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【連載】残された人生は大学卒業まで!? #44 オンラインライブについて

noteをご覧の皆さん、ありがとうございます!
「残された人生は大学卒業まで!?」へ、ようこそ!
BU(◎)DOHです🍇

 今日、彼女とデートをしている時に猫の家族に会いました。写真はその猫です。
 母猫と思わしき子がずっと子猫を守っていたのが印象的でした。母親の優しさというか強さというか、猫にもしっかり家族という概念が存在するんだ、ということを感じました。


■オンラインライブ

 巷では最近よく行われるようになってきたオンラインライブ。

 無料で配信されるものもあれば、電子チケットを購入して観るものもあったりと様々です。皆さんの中にも一度は見たことがある人がいるのではないでしょうか。

 形式も様々。無観客ライブを配信するものもあれば、有観客のものを配信するものもあります。

 このご時世でオンラインライブがかつてない広がりを見せていて、アーティストの新たな発信の場として今後も残り続けていくものになったと思います。


■演者目線から感じるオンラインライブ

 ステージの上に立つものとして、オンラインライブについて考えたこと、感じたことは、オンラインライブは「オンラインライブ」であって、決して「従来のライブ」の代替としての「オンラインライブ」ではないのです。

 新しい概念、新しいパフォーマンスの場所としてオンラインライブは成立しているのです。

 もし少しでもオンラインライブを従来通りのライブの代わりにしようという気持ちがあると、それは全く別物であるということに気がつくのでしょう。


■画面という分厚い壁

 私たちがなぜ「ナマモノ」とそれ以外を区別できるか。そこを考えると、画面という分厚い壁が見えてきました。

 体から溢れる表現は、自然と無意識を表現しています。それは画面越しでも感じ取れるほど単純なものではなく、実際に同じ空間と同じ時間を共有することで感じ取ることができる複雑なものなのです。

 文字や、音で表現できるものに比べて、とりわけ身体が発する表現は色が濃いのです。

 その表現は言葉で捕捉不可能なもので、だからこそ演者は「ナマモノ」で表現するのです。「ナマモノ」にこだわるのです。

 私はそう感じました。


■観る側目線からのオンラインライブ

 ここからはとても単純な話です。

 盛り上がりが一線を超えない!

 これは生を実感したからこそ言えることですが、空気感、緊張感、高揚感がオンラインライブはある一定レベルまでいくと急にブレーキがかかるのです。

 要因は様々。

・声を出せない
→賃貸だから周りに迷惑がかかる。

・手を挙げても物足りない
→現場だと一体感やアーティストに直接届くような感じがするが、画面越しだとどうもそれは感じられない。

・日常に溶け込む
→ライブは非日常を作り出すことで、日常をさらに色濃くすると思っているので、日常に溶け込むオンラインライブは特別感や非日常感がない。

 主にこの辺りが私にとって一線を超えない理由なのです。


■結論:全く別物として楽しむ

 演者も観る側も、結局はオンラインライブを全く別物として楽しむことが必要なのです。

 代替品として考えてしまうと、プラスの感情もマイナスの感情も出てしまいます。

 演者側も観る側も、やっぱり生のライブがいいな〜という意見になってしまっては本末転倒なのです。

 オンラインライブは全く別の新しいエンターテインメントで新たな価値を創造する必要が演者側にはあると思うし、楽しむ側はオンラインライブを新しいエンターテインメントとして面白いと感じ取れることを見つけなければいけないと感じます。

 皆さんはどう考えますか?是非教えてくれるとありがたいです。


■終わりに

 今日もここまでご覧いただきありがとうございました!

 自分の気持ちを整理するための記事でした。
 これから人生を終えるまでに、どれだけ新しいエンターテインメントが生まれるか未知数ですが、その度過去のものと比べていては前に進めない。
 何か新しいものが生まれる時、過去のものと比べてばかりでは爆発的なものは生まれないかもしれない。
 そう思うからこそ、このオンラインライブの広がりは私にいろんなことを考えさせてくれました。

 明日からもいろんな記事を書いていきます!最近新しく見てくれる方が増えたおかげで、記事のジャンルがどんどん広がっていく感じがしています。

 これからもどうぞよろしくお願いします!

 全ての皆さんに、明日も幸せが訪れますように。

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BU(◎)DOH


 

あなたの一存で、これからの旅路を一緒に作っていけたらいいと思います。