周 研 shū kenn

◯ゲイ的エッセイスト◯教授◯歌人◯コラムニスト◯AmazonKindle: 『ヰタ・ホモセクスアリス』: http://urx.nu/hOXM アメブロ:http://s.ameblo.jp/maronis/

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マガジン

  • ゲイ的生活

    ゲイ的エッセイ、雑感。

最近の記事

アメブロに移行しました: http://ameblo.jp/maronis/

    • ちょっとエロさが減った第3版です http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00TWGTQ94/ref=sr_1_62?ie=UTF8&keywords=Kenn&qid=1424651005&redirect=true&sr=8-62

      • ヰタホモセスクアリス

        http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00TWGTQ94/ref=sr_1_62?ie=UTF8&keywords=Kenn&qid=1424651005&redirect=true&sr=8-62 改定第3版、ミーディアムの助言によって、エロい場面を一部削除、、、しないほうが面白いと思うのだが、アドヴァイスに従った。

        • 平行線

          ときどき、カフェで、既婚の若いギャルソンたちを見ていると、なんでこの人たちは女が好きなんだろう?と思ってしまう。自分と同じはずだと思いたい気持ちはなかなか消えない。なぜなのか。ゲイとノンケは平行線のようなものなのに。 しかし、話はそれるが、「平行線は交わらない」というのは嘘である。この物質界では、どんなに正確に書いても、かならず交わってしまう。交わらないのはあの世、イデア界、霊界だけだ。したがって、数学とはあの世の学問である。

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        • ゲイ的生活
          35本
          ¥128

        記事

          ウケの直感

          ふと気づく。ウォッシュレットの「水勢」を、私は一番弱くしているのだが、最大はこれより5段階も上である。こんな高圧で、大丈夫なのか。直腸に入ってしまうのではないか。と、また気づいたが、そういう目的なのか。 話はそれるが、ウケの人は常に洗浄しておくのだろうか。Hになるかならないかという雰囲気を読む力も必要になるだろう。たぶん、直感の弱いウケだと10回洗浄して、実際役に立つのは3回とか、になるのだろうか。 そういう雰囲気になったとき、あ、洗ってないから、と言って断ることもできる

          セクシュアリティーと人格

          『あすなろ白書』(柴門ふみ原作)というドラマもそうだったが、ゲイ映画の中で、ゲイがストレートに告白してしまい、「気持ちの悪いものを見る目で見られ」ヤケになる(大酒を飲む、発展しまくる、車で暴走する)というストーリーがよくある。 しかし、ストレート男子も、女子に告白して、ゴミを見るような目で見られることはあるだろう。ただ、ゲイの場合、容姿・性格ではなく、セクシュアリティーを、人格の一部を蔑視される点が違う。 しかし、容姿・性格もセクシュアリティーも先天的なものではないだろう

          セクシュアリティーと人格

          いかにも

          「いかにも」という服装と挙動の西洋人ゲイ講師がいる。社会の「ゲイのコード」を忠実に守っていて、見ていて気の毒になる。自由になれないのか。どう見てもノンケに見える男がゲイであってもよいし、どう見てもゲイなのにストレートでもよい。 M字ハゲが熱い恋をしてもよいはずだ。逆に、イケメンなのに、恋に関心がなくともよい。パラリンピックと構図は同じで、昔、障害者はスポーツができないと思われていた。恣意的な社会のコード=縛りからは自由になるべきだろう。いかにもな言動でカムアウトしているのか

          カラヴァッジョについて

          ステファノ・ズッフィ『カラヴァッジョ・聖マタイ伝』を買う。著者はゲイではないことがわかる。ゲイの画家は、やはりゲイでないと深く正確には解釈できない。 カラヴァッジョが描きたかったのはマタイではなく、この無名の若者の美尻である。わざわざタブローの中心におかれ、光り輝く美尻。

