デラックススイート」一択。
安く済ませるなら「スタンダードB」というインサイド・トイレシャワー無しの部屋があるが、貸切料金は同じなのでどうしても割高感が…
3.出航
一通り部屋を観察し終えたのでデッキへ。
この時点で既に14:55、意外と慌ただしい。
そうこうしているうちに短音3回、後進を知らせる汽笛が鳴って船が動き出した。
ついにユーラシア大陸に別れを告げる。
空は前日までの曇り時々雨予報を見事に覆し、雲間に青空が覗く航海日和。
同時刻発の「クイーンビートル」が待機する中、釜山港のターミナルビルが徐々に遠ざかる。
釜山港大橋を傍目にゆっくりと回頭。
そして下をくぐって釜山港を後にする。
往々にして港町にはこのように大きな橋が架かっているものだが、やはりシンボリックな橋をくぐって港を出入りすると旅に区切りがつくような感覚がして、何度経験しても印象に残るし良いものだ。
釜山港には怪しげな一角が。
高速船が何隻も陸揚げされていたり、色褪せた日本の漁船のような船も見えるがこれは一体…
背後の斜面にびっしり立ち並ぶ家々も壮観。
人流だけでなく物流や軍事面でも南の玄関口である釜山港、広大なコンテナターミナルや護衛艦らしき船の姿も。
進行方向左手には霞の中に海雲台地区が。
数日前に登った韓国第二の高さ411.6mを誇るLCTランドマークタワーも見え、去り際に旅の思い出が蘇る。
この船で見ておきたいポイントの一つがこれ。
「パンスタードリーム」は元々「さんふらわあ くろしお」として1997年に進水し、ブルーハイウェイライン(現・商船三井フェリー)の東京〜那智勝浦〜高知航路で活躍した船であり、紆余曲折を経て2002年から現在の航路に就航。その経緯は色々なサイトに記載があるのでここでは詳細は省くが、「さんふらわあ くろしお」時代の船鐘がブリッジの後方に今も残されている。
後ろから「クイーンビートル」が追い越すのを見届けようと待っていたのだが、一向に追いついてきそうな気配がないので船内へ。
(2)へ続く。