不安をコントロールする大仏の経験
こんばんは。マドモアゼル大仏で候う。今日は自分をコントロールする一貫で瞑想を久しぶりにしました。今、同居している人と一緒にやったのですが、誰かと一緒の方がやりやすいですね。おそらく、集合意識の問題だと思います。
そんなこんなで、社会の状況に惑わされない心を保つことがいかに重要か日を重ねるごとに感じる今日この頃でございます。
日本の状況が悪くなる中、自分のとある経験を思い出しました。
私は昨年の秋頃にフィジーで短期の語学留学をしました。フィジーといえば、南の島で国民の幸福度が高く、公用語が英語で治安もいいため近年は日本人の留学生が多い場所でもあります。
私はそんな幸せな国、フィジーで強盗に襲われました。ガタイのいいフィジアン2人が私に馬乗りになった上に、首を締められたので、もう死ぬかと思いましたね。
『治安がいいっていうはずだったのに、嘘やん!』
って思いました。
でも、安全ってのは思いこみにすぎないし、どんな安全なところにいても悪い人だっているし、殺されて死ぬ可能性だってある。治安や安全な場所はあるけれども、その割合が高いか低いかの問題だと思います。
だから、どこ行ったって死ぬ時は死ぬし、病気にかかる時はかかる。
そう思えたらどーんと奈良の大仏のように構えれますよ。