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水上の茣蓙の上で

「なんだか疲れた」というありふれた感想について

死にたいというよりも許されたいという表現の方が相応しいように思う。
30代、近々退職予定の会社員、先の予定は未定(無職かも)、女。
もう許してください、勘弁してください、つかれました。

仕事をしながら、これがいつまで続いてしまうのだろうと考える。
これをやって何になるんだと思う。
自分自身の人生のことである。

幼少から胃腸が弱く、成人からも碌にに労らなかった結果、妥当に胃炎持ちとなった。
胃炎による腹痛は慣れているのだけれど、最近になって背中も痛むようになってきた。そこかしこが痛かったりなんだりと身体にガタが来る30代というのを痛感している。

症状で検索したところで、悪いことしか出て来ないのを知っているのに止められない。検索した結果、膵臓が悪いかもしれない疑惑が浮上。
膵臓癌患者全体の5年生存率は女性で約8%程らしいと書いてあった。
余命5年を宣告されたら私はどう過ごすのだろう。
現世に未練の無い私は。

どこにも行きたくない、誰にもなりたくない。

自分という存在はどこにあるのかを考える。
肉体こそが自分なのか、思考こそが自分なのか。
ただの電気信号なのか。

不安定なUSBメモリーのような肉体から情報を抜き出して遊んでいるのか
もしくはクラウドにゆらゆらしている信号を観測しているだけなのか

私が私であることの証明と
あなたをあなたであると認識している根拠と
生きているという定義について

これは何なんだろうと思いながら、ただ時間が過ぎていく。

操縦席で途方に暮れる

生きているという実感がない、死んでいるとも思ってないが。
私の肉体という動く定点カメラから観測する日々。
(動く定点という矛盾なんとかならんのかと思ったが上手い表現が見当たらず悔しい)

感情はただユラユラしたり止まったりしていて
たまに視界がふーーーっと肉体から離れて自分を見下ろしたりする。
検索して出てきた離人感に似ているように思うが、診断された訳ではないので、どうなんだろうか。

ずっと操縦席から降りたいと思っている
私には荷が重い、生きたい人に譲りたい。
私じゃないほうが私をよっぽど有意義に生きてくれるだろう。
ごめん、私。(の肉体?)

水上の茣蓙を渡りきれない

精神不安は気付いた頃には傍にいた。
なんとなく自覚したのは8歳小学校3年のとき、学校に行けなくなった頃だ。
もうあまり思い出せなくなったが、人間の情報量に耐えられないという感覚を覚えたのはこの頃だと思う。

10代はただひたすら自分を含め人間というものが嫌になった。
他者を傷つけてまで生きる意味が分からなかったし、自分が他者を傷付け得るということが苦痛だった。
20代になって学校というものから解放されてからは厭世から少し離れることが出来たが、うっすらと生きる苦しさがバックグラウンド再生された。

10代~20代の情緒の上下は苦しいもので
もはや沈んでひたすら泣いていた方が楽なんじゃないかと思えたがそうはいかず、意識を保てず起き上がっていることすら出来ず辛うじて生きている泥のような時期もあったので、適度なタイミングで苦しみながら情緒の改善に努めなくてはいけなかった。
と、思えばよく分からないハイになり陽気に奇行に走ったりして(そのあとに号泣したりして)丁度よく生きるというのはこうも難しいのだと思った。

水上ゴザ渡りのように、精神が沈みきってしまわぬように絶えず足を前に出し続ける毎日にクタクタになった。
特に何がある訳でも無い日常がそれだった。
何故みんな発狂せずに生きてられるのだろうと思った。
こんなことでめそめそしている私は甘ったれなのだろうかと悩めど、甘ったれが生きているのを許されるにはゴザの上で足掻き続けるしかないのだろうと思った。

20代後半になっての一番の変化は精神が沈むこと・死にたいと思うことへの慣れだった。
情緒のコントロールが上手くなったのか、離人感症状が強まったと言えるのかは分からない。
意味の分からないタイミングで涙が出ても、呼吸の仕方が分からなくなっても、景色の色彩がなくなっても、「ああ、来たな」と思うばかり。
職場での「お疲れ様です」に近い感覚。
どう苦しめど、私は生きてしまっている。

水上のゴザは、渡り切らなくてもいいのかもしれない。
水の中に沈んでしまえばいい。

苦しいね、疲れたね。
人並みで居たいと足掻き続けた足はもつれて動かない。

こんな電気信号を作り続けるのは悪趣味だ。


水上の茣蓙の上で、今日も途方に暮れている。



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