人間は苦しむ為に生まれてきた?

夏目漱石は晩年に妻にあてた手紙の中に
「人間とは苦しむために生きているのかもしれない」
としみじみと述懐したところがある。

それはなぜか、幸せをつかんでもつかんでも離れていくから、
だから苦しむ為に生まれてきた。

もし色あせてしまう幸せしかないならば、
楽しんだだけ苦しむ、幸せになっただけ苦しむ。
楽しかった分だけひどい勢いで落ちていく。

そう思うと幸せは色あせていくという事実が変わらないとなると、
人間は苦しむために生きているということになってしまう。

漱石は妻に
「苦しむために生まれてきたのかもしれない」
と言ったが、断じてそうではないとおっしゃったブッダの言葉は、
「人身受け難し今已に受く」
その意味は、生まれがたい人間に生まれることができてよかった。
人間に生まれることができてよかった、ということ。

人間に生まれてきてよかったということと、
人生の目的が結びつかない人が多い。

初めて仏法を聞いた人は必ずそういうことを思う。
人間というのはこの世に苦しむ為に生まれてきたのではないですよ。
人間というのはこんな幸せになるために生まれてきたんだ。

ああ、こんな幸せになれたんだもの、
人間に生まれてきて良かったと
生命の歓喜を味わうことができる、
そういう幸せの身になることが
本当の生きる意味なんですよ。

そういう幸せの身になったときに、
今まで苦しんだのも泣いたのも、
こういう幸せになる為だったんだと決勝点がハッキリする。

今まで泣いたのも苦しんだのも、幸せが続かないから、幸せが崩
れていくたびに泣いていた、悲しんでいた。
そんな自分が本当の生きる目的を果たした時に、
ああ、私が今まで生きてきたのは
この幸せになるためだったんだということがハッキリする。

そういう生命の歓喜がふきあがる。
苦しむために生まれてきたのではない、
幸せになるために生まれてきたんだ。
人間というのは不幸になるために生まれてきたのではない。

私達が勉強をするのも、バイトをするのも、仕事をするのも、
結婚するのも、離婚するのも、
このような幸せの身になるためだったんだとハッキリする。

生きる目的がどんなものかについては以下の記事を参照した。


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