          カラヴァッジョについて

          七五三とスパ銭

          深川不動尊へ参詣したが、七五三の親子、おばあさん・おじいさんで賑わっていた。境内は撮影大会と化しており、独身者からするとちょっとうらやましい。外面的に楽しそうな家族が(常に)幸福とは限らないのだが、この、家族がうらやましいという感情は一生払拭できないのかもしれない。 ところが、これから行くお風呂の王様にいるであろう、幼児や少年少女をつれたパパの場合は、同じ家族なのに、うらやましくもなんともない、むしろ、くつろげなくてかわいそうだなぐらいに思ってしまうのは不思議である。

          七五三とスパ銭

          救急外来について

          大学病院の救急外来。飛蚊症が急にひどくなったので念の為に来ている。救急に眼科医師がいるところはあまりない。熱のありそうな子どもをつれた親子連れが10組ぐらいいる。数年前もそうだった。 親はたいへんだなといつも思う。ジーンズに白衣、早足で歩く医師は30代しかおらず、みんなイケメンに見えてしまう。タリーズが入っており、あの独特な声で「こんにちは!」と青年が言うのがこの場の救いになっている。

          救急外来について

          Kindle奮戦記

          昨年、ゲイ小説『ヰタ・ホモセクスアリス』(http://goo.gl/VsNz9Z )を勢いで書いて、Amazon Kindleにアップロードしたが、アメリカ国税庁にファクスを送ったり、ファイルの変換を何度もするなど、その手続きの煩雑さは素人にはとても無理なレヴェルだ(私はパワポも使えない素人である)。 それはともかく、それ以来、「新橋」を削れ、という内なる声(ハイヤーセルフの声?)が消えない。新橋の、ドリカムのメンバーが来ていたという発展場を描写、というか、実際に体験した

          せっかく

          バス車内で、目の前に私の股間へ美尻が接触しそうなほど後ろ向きに接近してくる男子社員がいた。駅に着くと小走りで走っていった。ところが、駅の改札近くで、Uターンし、あれ?! こっちへ向かって来る、と思ったら、スイカをチャージしに行った(のだと思う)。せっかく走ったのに無駄になっているドジな人というのはけっこう多い気がする。おかげでもう一度むっちりした美尻が見えた。感謝。

          抑圧について

          よくゲイヴィデオのモデルにいるような雰囲気の男子がいる。眉を整え、高身長、スポーツをやって、という感じ。しかし、授業中はかなり表情が暗い。Facebook に短期留学先の写真があるのだが、まったく別人のように明るく、陽気に見える。まさか、この留学費用の捻出のために出演?などと考えてしまう。 それにしても、一般論として、日本人が海外に行くと、表情が晴れやかで明るくなる。これに例外はないと思う。この国は、住んでいるだけで、そんなに抑圧的に働くのか?とも思ってしまう。

          抑圧について

          「だってケツが」

          ゼミナール男子が、男子校でヴァレンタインのチョコもらったらやばいでしょ、と言うので、なんで? いいじゃない?と言うと、だって、ケツが、と答えた。 こんな偏見を看過するわけにはいかない。啓蒙する必要を激しく感じ、本を探すが、ゲイなら掘りたがるというのは偏見だ、と明記した本が見当たらなかった。誰かが書いていた気がするのだが。岩波新書『同性愛と異性愛』にやや似た箇所はあるが、根本的に論じてはいない。 ゲイはアナルセックスをしたがるというのは、(1)しない人も多い、という点、(2

          「だってケツが」

          構図

          結局、包み込む方(女、ウケ、太陽、その他)が、包まれる方(男、タチ、地球)より強い。

          公衆浴場

          「お風呂の王様」に行くたび、ゲイでよかった、おおっぴらに見られるのだから、と思うのだが、これは、ノンケが女風呂にいるのとは違うと思う。そんなシチュエーションにおかれたら、ノンケはきっと(すべてが)萎縮するだろう。欲情することもなく、私のようにまわりを堂々と見ていられるはずがない。ところが、レズビアンはむしろ女風呂で罪悪感を抱くらしい。不思議である。それならば、レズビアンでよかったとは思いにくいだろうと思う。