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祖谷のでこまわしを食べた話

郷土料理と呼ばれる食べ物が好きだ。あまりあちこち遠出をした経験はないが、出かけた先ではその地のものを食べたいといつも思っている。

現代でこそ全国ほぼどこでも同じものが食べられる世の中であるが、私が生まれたつい50年ほど前(と書いて自分の年齢に驚いてしまう)にはまだまだ地域の差は大きかったし、今後はまた地方にいくほど不便な世に戻っていくだろうと私は推測している。

さて、私が生まれるもっとずっと前に書かれた宮本常一の『食生活雑考』という本がある。この本に昭和20年8月4日の講演「日本における食事情の変遷」という話が収録されている。終戦間際の講演で、どうやら食生活の問題(食料事情をどうするかという)を語る場であったらしいが、これが延々食べ物の話で読んでいるだけでもお腹が空いてくる文章で、当時この話を聞いていた人たちは空腹で倒れなかったかと思う。米の話、麦の話、甘薯の話と色々あるなかに「でこをまわす」という話が出てくる。

芋を食うことに「でこをまわす」という言葉がありますが、その芋は何かというと薩摩芋じゃなくて里芋です。十津川ではそうです。十津川へまいりましたとき、箸につきさして、ぐるぐるやって、これが「でこをまわす」ということだと教えてもらいました。なかなかこれを食うには技術を要しまして、箸にさすのにツルリとするものであります。そこでさすことを覚えるのに苦労しました。

宮本常一「日本における食事情の変遷」

この「でこをまわす」がそのまま郷土料理の名前になっているのが「祖谷のでこまわし」である。

祖谷は徳島県にある地名で「いや」と読む。「そや」ではないので注意されたし。

祖谷に行くと私も宮本常一と同じようにでこをまわすことができるのである。これは行くしかあるまい。
そうして私は祖谷に向かった。

Googlemapによると、祖谷のでこまわしでおすすめのお店はかずら橋の近くにある食堂らしい。祖谷のかずら橋は有名な観光地なので大きな駐車場が近くにあり、難なく車を停めることができた。そのままあるいてかずら橋方面に歩いていく。ほどなくしてお店が見つかった。店先で川魚や団子と一緒にでこまわしが炭火で焼かれていてとてもおいしそうだ。鮎もいいなあ……。店先で魚を焼いているおかみさんに「すみません」と声をかけると、開口一番「魚はまだ焼けてないよ!」と言われ驚く。確かに鮎もいいなと思ったが。思わず「い、いえ、そのでこまわしをひとつ」と答えると「どこで食べるの? (店の)中?」と聞かれ、「はい」と言うがまさかでこまわしひとつで中で食べるのがあつかましかったか、と思い「ざるそばもお願いします」とすかさず言う。おかみさんはなぜか「席が空いてたら中で食べてもいいけど、いっぱいだったら待ってもらうよ」と言い捨てて奥に入っていった。なお席は空いていた。なぜか私は初対面の人への印象がすこぶる悪く、このような対応を受けることが多いのでこの店が悪いわけではない。なんせまた表に出てきたおかみさんはほかの客にはにこやかにしていたので。しかしなぜなのか。そんなにもごもご話しているわけでもないのに、やはり陰気なのがよくないのか。そんなことはどうでもいいが(改善したいとは思っている)。

さて、食堂の窓からは有名な祖谷のかずら橋が見える。怖がっている人、楽しんでいる人、いろいろいて見ているだけで面白い。
そうこうしている間にでこまわしとおそばが目の前に置かれた。

わーい、と思ったがこれは里芋ではない。ジャガイモだ。なんとなくがっかりするが、ゆず風味の味噌がほのあまくとてもおいしい。そのほかにも祖谷の名物石豆腐やこんにゃくも一緒に刺さっている。普通の豆腐は柔らかすぎて串には刺さらないかもしれないが、固めに作られている石豆腐はしっかり串に刺さっているしこんにゃくが滑り止めの役割を果たしているらしい。どれもしっかりした歯ごたえ、豆腐は水のきれいな土地柄か非常においしくて、これも名物のお蕎麦と一緒にあっという間に食べてしまった。

帰りはかずら橋に寄るかとも考えたが人が多いのでやめて、民俗資料館になっている平家屋敷(旧西岡家住宅)に寄った。

平家屋敷
大きいがひっそり建っている

帰り道はちょっとその辺の町並みを眺めて帰った。

かわいい小さなお店

帰宅してから改めて調べると「うちの郷土料理」でも祖谷のでこまわしは「ごうしゅいも」と呼ばれる小ぶりのじゃがいもを使う、と書いてあり、がっかりしたのは完全にお門違いであった。でも里芋のでこまわしも食べてみたかった。きっとお米が今のように当たり前に食べられるようになる前はこうした食べ物がもっとも一般的であり、いたるところでみんなが「でこをまわし」ていたのだろう。本当に素朴な郷土料理であった。

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