一期一会のおはなし―4
世界から生まれる
ちょうどこの間、NHKで私が好きな「チコちゃんに叱られる」という番組をみて、チコちゃんは「桜はなぜ皆、同じタイミングで咲くの?」と聞いたわけです。みんなさんの、「ええ?」のあとに、チコちゃんが正解を言いました。それが「一本の木から分身していった。 全部同じ木だから」でした。
答えを聞いて、すぐ納得できないかもしれないですが、専門家の説明を聞いたら、なるほど、と腑に落ちました。それは、大昔、一本の木が咲いて、結局死んでから、子供の桜の木の下で花見できるということではなく、江戸時代に植えられた桜のなかにもすでに、現代、全国でみられる桜があったのです。また、いまいろんあ場所でみられる桜も、大昔の桜だということなのです。
通常、「世界に生まれる」と言いますし、そう信じて生きてますね、われわれって。しかし、さきの桜もそうですが、実は、「世界に生まれる」ではなく、むしろ「世界からうまれる」のが事実です。いのちそのものです。取引のように、環境が生き物たちを生しながら、生き物たちが環境を作っているのです。生物が太陽をライトにかえりますが、しかし、ここでは太陽がない環境がなければ、当然、生物たちも存在できないのです。一つのプロセスなのです。
また、同時に、みなさんのご両親がなければ、あなたたち一人一人は、ここにいることができなかったし、わたくしが数年前に日本語学科を選べなければ、今、こうやってみなさんの前で話すこともできなかったのです。あなたたちひとりひとりのお父さんが外国人の女性と結婚して、外国に住んでいたら、あなたは、もしかして、日本のことをまったく知らないかもしれません。
これが一期一会です。そういう一期一会に溢れる毎日です。一瞬一瞬です。それらの一つずつが、みなに、それぞれの「かげ」を示し、「おかげさま」として何かを返す唯一のチャンスです。それもまたインドの詩人、レバティ・デヴィの美しい詩をご紹介したいです。
誕生
24の欲望に焦がれている身体の香りと
5つの雪で覆われた山脈の美と
2つの無限に輝く銀河の躍動する音楽と
1000の煌めく漆黒の瞳の愛と
10億の月の冷たい光の筋と
2つの情熱の赤の渓谷と
柔らかな緑の草の100の悦びと
1兆の星の輝く景色と
40の若々しい太陽の渇きと
1つの心のための、1つの心
今、私は生まれる。
終わりに
こういう返すこととは、責任ということを意味します。普段は責任が「だれだれのせい」につながると思われがちですが、実際はそうではないです。
英語で責任は「responsibility」と言います。「response]」つまり「応える」のことです。そいう一つ一つの状況にどうやって応えるということです。マイナスのことでも、プラスのことでも、そのとき、あなたは何をしますか。これからは、友達との関係、受験の問題、仕事のこと、さまざまな面で「応えるチャンス」があると思います。それらに対して、「絶対」の考えではなく、ひきこもり、孤立の社会を生きるのではなく、つながり、「関係」の社会を作ってほしいのです。
たしかに、未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできないけど、あなたたちには、過去を振り返って、さまざまなことを繋げることはできます。だからこそ、今はバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはいけないと思います。
普通は信じるといえば、神さまを信じるとか、向こうにある、ありえるかありえないような、わけがわからないことを対象としての「なにか」と言いますが、そうじゃなくて、神様を信じるとは、あなたの中での神様を作ることで、仏様を信じるとは、あなたの中での仏様を作ることなのです。同じ様に、未来を信じることも、言うまでもなく、あなた自身の未来を作ることになります。未来とは向こうで、あなたたちを待っている「なにか」ということではなく、あなたたちが、今、未来を作っています。未来を信じながら、今をつくる、といってもいいでしょう。そうしますと、道にあったことは全て一期一会だとよくわかります。そういう「出逢い」は結局自分に出逢うこと他になりません。
最後に榎本栄一先生の二つの詩を紹介してから終わらせていただきます。
私にながれる命が
地に這う虫にもながれ
風にそよぐ
草にもながれ
・
口にいれものや
手にふれるものを
だいじに扱うていると
この一にちがとうとくなり
このいのちがふかくなり
・
自分がどれだけ世の役立っているかより
自分が無限に世に支えられてることが
朝の微風の中でわかってくる
法純 合掌
*この話は2018年の夏に、群馬県にある曹洞宗のお寺で、「子供禅会」の時の話です。